第242回演奏会のご案内
偉大なメロディメーカー チャイコフスキー
チャイコフスキーはクラシック音楽の中でも、最も愛されている作曲家の一人といってもよいでしょう。メロディーは甘美で叙情的、オーケストレーションは壮大で華やか。クラシック音楽にあまり詳しくない方でも、聴いたことのあるチャイコフスキーの曲は多いはずです。今回は、チャイコフスキーの3大交響曲の一つ交響曲第4番と、4大ヴァイオリン協奏曲の一つと称される彼の協奏曲を取り上げます。
チャイコフスキーにとっての「1877年」
チャイコフスキーは1840年生まれのロシアの作曲家です。法律を学び法務省に勤めていましたが、22歳のときペテルブルク音楽院が創立したのを機に作曲の勉強に専念します。53歳でコレラにより急死するまでの約30年の作曲家人生の中でも、交響曲第4番を作曲した1877年前後は名曲ぞろいです。同じ年にバレエ「白鳥の湖」、オペラ「エフゲニー・オネーギン」が完成し、翌年にはヴァイオリン協奏曲を作曲しました。
この年にチャイコフスキーの身に何があったかというと、まず一つはメック夫人という富豪から多額の資金援助を受けるようになり、教職を辞め作曲に専念できるようになったこと。メック夫人とは一度も会うことはなかったが、亡くなる数年前まで資金援助と書簡での交流は続き、交響曲第4番は彼女に捧げられています。それから、ヴァイオリン奏者のコーテクという青年と出会ったこと。チャイコフスキーは同性愛者でコーテクは愛人であったと言われていますが、彼のヴァイオリン協奏曲の作曲にはコーテクが関わっていました。そして電撃結婚。元教え子アントニーナにラブレターをもらい、宿命と感じたチャイコフスキーは翌月には婚約、挙式をしましたが、同居生活に耐えられず自殺を図った末に結婚は破綻しました。
人の心に語りかけるチャイコフスキーの音楽
交響曲第4番は、「宿命」の動機といわれる印象的なファンファーレで始まり、人生の幸福と苦悩、楽しさと辛さ、懐かしさと諦めが散りばめられた「言葉のないオペラ」のようです。チャイコフスキー自身の経験が、作品を飛躍させたのでしょう。
指揮の山下一史氏は円熟期にさしかかり、我々団員もそれぞれの人生をいろいろな想いで過ごしてきて、今の新響だからこそ表現できるチャイコフスキーの第4番を、大切に演奏したいと考えています。
ヴァイオリン協奏曲は、結婚の失敗から心を病みスイスのレマン湖畔を訪れていたときに書かれた作品。当時のペテルブルグ音楽院教授のヴァイオリンの名手に「演奏不能」と拒否されたことで、技巧的な面がクローズアップされがちですが、美しく躍動的で、洗練された中にもロシアの民族的な顔をのぞかせ、オケとの対話も魅力的な名曲です。
今回ソリストはニューヨーク在住の松山冴花氏。新響はブラームス、ベートーヴェンの協奏曲を共に演奏してきましたが、さらに深みのある演奏を期待しています。
民族的な作風でチャイコフスキーの後継者ともいわれたグラズノフの美しい小品とともにお楽しみください。 (H.O.)