ウィーンとシェーンベルクの想い出
松井祐介(Cb)
私が大学1年生の時、とある弦楽アンサンブル団体の演奏会を聴きに行った。まだオーケストラを初めて間もなかったせいか、一曲目の「リュートのための古代 舞曲とアリア第3組曲」の冒頭の美しさに驚いたことは今でも思い出すほどであった。その演奏会のメインがシェーンベルクの「浄められた夜」(以下「浄夜」)であった。シェーンベルク若書きの調性時代の作品、トリスタンの影響が強いという知識は知っていたが、実際は全く聴いたことのなかった曲だった。そして実際聴いてみて、極めて退屈であった。序盤のクライマックスでワーグナー風にH-durの和音を響かせるところは鮮明に覚えているが、それ以外は全く曲の内容がつかめず、20数分間がとてつもなく長く感じてしまった。最悪の第一印象の後、浄夜には全く縁がなかった。
約1年後の2年生の時、大学OBオケがウィーンに演奏旅行に行くことをOBから聞いた。話によるとコントラバスが足らないようで、団員でもない私もついていくことができたのだ。かのムジークフェライン大ホールでの演奏そのものについては、しかし今回のテーマではない。
ヨーロッパには高校時代に家族でパック旅行で行ったことはあったが、本格的に行動を一から決める海外旅行は初めてであった。早速仲間との観光予定を立てるためにガイドブックを買って読んでいると、ウィーンという街は音楽の街ならず世紀末美術の街でもあることが詳しく紹介されていた。そこに出ていたクリムト、シーレ、ココシュカというウィーン分離派を代表する絵画作品を見て大いに興味を引かれた。
当時美術には関心がなかったわけではなかったが、分離派は縁がなく不勉強であった。昔たまたまテレビで見た「ユディトI」の艶かしい表情は一目見て以来強く印象に残っていたが、その作品名と作者がクリムトということはウィーン旅行がきっかけでわかった次第であった。分離派などの世紀末絵画についてはガイドブックで下調べをしはしたが、やはり現地で本物を見るという経験は、ウィーン世紀末絵画をより身近なものにしてくれた。厳密に言えば私にとって絵そのものを「見る」ことよりも絵が存在する場を「体験する」という経験のほうが重要であった。ベルヴェデーレ宮殿で見た「接吻」、「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像I」(*)の巨大な金ぴかの絵画そのものには確かに圧倒されたものだ(件の「ユディトI」は想像よりずっと小さい作品であった)。しかしウィーンの街が持つ言葉では言い表せない「雰囲気」を肌で味わったことが、私の感受性を変えたのでなはいかと思う。確かにマーラーもシェーンベルクもあの時代、あの街にいたのだ!黄金のムジークフェライン大ホールとクリムトの金箔の絵画は確かにウィーンという街の美意識を表しているものだ。
帰国後しばらくして、不思議とシェーンベルクの「浄夜」は身近なものに感じられるようになった。ブーレーズ指揮ニューヨークフィルの名盤 (ジャケットはあの「接吻」!)を購入し、全曲何度もリピートして聴くほどはまりこんだ。あれほど退屈に思えた「浄夜」が一転大好きになったのも、クリムトの絵画を通じて体感したウィーン世紀末の雰囲気を味わったウィーン旅行のお陰だと感じている。
もうひとつウィーンで印象深かった経験として、ザッハートルテで名高いホテルザッハーのカフェでザッハートルテを賞味したことを挙げたい。一緒に食した団員の方々はその日本人の標準的味覚を越えたあまりの甘さに辟易してしまっていたが、お一人(男性)だけがおいしそうに召し上がっていた(他の人が残した分まで!)。彼は「この甘さこそブラームスのドルチェ!」などとのたまっていた。なるほど西洋クラシック音楽を演奏するには日本人の感性を超えたものを受け入れるだけの度量が必要ということであろうか。それ以来あのザッハートルテは食する機会はないが、再び食する機会があればあの暴力的なまでに 甘いチョコレートケーキがかつてとは違ったように感じられるかもしれない。
新ウィーン楽派が苦手な人は、回り道をしてでも他の角度から世紀末ウィーンにアプローチしていくものよいかもしれない。ウィーン旅行はなかなか適わないにしても、ザッハートルテなら日本でも味わえる。ザッハートルテの濃厚さはシェーンベルクの濃厚さに繋がる…かも?
(*)「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像I」は現在はニューヨークのノイエ・ギャラリーに所蔵されている。)