HOME | E-MAIL | ENGLISH

小山 清茂氏を偲ぶ

松下俊行(フルート)

 去る6月6日、作曲家の小山清茂氏が亡くなった。享年95。最近公の場に出る事も少なく、やや忘れられた感が無いでもなかった。が、代表作である『管弦楽のための木挽歌(こびきうた)(1957)』は、今では小学校の音楽の教科書に鑑賞教材としても載る、すなわち日本の初等教育を受けた者は誰しも耳にした事のある、日本の管弦楽作品となっている。
 俗に「木挽きの一升飯」と言われた、木を挽く重労働(と僕は想像している)と共に、口をついて出た彼らの即興歌が、やがて村の盆踊りの節となり、更には歌い継がれ、口ずさまれて都会に於いても人口に膾炙(かいしゃ)するという、音楽(民謡)の生成過程を辿るこの作品は、その冒頭の木を挽くのこぎりの音の描写からして、その複雑なハーモニーをものとせず、印象深い。「盆踊り」の楽章も素材となる旋律は素朴そのものなのだが、その切れ目にその都度入る合いの手は、よく聴くと非常に斬新な和声に満ちている。そして大団円に至った後に残るバスクラリネットによる最初の旋律のつぶやき・・・素朴な素材と斬新極まりない技法。「よく出来ているなぁ」と何度聴いても唸ってしまう。事実この曲の人気は初演以来高まり、作曲者自身によって吹奏楽用にも編曲(1970)されている。今では吹奏楽版の演奏頻度の方が、その演奏人口の裾野の広さを反映して、遥かに高い。
 新響が「日本の交響作品展9」として小山氏の個展(1985年4月。第107回定期演奏会)を取上げたときの事だ。芥川氏は敢えてこの『木挽歌』を候補から外し、氏の作品の中では比較的演奏頻度の低いものを選定すると共に、新響のために作品を委嘱した。作曲者は、邦楽器を用いた旧作をベースに短時日のうちに1曲を完成させている。今日『管弦楽のための「うぶすな」』として記録されているものがそれである。
 「うぶすな」とは産土。すなわち自分の生まれた土地の事であり、その語にはわが遠い祖(おや)たちから連綿と続く、風土への愛着が籠(こ)められている。人智の及ばぬ荒ぶる自然のもたらす音は言うに及ばず、辛うじて手なづけうる自然との共生の中で営まれてきた様々な年中行事や、死と再生の折々に行なわれる産土神への祭礼などに於いて耳にする様々な歌や楽の音・・・神主の上げる祝詞(のりと)の抑揚までも・・・20世紀の初頭、「文明」の入り込む以前の信州の里に生まれた小山氏にとって、それが親しむ事が可能な「音楽」のすべてだった。この音こそが氏にとっての「うぶすな」であり、作品の基調となっている(これはこの作品に限った事ではないが)。

 さて1985年1月下旬のある晩、東久留米市のご自宅に単身伺った。委嘱されていた作品が完成し、沿線を通勤路にしていた僕に、そのスコアを受領するという大命が下ったためである。小山清茂というと、何となく「吹奏楽側の人」の印象が強かった。前述の『木挽歌』の吹奏楽版に続いて、吹奏楽用の作品を数々出しており、例えば『バンドジャーナル』誌上にも氏自身による自作の解説や、演奏への鋭い批評が載っているのをよく目にしていたせいでもある。1980年にはコンクールの課題曲も作曲している。
 考えてみればこの時点で小山氏は古希を迎えており、流布されていた往時の肖像の印象は消えていた。物腰の柔らかい老人であって、その訪問の折も、信州の田舎から送られてきたという林檎をご馳走になりながら、幼年期の話や上京して教員によって結成されたオーケストラでフルートを吹いていた頃の話などを伺った。
 肝腎の用件を忘れていた訳ではない。新作のスコアを渡されると、自身で装丁したとしか思われないその冊子の表紙には、毛筆で「うぶすな」と毛筆で自書された題簽(だいせん)が貼られていた。そして
 「こうやって依頼された作品の場合、ほかの 人(作曲家)は、そちらのオーケストラに 総譜を奉納しているかね?」
 と質問があった。
 なるほど「奉納」か。いかにもこの作曲家らしい言葉に思われた。そこには自分の作品に対する愛着と謙遜があり、それを音として表現してくれる相手に対する深い感謝と畏敬の念に溢れている。そして更にはそれを言葉としてこの世の中に伝えるにふさわしい朴訥(ぼくとつ)な人格があった。時を経て、世の人として慌しく生活に追われ続ければ、そうした感情や人性を保つ事が、如何に難しいかを知った今、その時の事を想い出して殊更に胸が熱くなる。
 が、厚顔無恥な当時の僕は、実態を良く知りもせず、そうですねそういう人もおいでです程度の情けない返事をその場でしたような気がする。世の中の権利意識が肥大した現在では、この人のように献呈のためにスコアを作成する作曲家はまずいないと言って良い。

 2ヵ月後にこの『管弦楽のための「うぶすな」』は初演された。そしてその後他で再演された話を聞かない。新響に「奉納」されたスコアは、死蔵されたままになっているのではなかろうか?
 またこの個展の録音は「小山清茂管弦楽選集(FONC-5062)」として市販されたが現在は廃盤となっており、この録音自体が今では全く知られていない。つまり『うぶすな』は初演以後、音として全く聴けない作品となっているのである。作曲者の死を契機にするのは不本意ではあるが、この作品の再演は検討の俎上(そじょう)に乗っても良いように思う。

 小山清茂氏は1914年の生まれ。伊福部昭・早坂文雄両氏と同年である。早世した早坂氏の「晩年」の肖像と、ふたりの老大家のそれとを比較しても、なかなか同年のイメージは抱きにくい(中島敦と太宰治と松本清張が同年生まれと言われてもピンと来ないのと同じだろう)。
 だが3人の残した仕事を想えば、小山氏の死によって「ひとつの時代の終わった」などという表現が如何に皮相的で何も語っていないか、改めてわかろうというものである。
このぺージのトップへ