『スキタイ組曲』の思い出
倉田 京弥(トランペット)
■30年ぶりの再会
私がまだ高校1年生だった頃の冬。秋田のさらに田舎の高校の吹奏楽部の部室で、息を白くしながら、私たちは来年の吹奏楽コンクールでどんな曲を演奏するのかと熱く議論をしていました。
当時は、ストラヴィンスキーのバレエ音楽『火の鳥』や『春の祭典』、バルトークの『舞踏組曲』など、派手に盛り上がり、かつコンクールの制限時間に納めやすい組曲ものが吹奏楽の世界では流行っていました。
そのうち、友人の一人が「これなんかいいんじゃない?」と聞かせてくれたのが、プロコフィエフの『スキタイ組曲』でした。
数年前に亜細亜大学が吹奏楽コンクール全国大会で演奏したその曲は、圧倒的な迫力でまさにコンクールにはうってつけ。さらに木管楽器の精緻なアンサンブルは私たちの度肝を抜きました。
すぐに譜面を取り寄せてコンクールに向けて練習を始めたものの、あまりの難しさに歯が立たず、苦闘すること数ヶ月。やっと譜面の音を並べる程度にはなったものの、もともとのオーケストレーションがとてもバランスが難しく、さらに編曲した吹奏楽版では弦楽器がいない分表現力の幅が限られるため、解釈や表現を巡ってまさに夜を徹して議論を重ねたものでした。(ちなみに、私はこの曲で生まれて初めて「ピッコロトランペット」というものを吹いたのですが、あまりの音の高さに初回の練習で酸欠状態になりバッタリ倒れたというおまけも付きました。)
今回、30年ぶりに『スキタイ組曲』を演奏することになり、当時の演奏会プログラムを出してきたり、同級生にメールを出したりしていると、まるで高校生に戻ったかのように当時の情景が思い出されてきます。
■スキタイとは?
そもそも「スキタイ」って何?というのが高校生だった私たちの最初の疑問でした。
高校の世界史の教科書でさえ、ほんの僅かしか登場しない「スキタイ」という民族の神秘性も私たちが『スキタイ組曲』に熱中した一因でした。
スキタイ民族は、ユーラシア大陸の中央部にある黒海北部からカスピ海北部、現在のウクライナからロシア、カザフスタン地方にまで広く及んでいた遊牧民族でした。
その歴史は古く、古代ギリシャの有名な歴史家ヘロドトスの『歴史』の中にも登場するほどで、紀元前8世紀から3世紀ごろまで繁栄し、最盛期には現在のエジプトの近くにまで勢力を拡大したようです。
スキタイ民族の特徴は、何と言っても騎馬民族の機動性と黄金の装飾物などにみられる独自の芸術性です。勇猛果敢な行動力と繊細な心を持ち合わせた中央アジアの覇者と言えるでしょう。
スキタイの戦士
スキタイの美術は、動物文様や戦いの場面などを写実的な彫刻や装飾品などに表すことが多く、現在でもエルミタージュ美術館の重要な所蔵品の一部となっています。
また、宗教観も独特で、初期には遊牧民族らしく自然に根ざした大地や天の神、火の神などを崇拝していましたが、そのうちギリシャ文化やペルシャ文化などの浸透とともに、海の神ポセイドンなども信仰に加わるようになったようです。
黄金の髪飾り
黄金に宝石をあしらった耳飾
■スキタイ組曲の魅力
スキタイ組曲は、プロコフィエフが24歳の時の作品です。彼のヴァイオリン協奏曲第2番を聞いた、バレエ興行士ディアギレフの誘いを受けて、プロコフィエフは、スキタイ人を題材としたバレエ音楽『アラとロリー』の作曲に取り掛かりました。
しかし、構想段階でピアノ版を聞いたディアギレフは「これはストラヴィンスキーの『春の祭典』の二番煎じではないか」と言って受け取りを拒否してしまいます。
こうして本来バレエ音楽となるはずだった『アラとロリー』は、演奏会用の管弦楽組曲『スキタイ組曲』に書き直され、本来のタイトルであった『アラとロリー』が添えられることになりました。
『スキタイ組曲』の魅力は、何と言っても『春の祭典』や『火の鳥』を思い起こすような壮大なオーケストレーションと色彩感でしょう。
自然崇拝に基づく善と悪、光と闇の世界を巨大な楽器群を従えて大胆かつ繊細に表現しています。
演奏者にとっては表現の度を越してしまうと、単なる粗野で暴力的な音楽になったり、不安定な音程の貧弱な演奏になったりする難曲でもあります。
組曲は、次の4つの曲から成っています。
1:ヴェレスとアラへの崇拝
スキタイ人の太陽信仰を表す、燦々と降り注ぐ太陽のような導入部に導かれて、凶暴な太陽神ヴェレスが降臨します。自然の持つ絶対的な力は、オーケストラの楽器群全体を飲み込みますが、ヴェレスが去った後には太陽神の娘アラが登場し、優しく柔らかな主題が演奏されます。
2:邪教の神チュジボーグと悪の精の踊り
スキタイ人がアラに生贄を捧げていると、邪教の神チュジボーグと悪の精たちが野蛮な踊りを繰り広げます。
逃げ惑う人々を尻目に、チュジボーグと魔物達は高笑いをしながら暴虐の限りを尽くして村を混乱に陥れます。
(余談ですが、20数年前この曲が「桃屋のいかの塩辛」のCMに使われていて、強烈なインパクトがありました。それ以来この曲を聞くと塩辛が食べたくなります。)
3:夜
チュジボーグは夜に乗じて村に忍び込みアラを奪おうと襲いかかります。
アラを守る月の女神たちが歌を歌って慰めます
1-2曲目が「太陽神」と「邪教の神」
3-4曲目が「夜」と「太陽」
1・4曲目では太陽神が登場し、2・3曲目では邪教の神が登場するという形式。
4:ロリーの栄えある出発と太陽の行進
勇者ロリーがアラを救いに現れます。太陽神ヴェレスは勇者ロリーにチュジボーグの弱点を教え、邪教の神と悪の精たちを打ち負かします。勇者と太陽神が勝った後、日の出を表す音楽とともに勇者は次なる地へと旅立つのでした。
「派手で騒々しい曲」という印象が強く、なかなか演奏される機会の少ない曲ではありますが、バレエ音楽として構想され、本来であれば豪華なセットや衣装をまとって展開される物語であったことを考えると、少しばかり過度な表現も頷けます。
プロコフィエフは『スキタイ組曲』を書いた数年後に、日本を経由(大森に数ヶ月間滞在)してアメリカに亡命し、作風が大きく変わりましたので、『スキタイ組曲』はロシアしか知らない時代のプロコフィエフの貴重な作品と言えるかも知れません。
新響の演奏で、20世紀初頭のロシアと、その時代の人々が熱中したバレエ音楽や民話に思いを馳せて頂けたら嬉しく思います。