『巨人』とは?
小松 篤司(Vn)
…さて、ちょっと困ったことになっている。あろうことか、この維持会ニュースの原稿を用意することとなってしまった。7月の演奏会で取り上げるマーラーをネタに、何でもお好きなようにとの依頼(指令)であったが、どうしたものか。自由に書くと言っても、何しろ音楽史・音楽理論の方面にかけては新響随一の不良団員(ヘタレ)である自覚がある、この私。中々筆が進みそうにない。
マーラーといえば、前回演奏会の『大地の歌』に引き続き、2回連続で取り上げることとなる。演奏するのは、交響曲第1番。通称は、『巨人』。いわゆる、名曲である。そこで、『巨人』ネタで何か書けないものかと考えてみた。まず思い浮かんだのが、私のこよなく愛する某在京プロ野球球団。明日の試合の予告先発は…って、そっちじゃない。そう、肝心のマーラーの『巨人』のことについて、実はほとんどわかっていなかったことに、今更ながら気付いてしまった。
とはいえ、これもいい機会だと、不良団員なりに心を入れ替え勉強してみることとした。以下、リサーチした内容を基に、細かい点で誤りもあろうかとは思うが、「巨人」について考えてみようと思う。
■1:『巨人』というタイトル
そもそも、このマーラーの交響曲第1番は、なぜ『巨人』と呼ばれているのだろうか。マーラーがJR水道橋駅徒歩5分の某野球場で、私のようにビール片手にメガホン振り回し、絶叫、時に熱狂していたわけでないことだけは、確かであるが。
このタイトルの由来は、実は小説の題名である。ドイツ・ロマン派の作家ジャン・パウルが、1800年から1803年にかけて執筆した長編教養小説『巨人』を、マーラーは青年時代から愛読していたとされている。そこで、本作品を作曲するにあたり、『巨人』というタイトル及び各楽章の標題(詳細は後述)を、小説の内容にあやかって名付けたというわけである。なお、余談であるが、本作品はドイツ語だと、”Titan”。英語でも、同様。ちょっと期待していたが、残念ながらGiantではないらしい。
もっとも、この『巨人』というタイトル、実は後にマーラー本人の手で削除されてしまっている。意外ではあるが、一般に広く呼ばれている『巨人』とは、あくまで本作品の通称にすぎないのである。 マーラーにとって曲のタイトルと各楽章の標題は、本作品を一般の人々に理解しやすくするための「道しるべ」的な位置づけに留まるものであった。すなわち、これらの趣旨は、本作品に文学的な意味をもたせることではなく、楽章相互間、楽章と全体との関係を理解してもらうための、手がかりを与えることにすぎなかったのである。タイトル等が独り歩きしてしまうことで、かえって聴衆の誤解を引き起こし、本作品を正当に理解する妨げになることを後に懸念し、マーラーはタイトル等を全て除去してしまったというわけである。
とはいえ、元の小説の内容がほとんど忘れ去れている現代にまで、「巨人」の通称は広く語り継がれている。文学的な意図こそなかったことがはっきりしているものの、小説「巨人」と本作品とは、本当に全く関わりがないものであったのだろうか。
小説『巨人』の内容は、天才的で奔放な主人公が恋愛その他の人生経験を積みながら、円満な性格になっていくまでの経緯を描いたものであったらしい。私なりに勝手に解釈するに、現代でいうところの、青春小説のようなテイストであったのだろう。そして、「青春」こそが、本作品に関わるキーワードであるように思えるのである。
本作品の作曲当時、マーラーはまだ20代後半の(おそらくは)血気盛んかつ悩み多き若者であった。20代といえば、俗な言い方をすれば、社会の荒波に否が応でももまれ始める、誰もが体験する大変かつ多感な時期。若者マーラーとしても、自分の今後の生き方に悩みつつも、周囲をとりまく環境や世界に全力でぶつかっていく、そんな情熱に満ち溢れていたのではないだろうか。また、情熱的な青年の悩みといえば、やはり恋愛沙汰(恋愛、そして失恋…)に他ならない。実際、マーラーが友人にあてた手紙には、本作品が恋愛事件を直接の動機として作曲されたものである旨、記されている。
こういった、いわば「若さ故」の感情を原動力として、マーラーは本作品を作曲するに至ったのではないかと、私は考える。こういった作曲の背景に関わる部分において、小説『巨人』の内容と本作品とは、リンクしてくるところがあるように思えるのである。
■2:マーラーという巨人
ここまで、まずは本作品の『巨人』たる由来を見てきたところであるが、そういえばマーラーは、クラシック音楽界の「巨人」と、よく称されている。写真を見る限り、メガネをかけた神経質そうなおじさんくらいの印象しか私にはなかった、このマーラーという大作曲家。一体どのような経歴の人物であったのか、次に検討してみたい。
1860年にボヘミアのカリシュテという村の、比較的裕福な家庭にて生誕したマーラーは、幼少の頃から非凡な音楽の才能を示していたらしい。現代でいうところの、音楽の英才教育的なものも、どうやら受けていたようである。その甲斐と本人の才能もあって、1875年(15歳)にはウィーンに上京し、学友協会付属の音楽院に入学。ピアノ、作曲、指揮等を学び、3年間で優秀な成績を修めて修了した。18歳で大学院修了とは、現代の感覚ではちょっと信じがたいところである。
その後の音楽家としての活動については、指揮と作曲が2つの大きな柱となっている。有名な話であるかもしれないが、マーラーは作曲家としてのみならず、当時は指揮者として各地で名を馳せる存在であった。音楽院卒業後の1880年に、歌劇場の指揮者の地位に就いたのを皮切りに、ヨーロッパ各地のオーケストラを指揮し、着実に名声を上げていった。1897年にはウィーンの宮廷歌劇場の指揮者に就任し、以降ニューヨークのメトロポリタン歌劇場に移るまでの10年間、ウィーンのオペラに黄金時代をもたらしたとされている。
このような指揮者としての華々しい経歴を重ねていった一方で、マーラーは作曲家としても精力的に腕をふるっていた。一般的に、マーラーはベートーヴェンの系譜に連なる最後の交響曲作曲家であると言われている。最初の交響曲である『巨人』を作曲した1888年から1911年に死去するまでの約25年間で、9曲(『大地の歌』も含めると10曲)のいずれも傑作揃いの交響曲を残している。(まさに、1番から9番まで隙なしの、自慢の超強力打線!)なお、交響曲とともに多くの優れた歌曲も残しているが、オペラの指揮者として定評があったにも関わらず、自らのオペラ作品は不思議なことにひとつも作曲していない。
シーズン中は指揮者としての仕事に忙殺される中、マーラーはいわば「夏休み作曲家」として活動せざるをえなかった。そんな中で、いずれも超大作である交響曲等を生み出していったことを考えると、超人的な能力の持ち主であったといえよう。しかも、決して「やっつけ仕事」的な作品はひとつもなく、脱稿後も改訂補筆を繰り返す等、いずれの作品も細部のオーケストレーションにまでこだわりぬいて作曲されている。さらに、指揮者の経験からなのか、他の作曲家に比べ譜面上の演奏に関する指示が数多く、やたらと細かいことも、大きな特徴である。(私のような不真面目な演奏者であっても、必然的にドイツ語の勉強をせざるを得なくなるのである。)
自分の交響曲を指揮することも多く、1889年の『巨人』のブダペストでの初演の際も自らタクトをふるっている。もっとも、観客の評判はあまり芳しいものではなく、敵意ある批評や嘲笑的な批判にもぶつかったようである。
■3:『巨人』の特徴 初演当時こそ大衆に歓迎されなかった本作品であるが、現在では19世紀末の交響曲の傑作と評されている。国内のオーケストラで演奏される機会も、比較的多い。(個人的な話になるが、私が初めてマーラーの作品を演奏したのも、本作品であった。)この名曲『巨人』が、いったいどのような構成になっているのか、簡単に見ていきたいと思う。
本作品は、作曲された当時は下記の2部構成5楽章からなる「交響詩」であった。また前述のとおり、当初は各楽章に標題がふられていたが、後に全て取り除かれている。
●第1部 青春の日々から。若さ、結実、苦悩のことなど。
・第1楽章 果てしなき春。序奏は明け方のはじまりのころの自然のめざめを描く。
・第2楽章 花の章
・第3楽章 帆に風をはらんで
●第2部 人間の喜劇
・第4楽章 座礁。カロの書式による葬送行進曲。
・第5楽章 地獄から天国へ。
このうち、元来の第2楽章『花の章』は、1896年のベルリンでの演奏会にあたり削除され、本作品は現在のかたちである4楽章からなる「第1交響曲」となった。日の目を見ることがなかった『花の章』であるが、譜面が第2次世界大戦後に発見され、近年では独立して演奏されることもある。この楽章のカット理由については、正確な理由は未だ明らかになっていない。少なくともこの改訂により、本作品の演奏時間は約50分間と、マーラーの交響曲にしては比較的短いものとなっている。
また、本作品はほぼ同時期に作曲された歌曲『さすらう若人の歌』と、不即不離の関係にあるとされている。というのも、一部の旋律が何とそっくりそのまま用いられているのである。具体的には、『巨人』の1楽章第1主題と『さすらう若人の歌』の第2曲『朝に野辺を行けば』、『巨人』の第3楽章中間部と『さすらう若人の歌』の第4曲中の『菩提樹』の旋律である。マーラーの歌曲と交響曲との関係について、素材や様式的類似性の共有が認められるものは多いが、『巨人』と『さすらう若人の歌』ほどわかりやすい例は、他にはない。
この歌曲は、恋人を他の男に奪われてしまった若者の悲運を歌ったものであり、内容的に『巨人』作曲の背景ともつながりがあるように見える。前述のとおり、当時まだ20代の若者であったマーラー。自分の生き方に迷っていた『さすらう若人』でありつつも、音楽界の『巨人』への道を着々と歩み始めていたのではないだろうか。
■4:新響の「巨人戦」
以上、何とも雑駁な文章になってしまったが、私なりにマーラーについて調べてみた結果である。調査していく中で、本作品に対するイメージが、私の中でも少しずつ具体化されてきた。まだまだ若輩者で、ひたすら「さすらい続ける若人」な私ではあるが、次の演奏会では少しは良い感じのパフォーマンスができそうである。この根拠のない自信を確信に変えて「情熱的」な演奏をすべく、(なるべく)ナイター観戦の時間を少しばかり削り、日々の個人練習に費やしていきたいと思う。
最後に、演奏会の宣伝を。次回演奏会では、ソリストに松山冴花先生をお迎えし、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲と、この『巨人』を、飯守泰次郎先生の指揮で取り上げさせて頂くこととなっている。7月22日(日)のデーゲーム(14時開演の昼公演)、会場は東京ド…ではなく、オペラシティコンサートホールでの、新響・「巨人戦」。ぜひご来場の上、我々の熱演をお楽しみ頂き、(終演後には)熱い拍手と声援を頂ければ幸いである。
○ 参考文献
「作曲家別名曲解説ライブラリー① マーラー」(音楽之友社)
「大作曲家マーラー」ヴォルフガング・シュライバー著・岩下眞好訳(音楽之友社)