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ブルックナーの交響曲第5番

松下 俊行(フルート)


 私事から話を始める事をお許し願いたい。私は1982年9月に新響のオーディションを受け入団を果たした。という訳で今年在団30年を迎えた事になる。青雲の志を抱いて社会に出帆し、「世のアマチュアオーケストラの隆盛をこの手で実現せん」と勇んでこの集団に参加した24歳の青年も、いたずらに馬齢を重ね、今や自分の年金支給開始年齢を気にするテイタラクとなっている。
 世の中もこの30年の間にベルリンの壁は取払われ、ソ連は崩壊し、白人以外の米大統領が現れて、日本の総理大臣は18人(!)替わった。そうした時代の激流の渦中・・・つまり明日何が起こっても不思議は無い!という時代に身を置きながらも、新響がブルックナーのこの交響曲を取上げる日が自分の在団中にやってこようとは、流石に予測出来なかった。今やわが身の不明を恥じる日々を送っている。

 
◆アマチュアオーケストラに於けるブルックナー
 概してブルックナーの交響曲はアマチュアオーケストラの演奏会プログラムとしては取上げにくい。理由はいくつかあるが「難度」と「長さ」と「編成」は必ずついて回る問題に違いない。簡単に言えば、長いのでメインに据えなければならないにもかかわらず、管打楽器の演奏に要する人数が少なく、その癖演奏が難しいという事である。
 これも私事になってしまうが、私が早稲田大学交響楽団に入団したのが1977年4月。その時既にこの団体では2ヵ月後の演奏会に向けてマーラーの第4交響曲を練習していた。翌年の1月には山岡重信氏の指揮でブルックナーの交響曲第7番を演奏している。その年の9月には『カラヤンコンクール』での優勝を果たしているのだから、一定以上の技術的基盤は築きつつあった時代だ。これが学生オケの中では早期の例で、この頃から遅まきながら徐々にブルックナーが取り上げられるようになったと記憶している。
 また同じ1978年の7月には在京の学生オケ選抜メンバーによる「ジュネス・ミュジカル・シンフォニー・オーケストラ」によって、山岡氏の指揮で第9番が演奏されている(『青少年音楽祭』於・NHKホール。この演奏会の詳細については、第209回定期の維持会ニュースに、同じ参加メンバーだったテューバの土田恭四郎氏が『ブルックナー三昧だったあの頃』で記述している)。私もオーディションに通り、この集団の技術レヴェルについて体感している。本来このオーケストラは選抜メンバーであるだけに、所属する自団体独自では演奏が困難なプログラムを演奏する事をひとつの目的としていた。そこでブルックナーの最後の交響曲が対象となった事実は、今から35年近く前のアマチュアオーケストラに於ける技術面から見たこの作曲家の位置づけを想像させるに充分であろう。

 「長さ」は「編成」の要素と相俟ってプログラム構成上の時間配分と「出番」の問題として顕れる。概して70分を超える作品をプログラムのメインに据えると、まず3曲構成にする事は困難になる。2曲構成・・・しかも他の1曲はごく短いものを据えざるを得ないという著しくバランスを欠いた形になってしまうケースが殆どで、これでもメインの曲の編成さえ大きければ、ひとまず軋轢は回避できる。ブルックナーと同じような長さを持つにもかかわらず、マーラーの交響曲が取り上げられる頻度が比較にならぬほど高いのは、こちらは管・打楽器が大編成であるため、メンバーの出番が確保されるからである。アマチュアオーケストラに於けるプログラムビルディングにはこうした内部事情ゆえの偏りが生じる事を完全には避けきれない。それは新響のように年4回もの演奏会を持ち得る団体であっても例外ではないという事だ。こうして改めて考えてみるとブルックナー愛好者(私もその端くれ)にとってはなかなか厳しい世界である事を考えさせられる。

◆第5交響曲=ブルックナー「らしさ」の追求=
 そうした中でもとりわけこの第5交響曲は更にプログラムに載る事が少ないのは、長さや編成や技術的な問題に加え、「扱いにくさ」にあるように思える。必ず問題になるのが終楽章であろう。一般にこの作曲家の交響曲の終楽章は、その長大・雄渾な第1楽章から続く他の2つの楽章と比較して、明らかに尻すぼみになっているものが多い。形式も定まらず総花的な展開の果てに短い終結部がついて「唐突」とさえ感じられる終止。ひとまず盛り上がってはいるものの、終楽章のみを見てもやや首をかしげざるを得ず、況して作品全体からみると著しくバランスを欠く。最も演奏されているであろう第7・第8交響曲然りで、演奏する側はこのアンバランスを前提として(それしか選択肢は無い訳だが)演奏に必要となる様々な力の配分を組み立てる事になる。「何だか釈然としないが、ブルックナーとはそんなものだ」という認識が何となく醸成されて、今もあるがままが受け容れられた演奏が繰り返されている。

 そのような認識や尺度を基盤として第5番に向かうと、その長大にして緻密に書かれたフィナーレを前にして戸惑いを禁じ得ないだろう。ひと言で表せば「わかりにくい音楽」という事だ。初めにそれまでの楽章の全てが回想される。これを以ってベートーヴェンの『第九』と比較する向きもあるし、その後三重フーガが出てくるとなれば、況してこの偉大な先達が示した交響曲の到達点をなぞっているようにも見える。
 だがブルックナーの書いたこの終楽章は、『第九』のような整然さを備えておらず、ある部分で野卑であり、他の部分ではより神聖で厳粛である。謂わば「聖なるぼくとつ朴訥」としか表現し得ないものがそこに展開されているように思えてくる。少なくとも作曲家が書いた通りの音を出し、テンポに従っていくとそうなる・・・ように感じる。「聖なる朴訥」とは、微妙な言い方になるが「健常者には決して備わる事の無い聖性」のようなものだと個人的には考える。そしてそれがブルックナー「らしさ」の非常に重要な要素になっているという事も。絶筆となった第9番の終楽章(それは草稿のみが存在する)も、こうした荘厳な建造物を思わせる構成と性格を持っていた。つまり作曲家にとって、究極的に実現されるべき終楽章の原形が、第5交響曲に既に予感され、現実の形となっていたと考えるべきなのではあるまいか?
 だが残念ながらこうしたものに直面し、理解し、現実の音によって表現しようとすると、どうしても我々の常識に基づいて何かを仕掛けてしまいがちである。すなわちテンポや強弱など、譜面に書かれたものを「不自然」と捉えて敢えて無視し、「常識的な」音楽に作り変えてしまう。「ブルックナーとはそんなものだ」という訳である。世の中に広く流布している「名演」と言われるものにもこうしたものが多くある。これは極めて残念な事とせざるを得ない。

 今回新響は第5番を初めて演奏するに当たって、指揮者である高関 健氏のこの曲に対する・・・とりわけ終楽章に対する・・・意向を正しく反映するべく、真摯に取り組んでいる。それはあるがままの音によってブルックナーらしさを追求するという行為にほかならない。技術的な課題の克服をしつつ(アマチュアオーケストラがこの作曲家の作品を手がけて40年近い時間が経過しても、容易に解決しない)、こうした追求に努める事は、かつてなかなか顧みられなかった部分であるだけに大きな価値がある。アマチュアに限定せずともブルックナー演奏史にとって、ひとつの事件として語られるコンサートにしたい。
 学生オーケストラによるブルックナー演奏の草分け時代を知る「老兵(私の事。念のため)」の願いは、まさにこれに尽きるのである。

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