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維持会会員の方からの投稿です

新響維持会員S.K.(会員No.72)様



 今年4月で新響さんを聴かせていただいて丸42年になるS.K.です。維持会ニュースNo.132(2012年12月20日発行)掲載の、都河和彦氏による『新交響楽団在団44年の思い出-①(以下思い出-①)』ならびに松下俊行氏による『ブルックナーの交響曲第5番』を拝読していくつか想う所がありましたので、維持会ニュース編集人・松下氏のご許可を得て投稿させていただくことにしました。

 1:まず、都河和彦氏に厚く御礼申し上げます。永年にわたりコンサート・マスターを務められ、多くの団員の方々をリードされ、数々の名演を聴かせてくださったことに心から感謝しています。
 私が初めて新響さんを聴かせていただいた1971年4月の時点で都河氏はすでに“新響の顔”でいらしたと私は記憶しています。コンマスを退任されてからは永年にわたって向かい合って演奏されてきた“盟友”の柳澤秀悟氏の後方でVa.を弾いていらっしゃいましたが、都河氏がステージ上においでになるだけで新響さんの演奏、音楽創りを安心して楽しむことができたのは私だけではなかったはずです。
 都河氏に関する思い出として、あえて「聴けなかった」演奏を挙げさせていただきます。それは、1978年4月26日の第80回演奏会「小倉朗交響作品展」第2夜での小倉朗氏のVn.協奏曲の独奏です。同年4月1日の第79回演奏会「小倉朗交響作品展」第1夜は聴かせていただけたのですが、第2夜当日は(私の記憶に間違いがなければ、JRに分割される前の)日本国有鉄道のストライキがあって聴きに行くことはできても帰宅できなくなる危険性が高かったため、行くのを断念してしまいました。絶対に聴いておくべき演奏会だった、と今でも悔やんでいます。なお、これからは同じ維持会員として新響の演奏を一緒に楽しんでいけたらいいな、と勝手に考えているところです。

 2:都河氏の『思い出-①』により、私が新響さんを聴かせていただくようになる前の新響さんの活動その他がよくわかりました。中でも、

・1965年には年17回以上!のコンサートをこなされたこと、
・現在アマ・オケのラスベート交響楽団さんの指揮者などとして活動されている秋山俊樹氏がかつて新響さんのコンマスを務めていらしたこと、
・芥川也寸志先生のダンディーぶりや“独裁”ぶり、

 はとても興味深く拝読しました。私が新響さんを初めて聴かせていただく直前の1970年11月に外山雄三氏を客演指揮者に迎えられた際に打ち上げの席で「もうアマチュアは振りたくない」という意味のことをポロっとおっしゃった、というエピソードは客席にいるだけの立場では知りえないことなので、記していただいたことに感謝いたします。新響さんがマーラー(交響曲第1番)に挑戦された演奏会や若き日の小林研一郎氏が新響さんを指揮された演奏会は、私も客席で聴かせていただいたので今でも覚えています。

 3:私が42年にわたってオーケストラ演奏会を聴き続けるキッカケとなった演奏会のひとつは、1975年6月1日に渋谷公会堂で開かれた芥川也寸志先生指揮の新響さん演奏によるストラヴィンスキー三部作の演奏会でした。因みに、もうひとつは1977年12月22日に東京文化会館大ホールで開かれた渡邉暁雄氏指揮による東京都交響楽団第102回定演(マーラー交響曲第6番他)です。三部作の演奏会で『ペトルーシュカ』のピアノ・ソロを担当された渡辺達氏が2012年4月にお亡くなりになっていたことを都河氏の『思い出-①』によって知りました。アマ・オケのレヴェルが向上した現在でも、『ペトルーシュカ』は容易には演奏することのできない“難曲中の難曲”だと私は考えています。三部作演奏会の前年1974年にも新響さんは『ペトルーシュカ』を演奏されていますが、その時もピアノ・ソロは渡辺氏でした。両方とも聴かせていただいた私は、「あの2回の『ペトルーシュカ』演奏は、芥川先生と渡辺氏がいらっしゃらなかったらできなかったのではないか」と今でも思っています。この紙面をお借りして渡辺氏のご冥福をこころよりお祈り申し上げます。

 4:都河氏の『思い出-①』の終わりの部分と松下氏の文章の前半『アマチュアオーケストラに於けるブルックナー』部分とに、山岡重信氏指揮による3つのブルックナー交響曲演奏について触れられた記述があります。その3つとも会場で聴かせていただいたこともあって、私には強い思い出があります。

 1975年10月の新響さんによる第4番は確か日比谷公会堂での演奏でしたが、大きな空間いっぱいに響きわたる大音響が耳に快かったのを覚えています。新響さんにとって初のブルックナー交響曲演奏で、当時のホルン・セクションは現在と全員異なっていますが第3楽章での一体感のある演奏は見事でした。

 1978年1月の早稲田大学交響楽団さんによる第7番の演奏には母高の吹奏楽部の同期生が乗っていたこともあり、ひと際印象に残っています。私は小学校・中学校のオーケストラも含めて100団体を超える学生オーケストラの演奏会を250回程聴かせていただきましたが、モーツァルトの『魔笛』序曲、ラヴェルの『ダフニスとクロエ』第2組曲、ブルックナーの交響曲第7番が演奏されたその定演はその250回程のコンサートの中でも間違いなくNo.1の演奏会だったと今でも思っています。

 1978年7月のジュネス・ミュジカル・シンフォニー・オーケストラによる第9番は、東大、早稲田、慶應、上智、明治・・・・各大学オケから選抜された方々による演奏だっただけにその技術レヴェルは極めて高いものでした。ただ、演奏の一体感という点では、新響さんによる第4番や早稲田大学交響楽団さんの第7番のほうが優れていたと思います。

 5:新響さんによるブルックナー交響曲第5番の演奏は今回が初めて、というのは意外でした。約150回も演奏会を聴かせていただいたのに私はしっかり記憶していなかった、ということになります。

 私が初めてブルックナー第5番の演奏を聴いたのは確か1980年頃で白柳昇氏指揮による明治大学交響楽団さんの定演でした。パワーあふれる演奏だった記憶があります。現在の明治大学交響楽団さんでブルックナーのそれも第5番というのはピンときませんが、当時の大学オケはどちらのオケもいろいろな曲目にチャレンジされていました。とはいえブルックナー第5番は演奏機会の少ない曲でした。松下氏のご説明で、“アマ・オケがブルックナー交響曲を選曲することの難しさ”や“第5番の特徴”がよくわかりました。

 かつて朝比奈隆氏が東京の5つのプロ・オケとブルックナーの交響曲第4・5・7・8・9番を1曲ずつ演奏されたことがあります。会場は東京カテドラル聖マリア大聖堂でした。天井の驚くほど高い、残響時間(私の実測で)7秒間という特殊な会場での演奏会で、私は東京都交響楽団さんによる第5番のみを聴きました。通常のコンサート・ホールでは体験することのできない演奏でした。

 今回の新響さんは、音響の良さに定評があるとはいえ1803席あるにしてはコンパクトなすみだトリフォニー大ホールでの演奏ですから、大聖堂での演奏とはかなり異なる演奏になるはずです。それでも、ブルックナー愛好家でいらして「第5番が一番好き」とおっしゃっているという高関健氏の指揮ですばらしい演奏・音楽創りをしてくださるものと確信しています。とても楽しみです。

(2013年1月25日S.K.)
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