音楽に於ける「意味」
■「ヒロシマ」を巡って
佐村河内守(さむらごうちまもる)という作曲家の名と、交響曲第1番『HIROSHIMA』という作品名を目にしたのがいつの事だったか、正確には覚えていないがそれが新聞のCD広告だった事は確かである。10万枚単位で売れているという。アマチュアであろうともオーケストラと名がつくものに籍を置いて長年活動していれば、交響曲を書けるような作曲家なら、大抵その名は耳に入る筈だが、この人の名はそれまで全く知らなかった(「『サムラカワチノカミ』って時代がかり過ぎだが、それで名は何と言うのだろう?」と疑問を抱いたほどである。同じように考えた人が多くいた事は後に知った)。そこには「全聾」とか「現代のベートーベン」の惹句もちりばめられてもいたが、なぜこの21世紀の現代に交響曲であり主題がヒロシマなのか?に最初の違和感があった。
交響曲というジャンルは既に19世紀末にピークを超え、100年以上かけてゆっくりと坂を下りつつある。それは従来交響曲という形式が表現するに適した浪漫主義の衰退と軌を一にする。20世紀に入ってからの交響曲は、主として(あくまでも主として、だが)前世紀の嗜好が辛うじて通用するような、国家の英雄主義的なストーリーや特定の指導者の賛美(または表裏一体の隠れた呪詛)の為の道具に堕した・・・・と個人的には考えている。そして「芸術」としての交響曲は最盛期の俤とは別の、小規模な作品形態へと変貌を遂げている。このジャンルの作品は残念ながらブルックナーとマーラーが残した巨大な作品群を最後に「絶滅」し、その後に生き残ったものは小さきが故に辛うじて生き残ったという感が個人的にはぬぐえずにいる。それは19世紀から20世紀へという時代そして社会の変転が、交響曲を必要としなくなったという事である。交響曲の存続には、それまでの社会が経験し得なかった特殊なテーマが必要になった。その確かな一端に「ヒロシマ」がある。
だが、かの地の惨禍をテーマとした重要な作品は(それは決して音楽のジャンルにとどまらないが)、既に出尽くしている感を拭えない。大木正夫の交響曲第5番『広島(1953年)』や他ならぬ芥川也寸志の『ヒロシマのオルフェ(1960年)』、有名なペンデレツキの『広島の犠牲者に捧げる哀歌(1960年)など、明確なテーマとして取り上げているものはもちろん、その惨禍に対する作品への反映までを考えれば、真に枚挙に遑もない状況だろう。だが時間の経過と共に、あからさまに正面からこのテーマに取組むという思潮は退いていったように思える。ひとつにはこれが奇妙に政治化されて行った事と無縁ではない。
今でも忘れられない事がある。1980年、学生だった僕はNHKホールで毎年7月に行われていた『青少年音楽祭』の開催に関わる仕事をしていた(もちろん演奏にも参加)。この年の指揮者は井上道義氏。彼を囲んで数人の事務方と選曲の打合せを進める中で、これまで無かった20世紀の作品を演奏してみたいという機運が高まり、井上氏から前述のペンデレツキの『広島の犠牲者に捧げる哀歌』を是非とも取り上げようという意見が出て話がまとまる。ところがこの演奏会を録画・放映するNHKサイドにこの選曲案が伝わるとストップがかかった。考え直して欲しいというのである「ヒロシマ」が政治的なテーマとなってしまい、趣旨や質とは全く無関係に、この都市の題のついた作品を、不偏不党を標榜する公共放送の8月(放映は毎年この時期だった)の電波には乗せられないのだといった趣旨の説明を、担当の洋楽部の偉い人から聞かされる。そして仕方なく武満徹氏の「政治的に」無色透明な作品『グリーン』を代わりに選ぶ仕儀となった。周知の事かも知れないが、この作品は1960年代に日本で初演されるに際し、作曲家の配慮により「ヒロシマ」の名を冠した曲名に改められている。その善意は全く裏目に出てしまった事になる。責められるべきは誰であろう。
新響が細川俊夫氏に委嘱した作品に『ヒロシマ・レクイエム』がある。もちろん新響が広島をテーマにした作品をと依頼した訳ではない。指揮者の今村能氏を通じて話が進むうちに、細川氏からこれをテーマとしたいと伝えてきたのだ。この件が新響の運営委員会に出されると「なぜいま『ヒロシマ』なのだろう?」という議論が起きたのを記憶している。またその際も「政治的な」手垢がつかないか?との懸念の声も上がったと記憶する。だが細川氏自身が広島出身だと判るとそこで議論そのものは解消した。これが1988年(完成・初演は翌1989年7月)の事で、既に四半世紀も前の事になる。
こうした個人的な「ヒロシマ」と音楽作品を巡る様々な体験を踏まえると、佐村河内氏の作品の出現と、世の中の反響には、20世紀の亡霊の印象が拭えなかった。
その彼をNHKスペシャルが特集(『魂の旋律 音を失った作曲家』2013年3月31日放映)するというので、日頃殆ど見ないテレビの前に陣取った。「全聾」の彼がどのようにして作曲をするのか?この一点に個人的な関心は絞られていた。が、番組はひどい出来だった。簡単に言えば、絶え間ない頭痛と耳鳴りの病苦に苦しむ姿、作品を捧げるべく震災の被災地を訪れて、苦吟する姿、そして彼の「作品」に感動して涙する善男善女の姿・・・・が交互に映し出されるばかり。作曲という行為とつながるものは何も無い。
極めつけは苦悶の末に頭の中で完成させたレクイエム(ピアノソナタ)を、記譜する作業の現場に「神聖な行為だから」とカメラを入れさせなかった事。そして一晩経つと浄書された譜面が出来上がっている・・・・「鶴の恩返し」じゃあるまいし・・・・「これは胡散臭い。胡散臭すぎる」と番組終了直後から家人をはじめとした周囲に吹聴し、例外なく閉口された(苦笑)。
今年に入って事実が全て判明するとNHKはこの番組の制作過程を検証し、反省・お詫びを表明した。要は「取材や制作の過程で、本人が作曲していないことに気づくことができませんでした」という訳だが、編集した結果の映像しか目に出来ない立場であってもはっきり「これはおかしい」と感じるレヴェルで、恐らくは制作する側にもそうした違和感を覚える人がいただろう。組織というものに身を置いていれば誰しも経験があろうが、そうして上がる疑問を遮り「それでもやれ」とゴーサインを出した立場の者が必ず存在する。気づかなかったのではなく、気づいた声を無視した、これが実態だろう。真に反省すべきはこの立場の者だが、恐らく永遠にそれが誰かは判らない。
そしてもし本当に気づかなかったとすれば、それは作曲という行為、特に交響曲のような大がかりなものに対するそれへの致命的な理解不足と言える。『現代のベートーベン』の姿に迫ろうとするなら、真に全聾の偉大な先達が、200年以上前にどれほど作曲過程でメモやスケッチを残しているかを調べ(調べようと思えばたやすい事だ)、そうした行為が長大な作品の創作に不可欠である事が理解できたはずだ。また管弦楽用の作品を書けば、そこにはどの楽器にどの音を割り当てるか、楽器同士の組み合わせをどうするかという「オーケストレーション」の作業を避けては通れない。この時作曲家は実演奏の場に立ち会って、その音色を確認する必要がある。ベートーヴェンの時代に比して編成が遥かに大規模になっている現代に於いて、「作曲家」はどう対処したのか?
そもそも交響曲の創造には、よほどの構成力と作曲技法が求められ、頭の中だけで作り出せるものでは決して無い。短い歌謡曲の旋律だけを作曲するのとは違うのである。こうした行為には絶えず断片的ながらも譜面が介在する筈だが、そうしたものは一切当人からは示されず(それもそのはず、佐村河内氏は譜面を書けなかったのだ)、番組では単に外部の専門家に作品の分析を語らせる事でお茶を濁した。事実の発覚以後、この専門家らに対する批判も取りざたされたが、彼らは単に完成した作品を分析しただけで、誰が作曲したかの追求に責任はない。事実を知れば知るほど、杜撰極まりない制作姿勢だった事が判る図式である。
■交響曲に於ける「意味」とは
2001年9月15日付発行の雑誌『タイム』には、佐村河内氏のインタビュー記事が載っている。
氏の経歴と、聴覚に障碍を持ちながらも作曲したゲーム音楽の作品によって、その地歩を固めた半生が紹介された後、次の文章がある。
His condition has brought him a certain celebrity, which he fears may detract from an honest critique of his work. He understands the inspirational appeal of the story of a digital-age Beethoven, a deaf composer who overcomes the loss of the sense most vital to his work. "I used to be able to hide it, to do my work without people noticing it," he says.
"彼の状態(聴覚障害が襲った事)は、確固たる名声(彼はその名声が、自分の作品への偽らざる批判から遠ざけてしまうかもしれない事を怖れている)をもたらしたのである。彼は、デジタル時代のベートーヴェン(下線筆者)・・・・作品への生命線となる感覚(聴覚)の喪失を克服した作曲家・・・・の物語の神秘的な魅力を理解している。「私はみなが、自分が全聾である事に気づかずに自分の仕事を行うため、それをかつては隠しおおせていた」と彼は言う。"
この一文が佐村河内守氏を『現代のベートーベン』とした「出典」である。日本語としてこなれない拙約で、且つ多少文章のニュアンスが異なるかも知れないが、この記者は単に「聴覚に障碍がある作曲家」という共通の観点によってのみ、この偉大な作曲家を引き合いに出したに過ぎない印象がある。『タイム』の編集サイドが想定する一般的な読者層のクラシック音楽に対する認識が垣間見える。そして佐村河内氏は、自分の障碍が作品の評価そのものに影響する事を恐れ、この事実を隠していた時期があった事を告白している("used to be able to hide"は、今では隠せなくなってしまったというニュアンスだろう)。
だが"a digital-age Beethoven"はひとり歩きし、『現代のベートーベン』として、作品の「質」をも表す記号として喧伝されてゆく。初めてこの惹句を新聞広告で目にした時「得体の知れないシンフォニー1曲書いた程度で大げさな!」と感じ、何かこちらが気恥ずかしくなったのを思い出す。『タイム』で絶賛という事も書いてあったように思う。もちろん原典に当たるもの好きなどいる筈もないという計算済みだ。
そして先述のNHKスペシャルの反響もあって、善男善女は『HIROSHIMA』に感動して、そこに「描写」された惨禍と人々の苦悩と祈りを見出すと同時に、聴覚障害を乗り越えてその作品を書いた、被爆二世の作曲者の生き様に感銘した。昨年2013年の後半にはひとつの現象とさえなていた感がある。
はっきり言って彼の交響曲は、100年以上前の作品群を換骨奪胎したスタイルでしかなく、そうした要素が上手くまとめられてはいるが、独創は何もないという類のものだ。だが作品の「質」に対する批判はそうした人々の感動に水をさすものとして、ほぼ封印された。この時点で佐村河内氏の作品は、通常の芸術とは別種のものとなっていた訳で、これは10年以上前の彼の言葉を信じるなら、「障碍故に作品に対する評価を歪めたくない」という、彼自身が恐れていた事態そのものである。が、彼はそうした嫌らしい風潮に自ら歯止めをかける事を既にしなくなっていた。この間の彼の人間としての変質を思うべきだろう。
2014年が明けて、「代筆者」の告白によって全てが明るみに出た。個人的には「やっぱりな」と思っただけだが、案の定というかこれに対し騙されたと怒る人が沢山出た。感動を返せとさえ言う。そして彼の作品を収めたCDは店頭から消えた。怒っている人は一体何に対して怒っているのだろう?というのが率直な疑問だった。問題だと佐村河内氏を糾弾する人もいた。
もし彼と彼の「作品」を問題視するなら、そもそもの出発点として偽作の交響曲に「意味」や「ストーリー」を過剰に見出そうとした事そのものに原因があるとしか思えない。その過剰な行為の結果ゆえに、それが虚構と知った時に怒りが湧いたという図式である。そしてそうした虚構を増幅し、補強し続けた「作曲家」を取巻く周囲の関係者の行為も、行過ぎた?商業主義も糾弾されて然るべきだろう。
更にこの虚構は、交響曲第1番が成立当初は『現代典礼』と自ら名づけた「指示書」による作品で、「ヒロシマ」とは全く無関係であった事が判明して、致命的な崩壊に行き着いた。簡単に言えばこれらの事件は音楽以外のところで全て起こった事で、言うなれば作品の属性に過ぎぬ事だ。あらゆる虚構もストーリーも、彼の「作品そのもの(本質)」とは無縁だった。そして佐村河内氏自身が、この音楽と無縁だったのだから、その徹底振りには、最早嗤(わら)うほかすべがない。
その一方で、
「一体、音楽とは何が具体的に表現でき、また我々はそれにどう向き合って享受すべきなのか?」
という事こそが、改めて深く考えられるべき問題として突きつけられたようにも思えてくる。
我々は自分を取巻く周囲のモノに対し、常に「意味」を求めている。自分に対してそれが存在している意味を考え想像し、その用途や形状や色合いなどの属性を含め、名を知り或いは名づけ、それで意味づけを行ったつもりになって、初めて心を落ち着ける。
「音楽」に対しても同様に接しようとする。そもそも言葉を介している音楽(歌)には、対処のしようがある。そもそもそのように作られているのだから。だが交響曲に代表されるような大掛かりで抽象的な音楽に対峙する場合、作曲者自身がよほどの意図を持って書いた作品意外、意味づけは本来殆ど不可能ある。
19世紀の交響曲は浪漫主義の思潮の中で、時空を超えて人々が共有可能のテーマを想定し得た。だが、20世紀以降それが不可能となって久しい。交響曲の褪色はある意味必然で、またそれ故に純音楽としての成り立ちも可能となるのである。かくして交響曲は確かに難解な音楽となった。そうした中で人々が敢えて交響曲に対峙しようとする時、作品への理解は、そこに附帯するストーリーをまとわせ、どれだけ意味づけが出来るかにかかっている・・・・というのはひとつの考え方ではある。大量消費の要素をそこに絡めようとすれば、この考え方はたちまち必須の条件となろう。
その一方で、音楽に対するときぐらい「意味づけ」から解放され、可能な限り音を音そのものとして捉えたいという欲求もあり得る。音楽に求める癒しの形のひとつとして、あらゆる具体的な意味から離れ、交響曲が創出するひとつの簡潔・整然とした秩序ある世界を経験するあり方である。
音楽への「理解」についてその正否を論じても仕方がないが、前者の理解方法が如何に恣意的で移ろいやすく、また音楽とはかけ離れた事情に影響され易いかは、今回の事件で判明した筈・・・・である。
今回取上げるブルックナーの交響曲は、特定のモチーフも無いために意味づけが殆ど不可能な上に、作曲者も生涯エピソードに乏しい朴訥そのものの田舎人。それだけに接し方も難しい部分があろう(個人的にはこうした素朴さこそが救いに思えるが)。
だが満艦飾に盛り付けたストーリーが嘘と判った時に、怒りの念を起こす事だけは避けられよう。「意味」に満ち溢れたワーグナーの音楽と対極にあると捉えて聴く事も、また一興とすべきかと思う。