明晰なるもの
明晰ならざるものフランス語ならず(ce qui n'est pas clair n'est pas français)。18世紀フランスの文学者リヴァロルのこの言葉は、「明晰でないもの、それは英語、ギリシャ語、ラテン語である」と続く*。
フランス語の文法は極めて厳格である。時制は神経症的と思えるほど複雑であり、学習者は日本語で培われた時間感覚の大雑把さを呪う羽目になる†。フランス語の正書法は極めて厳密であり、書き取りのテストでは、意味はわからなくても文字にはできるというほど綴りと発音が一致している。しかし母音の種類が極端に多いため、学習者は日本語で培われた音韻認識の枠組の大雑把さを呪う羽目に(以下略)。
このようにフランス語が明晰・厳密だというのは大体真実だが、あくまで「大体」である。規則の通りに話したり書いたりしたつもりでいると、ほぼ毎回間違いを指摘される。納得できず理由を聞くと、答えはいつも「例外だから」。フランス語には山ほども例外があって、それをいちいち覚えなければならないのである。はぁそうですか。なるほど明晰にして厳密な言語である。それに比べるとドイツ語 -大学時代私は落第点を取り続けていたので、どういう言葉か本当は知らない-の方がよっぽど規則的に思える。そういえばリヴァロルはドイツ語に言及していない。
*原典の文脈では、言語の明晰さというより語順の明確さに関する記述のようである。
http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~rhotta/course/2009a/hellog/2012-04-09-1.html
http://pourlhistoire.com/docu/discours.pdf(p17、4段落目)
†母語を呪うことは慎むべきである。
フランスとドイツ。それぞれの音楽について、皆さんはすでにある程度の印象をお持ちと思う。どちらがより「明晰さ・厳密さ」を、どちらがより「雰囲気」を重視しているようにお感じだろうか。ドイツ音楽が「明晰さ・厳密さ」、フランス音楽が「雰囲気」ではないだろうか。
論理的な建築物としての音楽を営々と発展させ開花させたバッハ、ベートーヴェン、ブラームス。モチーフに意味を持たせ一分の隙もなく組み合わせることで全てを構成したワーグナー。それに対していかにもふわっとした、まさに印象派の絵画のようなドビュッシー、華やかなラヴェルやシャブリエ。そして重厚な音楽に背を向けてしまったようなサティ、プーランク等々。
ずいぶん前のことになるが、私もそういう印象を持ちながらフランスに赴任した。
しかし現地で私が経験した音楽は、そのようなものではなかった。
滞在数ヶ月が経ち仕事や生活にも慣れ、多少の余裕ができてオーボエの先生を探しまわっていたある時、幸運な偶然に助けられて、パリの数ある音楽院のひとつで教鞭をとっていたJ.G.先生に出会うことができた。私はそれから約1年間、週末にレッスンを受けることになったのである。
最初のレッスンは忘れ難い衝撃となった。よく知られたFerlingの『48の練習曲集』を持っていったのだが、ではまずその「第1番」を吹いてみなさいということになった。
当時日本ではドイツ流の吹き方に人気があった。ヴィンフリート・リーバーマン、ローター・コッホ、ギュンター・パッシン、マンフレート・クレメントといった世にも美しい音色を奏でる人たちに多くのアマチュア奏者は憧れた。私もその「音色を真似ようと」心がけていた。
そのことを披露するかのように「第1番」を吹き終えてJ.G.先生の方を見ると、顔色がさえない。困っているように見える。
「君はそういうふうにこの曲を吹きたいのですか?」
「はい」
「私は思うのですが、たとえばドイツの奏者の多くは、楽器としてのオーボエの長所をとてもよく引き出して美しい音色を作ります。でも、オーボエを音楽の道具として考えたとき、彼らのやり方が唯一でしょうか?(本当はもうちょっと手厳しい言い方だった)」
J.G.先生に私は、音楽がお留守になっている、と言われたのである。
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これに10年ほど先立つ20代の頃、私は国内のある夏季音楽アカデミーに参加する機会に恵まれ、ドイツのオーボエ界の重鎮であり今もお元気で活躍されているH.W.先生のレッスンを受けたことがあった。私にとってのH.W.先生のレッスンの印象は、一言で言えば「心」であった。歌って示しては下さるが、言語に還元するアプローチはなさらなかった。J.S.バッハのオーボエソナタ(BWV1030)の第2楽章のレッスンはとりわけ印象に残っている。H.W.先生は
「これはピエタ(イエスのなきがらを抱く聖母マリア)なのです」
とおっしゃっただけで、「あとはあなたが音楽を作るのです」とばかりに、私たちが吹くのをただ聞いていらした。
私の「音楽を作ること」のイメージはそういうものだった。そのために美しい音色が必須と思っていたのが、いつの間にか本末転倒になっていたのだろうか。
パリでのレッスンはH.W.先生のレッスンとは異なっていた。先ほどのやり取りののちもう一度吹いた「第1番」の冒頭、私はそれでも音色に魅力を持たせようと思ってビブラートをかけて始めた。すると
「冒頭のフレーズを全体の構成の中にきちんと位置づけていますか?ここをそのように始めてしまうとあとで必ず困ります。可能な限り静かに。もちろんビブラートなしで始めてください」
しばらくするとcresc.が見えるので、そろそろいいだろうと思って「歌おう」とすると
「まだだめです。この曲の最初の山はまだ5小節も先でしょう?やりすぎては台無しになります」
その5小節後「ここだ」と思って頑張ると
「それでは足りません!もっと輝かしく、ビブラートを効果的に使って!勝手に遅らせない!正しい時間に100%の音を出して!」
・・・・以下省略するが、ここで私が要求されたのは、あいまいさのない、「明晰な」演奏であった。
J.G.先生がお手本としてこの曲を吹いて下さったことがあった。その演奏は、まるで言葉のようだった。華麗な音色で魅了するのではなく、「音楽を表現するためにオーボエを使っている」演奏であった。
練習曲であっても曲に対する敬意を忘れない、正面から向き合ってメッセージを理解する、などの、今から思えば基本的なことがらを思い知らされた。この「第1番」は、その後2ヶ月以上も合格点がもらえず、結局「練習曲はもういいですから別の曲にしましょう」という先生のお言葉により、Ferling48は「第1番」敗退、2番以降は不戦敗の練習曲集となった。
ある身近な先生の教えに私はもっと早く気づくべきだった。新響を長くご指導下さった柴山 洋先生である。先生は若い頃の私に言って下さった。
「岩城君、君は今、肉体派のオーボエ吹きだ。肉体派は魅力的な演奏をすることができるけれど、あるとき急にその力を失う日が来る。私も何人か見てきた。君はその前に、頭脳派に転向できれば、きっと長く吹き続けることができると思うよ。」
柴山先生はJ.G.先生と同じことを私におっしゃっていたのではないか。当時の私はその意味を理解していただろうか。
先生はフランス語に堪能でいらした。「明晰ならざるものフランス語ならず」という言葉を私に教えて下さったのは他ならぬ柴山先生だった。ヴェルレーヌの詩Art poétiqueの一節をもじった、ご自身の現代音楽の演奏を集めたお手製のCD*1を下さったり、ご自身でパリの古楽器店にお出かけになり100年も前のこわれたオーボエを購入され、ご自分の手で修理されお仕事に使われるなど、楽しいエピソードをたくさんお持ちの先生であった。先生は突然他界された。お礼を申し上げることもできなかった。悔しくてならない。
*1ジャケット表面には
De la musique contemporaine avant toute chose,
Et pour cela préfère le HAUTBOISと、
ジャケットの背には
Du hautbois avant toute chose!
と記されている。
今回の演奏会で私たちはフランス音楽のプログラムに取り組んでいる。ラヴェルを「スイスの時計職人」と呼んだのは誰であったか。スコアは精密で、すべての楽器が正しく部品として機能したときに初めて本来の響きがする音楽に違いない。「明晰な演奏」をお届けできるだろうか。少しでも近づくことができればと願っている。
=後日談=
フランスのメジャーオケの首席奏者になられたJ.G.先生が先頃来日された。私は先生の公開レッスンを聴講したのちあいさつに行き、
“Vous vous souvenez de moi?”(私を覚えておいでですか?)
と切り出してみた。
先生は、相手の発音が悪くてよく聞き取れないときの典型的なフランス人の表情 -日本人の習慣では「いやな顔」に分類されるので慣れるまではつらい- を示されたあと
“Non.”(いいえ。)
と答えられた。
そのあと少しお話をしたが、やはり思い出せないご様子だった。
どうやらそんなものらしい。