運営の話から なぜか歯の話
維持会マネージャーの松下さんより「最近の運営改革について」というお題でニュース執筆を依頼され、私は6月は忙しいので勘弁してほしいとお断りしたはずだったのに、だいぶ経って再度依頼され諦めていただけなかったようでした。別な内容でもよいかと何度も申しましたが、結局運営の話から始めたいと思います。
新響の問題点としては、財政と人材確保。20年前は約130名の団員がおり、その分の団費収入で余裕のある活動ができたのが、ここ10年は100~110名程で、この春には一時100名を切ってしまったのです。当然その分団費・演奏会費やチケット収入も減少するわけで、演奏会参加費値上げや維持会費の蓄えを使い、何とか新響らしい活動を続けさせていただいています。
団員数が低迷している原因としては、新響の敷居の高さにあるのでしょう。オーディションがある、年に4回演奏会がある、お金がかかる。一度入団してもらえれば、新響の良さを実感してもらえると思うのですが難しいものです。まずは、多くの見学者に来てもらって良さを伝えオーディションを受けていただく率を上げることを目標に取組んでいます。演奏も団体としてもコミュニケーションが大切ということです。
もうひとつ考えたのが「団友制度」でした。団員ではないけど演奏会参加費を払い新響の演奏会に出演できるというものです。年4回の演奏会に出るのは辛いとか、試しに新響で演奏してみたい、この曲を演奏したいといった方に出演してもらえれば、それが正式入団につながる可能性もあるし、財政的にも助かる。また、高齢団員が長く新響を続けるための受け皿にもなるのではないかと考えました。
しかしながら、問題はどのような方に団友になっていただくかです。公募はもちろん団員の紹介だとしても、どのくらいの技術レベルなのか、合奏能力があるのかわかりません。であれば、結局オーディションを受けていただく必要はあるし、入団と団友参加で差をつけるのは運用上難しいということで、まずは現首席が信頼できる新響OBを対象に団友制度を始めてみようということになりました。現実的には、財政的に助かる団友を迎えるか、将来の入団を望める若い人に賛助出演を依頼するか(謝礼をお支払いしています)なかなか難しいところです。
このやり方では団友制度は高齢団員対策にはなりにくく、その代わりに「65歳以上降り番制度」を始めることになりました。自己都合で休団する(演奏会出演を休む)場合は、演奏会参加費を全額出すことになっているのですが、65歳以上であれば参加費を払わないで休団することができるというものです。
年に4回出演する体力的金銭的な負担を軽減できるというのが目的です。私も含め新響のフル活動についていけなくなったらキッパリ引退して潔く席を空ける覚悟の団員は多いと思いますので、この制度がどのくらい効果があるかわかりませんが、良い形で活きればよいと考えています。
ひと昔前は、60歳を超えてアマチュアオーケストラを続ける人はまれで、特に管楽器は40歳を超えたら引退を考える風潮でした。今は新響に限らず、60歳を超えても続ける人が増えているように思います。最近、65歳以上の高齢者の身体機能や健康レベルは10~20年前より5~10歳は若返っている(日本老年学会報告)というニュースが話題になりましたが、特に管楽器の場合は歯のトラブルで吹けなくなるという人が減っているように思います。実際8020(80歳で20本以上の歯がある)を達成している人は20年前は1割ほどでしたが、最近の調査では40%以上ということでした。歯のケアに気をつけている管楽器奏者が増えているということかもしれません。
管楽器を吹くのに歯は欠かせないものです。歯が無いと吹けないだけではなく、歯の形や歯並びが楽器演奏に大きく関係しています。特にマウスピースの小さい金管楽器(トランペット、ホルン)での影響は大きいです。
今シーズンの矢崎先生の初回練習日のこと、当団首席トランペットの野崎さんが前歯の差し歯が駄目になって今回の演奏会は降りて休団すると言っているという話を聞き、私は降板しないよう説得を試みました。聞くと、上顎側切歯(真ん中から2番目)の差し歯が外れてグラグラし、今は接着剤で固定しているが口唇が痛くて吹けないし、抜歯が必要と言われており治療して慣れるのに数カ月はかかるから、ということでした。
1本抜歯した場合、一般的な治療は両隣りの歯を削ってブリッジにするかインプラントということになります。ブリッジの場合、両隣りを含め3本違う歯の形になってしまい、それで吹けなくなる金管奏者も多いと聞きます。かといってインプラントにすればよいわけではなく、インプラントの手術をして歯が入るまでに半年かかるし、歯の形の調整も難しい、失敗率もそれなりにあります。少し前に某プロオケ首席ホルン奏者が前歯をインプラントにし、それが原因で引退したと聞いたことがあります。
一般的な治療とは、どの歯科医師にも出来て時間がかからず結果にあまり差がないもの、特に保険治療は最低限の治療ということになると思います。普通の歯科医院で、抜歯してブリッジかインプラントという提案は至極まともではあります。最近ではMI(侵襲を最小にする)という考え方に基づいた治療をする人も増えてはいますが、治療に個人の技術の差が出やすいし、予防・メンテナンスが重要で、自費診療になるので残念ながら一般的ではありません。
なるべく歯の形を変えず、歯の寿命が短くならず、トランペット演奏を中断しない方法を考え、人工歯を作って両隣りの歯に接着することを提案しました。最小の侵襲です。接着剤で付けるだけなのでブリッジよりも壊れやすいかもしれませんが、その時はまた付ければよいのです。
歯の形については、私は多くの管楽器奏者の歯の治療をするうちにそれなりのノウハウを持っています。アンブシュアや音色、吹き心地を見ながら、人工歯の長さ・下の歯とのバランス・形などを調整していきます。野崎さんの場合どのように調整をしたかというと、
・表面は、まずは抜く前の差し歯と同じくらいで作ってみましたが、本来はもっと内側だったというので変えたところ、その方が吹きやすいとのこと。
・調整の途中「低音がうまく出ない」という状況になった。歯が短かったために口唇を横に引き気味のアンブシュアとなったためで、長くすることで解決。
・抜歯直後だったので内側の形をわざと薄く作ったところ、息の入り具合に違和感があるとのことで、普通の形にしました。内側の形も重要なのです。
・歯の角の形で音色を重くしたり明るくしたり変化させることが出来るので、最後の仕上げに野崎さんに希望を聞いたところ「可能な限り重く」とのこと。そのようにさせていただきました。
こうして歯の形が決まり、表に接着剤が出ないよう最小面積で接着をしました。小一時間の処置の結果、野崎さんは歯のために一度も練習を欠席することなく、無事今回のマーラー4番に出演となりました。
歯の話を書いていて思い出したのが、今は亡き千葉馨先生のお宅にあった歯科用エンジンです。地方大学の歯学部の学生だった私は、当時ちょっとホルンが上手かったので、知人に「一度ちゃんと見てもらった方がよい」と言われ、憧れの奏者のレッスンを受けられるのならと紹介をお願いしました。千葉先生のことは皆さんご存知と思いますが、N響首席を長年務めた名ホルン奏者です。
レッスン初日に先生の前で一通り吹いた後で、「僕の持っている学生よりも良いね。で、どうしたいの?」と聞かれ、返事に困りました。大学では「君たちを歯科医師にするのに国は1人当たり数千万円かけるのだから、ちゃんと卒業して歯科医師になり社会に貢献せよ」という教育を受けていましたから、ホルンが上手くなりたい以上の意味はありませんでした。
私が歯学部の学生だと知ると、棚にある歯科用エンジンを指し「僕はホルンを吹くために前歯を削って隙間を開けたかったのだけど、どの歯医者もやってくれなくてね。しかたがないから、道具を買って自分で削ったのだよ。」教科書でしか見たことのない、古いタイプの治療器具でした。
その頃千葉先生は55歳。当時N響の定年が55歳で、十分にホルンの演奏が出来る千葉先生の引退を反対する運動が起きていたように記憶しています。晩年は総入れ歯だったそうですが、病気で倒れられるまで魅力的なホルンを吹いておられました。
とてもチャーミングな方で、裏ワザなども教わりつつ楽しいレッスンに数回通わせていただきましたが、大学が忙しくなり、卒業して医局に残ってからはホルンどころではなくなり、それっきりとなってしまいました。今思えば、私が楽器演奏と歯の関連を意識したのは、それが最初だったのかもしれません。