ベートーヴェンの交響曲第1番
◆ついに来た曲
1978年1月5日は、個人的には記念すべき日で、この晩に行われた所属する学生オケのコンサートで『魔笛』序曲の2番フルートを吹いた事から、(因果と云うべき)わがオーケストラ人生は始まった。爾来かれこれ40年近い歳月が流れ、新響で過ごした時間さえ、この9月でまる33年を数えるに至った。入団の翌年7月に第100回定期があったから、これだけで130回もの演奏会のステージに座っていた勘定になる。その他に不定期の演奏会もあれば、他のオーケストラの演奏会にも頻繁に出ていたから(自分で設立した団体もあった)、それやこれやを合わせれば200回以上の正式なコンサートを体験している筈で、我ながら感心もする。
だが、古今東西の作品を演奏し続けていながら、基本中の基本とも言うべきベートーヴェンの、しかも交響曲で未体験のものがあった。それが今回演奏する第1番である。
この作品は他の交響曲に比較して特に演奏に支障が伴う訳ではないし、もちろん見劣りするものでもない。ただ「どうせベートーヴェンをやるなら他の(有名な)交響曲を」という慾に目が眩んだオーケストラは、なかなか積極的に取組もうと考えない傾向は確かにある。また新響のような大規模な団体は、こうした小編成を前提とした作品をなかなか取上げ難いとう事情もあるのかもしれない。この曲以前のモーツァルトやハイドンの交響曲をなかなか取上げられない理由と軌を同じくする。
とは言えベートーヴェンのこの作品は通常の2管編成の規模で書かれているのだから、やろうと思えば出来ておかしくない。他の交響曲についてはいずれも2回以上、他ならぬ新響で演奏した経験を持つ身にとっては、詰まる処、積極的に「やろうとしない」見えざる意志が働いて、僕からこの曲を遠ざけていた・・・・とでも考えざるを得なかったのである。
「やっと来たなぁ(生きてて良かった!)」はやや大袈裟としても、この交響曲を演奏する機会が無いまま、「半人前」の無為な時間を過ごして引退する事になるのでは、との不安が無いでも無かったので、これでようやくそうしたもやもやの感情を払拭し、わが(繰返すが、因果と云うべき)オーケストラ人生にひとつの区切りをつけられようと考えている。
◆洞穴から覗く獅子の爪
ベートーヴェンは曲の出だしにこだわり抜いた作曲家で、その特徴はこの最初の交響曲にも遺憾なく発揮されている。
「起立⇒礼⇒着席」をピアノの和音と共に行った子供時代を思い起こして戴ければ良いかも知れない。この場合の「起立」と「着席」で鳴るのは主和音(ドミソ)で、同じものである。ここに「礼」に当たる属和音(ソシレ)が入る事で、ひとつの時間的経過による緊張と指向性が生じる。西洋の音楽はこのように、「始まった処に変化を経て戻る」という基本を備えていて、上記の3つの和音進行は、喩えて言うなら極めて原始的な生物・・・・口と肛門を両端とした、単純な管・・・・に等しいが、ひとつの「音楽」である。原初的だが、それ故に本質的な構造という事になる。
彼以前の交響曲はこうした本質を忠実になぞり、序奏部で主和音がまず提示され(つまり「起立」の部分)、その時点で調性が明らかにされる。つまりこれから演奏される音楽が何調なのかはこの瞬間に判る構造になっており、そこから出発して以後如何に紆余曲折があっても、最後はまたそこに確実に戻る(「着席」である)。これによって聴く側は落ち着くべき場を得て、深い安堵と調和を感得する事につながる。
ところがベートーヴェンは、この根本を崩しかねない事を仕かける。冒頭いきなり属和音が鳴る。上記の例で言えば「起立」抜きの「礼⇒着席」のみの和音進行で、これが調性を変えつつ3度繰返される。そして決定打となるべきその3度目の「着席」は、この曲全体を本来支配するハ長調の和音ではない。
これが如何に当時の聴き手の耳を翻弄し、混乱させたか?は、こうした仕かけに慣れ切ってしまった現代の我々には想像すべくもない。が、逆にその後200年間に生み出された作品を概観出来る立場として、この作品がもたらした後世への影響というものを知る事が出来るとも言えよう。
元来へそ曲がりな僕は、この冒頭を初めて聴いた時、200年前の人々と同じ?驚きと感動を得た・・・・と言いたいが、まず感じたのはある種の「わざとらしさ」だった事を白状しよう。凝り過ぎ、奇の衒い過ぎの感を容易には拭えなかったのだ。そしてその感覚からの脱却には、この作曲家の他の作品を相当数繰返し聴き込む事が不可欠だった。
朝比奈隆氏はこの交響曲を喩えて「獅子の爪」という言い方をしている。洞穴から獅子が爪の部分だけを出している。すると僅かばかり見える爪から、獅子全体の大きさや獰猛さを推し量り、他の動物はその洞穴には近づかなくなるという話だった。つまりこの最初の交響曲は、ベートーヴェンの全9曲の作品群を想像させるに充分な「爪」の風格を既にして備えている、という事である(『朝比奈隆 ベートーヴェンの交響曲を語る(朝比奈隆+東条碩夫著 音楽之友社刊)』所収)。それは既にこの冒頭の部分に顕れている。こうした開始部分の調性の混沌は『第九』でも形を変えて再現されているくらいだから、そこから遡って初期の作品に「予感」や「萌芽」を見出すのはある意味容易である。既に結末を知っている小説を読み返し、その伏線を書き出しから探し当てるのに似ていよう。
この交響曲の初演時点(1800年)で、作曲者は30歳になっていた。流石にこれは「遅咲き」だが、これはベートーヴェンとオーケストラの縁・・・・というよりオーケストラを私的に抱えていた宮廷との「距離」を反映している事がひとつの理由だろう。やむを得ない。
例えば35歳で死んだモーツァルトなら同年齢で第39番まで完成。有名な最後の三つの交響曲の一画は既に創作されていた事になる。ハイドンは長命(77歳で歿)だったが、100曲を超える交響曲のうち30曲ほどは完成させていたようだ。
「市民」ベートーヴェンにとって、これらの先人たちとは既に交響曲の価値や位置づけそのものが変わっていたとは言えるので、単純な比較に余り意味はなかろう。だがベートーヴェンに続くシューベルトはこの年齢で、長大な『グレート』を含む8曲全ての交響曲を既に書き終えていた。享年31。彼にとっては「最晩年」に当たる時期だった。
ここで改めて思うのは人の生の長さ(短さ)と対応する生の密度との事だ。
モーツァルトやシューベルトがせめてベートーヴェンほどの寿命を得ていれば、とは虚しいながらもつい我々が陥りがちな夢想であろう。だがそれは彼らの生涯を概観出来る立場にして初めて可能となる、生者の驕りかもしれないと最近考えるようになった。彼らの作品群は彼らの生の丈に合った形で完成し、完結している。最早付け足すものはないという事だ。
いま逆の事をよく想う。
ベートーヴェンが彼らほどの時間しか与えられておらず、この最初の交響曲しか遺していなかったとしたら・・・・斬新さとある種の奇矯さを兼ね備えた新しい交響曲という評価は得られたかもしれないが、当然「獅子の爪」とは認識されないまま終わったに違いない。何せその後に生み出される交響曲が無ければ、当然「獅子」たり得ず、従って他を脅かす「爪」ともなれる訳が無い。ここに後世の我々が特定の作曲家(に限らないが)の「初期作品」とか「習作」とかと称されるものに対峙する際の難しさが潜んでいるように感じる。
そうしたものに向き合う時、我々は得てして、作品の背後に、本来姿の見えない筈の「獅子」の姿を想起している。「それで良い」という考え方を否定はしないし、予め大団円を知った上で、改めて冒頭から小説を読み返して理解を深める事も、確かな楽しみ方のひとつである。だがそのような属性を払って単独の作品として向き合い、純粋に味わう姿勢というものを忘れるべきではないとの念が、最近自分の中では強まっている。頑迷・・・・「齢をとったという事だろうなぁ」と感じるのはこうした折である(苦笑)。
初めてこの曲を演奏する定期終了直後に迎える誕生日で、自分がこの作曲家の享年を超える事に、最近になって気がついた。