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今回のコンサートに使用する楽譜のこと

品田 博之(ライブラリアン・クラリネット)

 COVID19のために中止となってしまった第249回演奏会用の維持会ニュースの原稿を2/3ほど流用して、追加・改訂した記事となります。
 今回のコンサートで使用する版、つまりどのような楽譜を使用するかにまつわる話をします。


1.コンサートに使用する楽譜の調達
 ライブラリアンという仕事は、オーケストラで使用する楽譜に関わる仕事をする係です。プロのオーケストラの場合、奏者がライブラリアンを兼ねることは稀でそれを専門とする方がいます。プロオケのライブラリアンはそれだけ大変な仕事なのです。一方、アマチュアのライブラリアンの仕事は(少なくとも新響では)、使用する楽譜の調達、配布、回収、保管だけですので同じ職名で呼ばれるのはプロのライブラリアンに申し訳なく思っています。
 さて楽譜の調達手順ですが、コンサートのプログラムが決まったらその曲の楽器ごとの譜面(パート譜)を探します。新響が所有しているかを確認し、所有していなければ購入かレンタルとなりますが、そのほかに著作権の切れた作曲家の楽譜が無料でダウンロードできるIMSLPという巨大なデータサイトもあります。そこの譜面を使用することは法的に問題ありませんので有力な選択肢のひとつです。
 楽譜の調達で厄介なのが版の問題です。数十年前までは版の問題といえばブルックナーの交響曲くらいで、楽譜のいろいろな版の存在をあまり気にしませんでした。指揮者が自分の責任で譜面に手を入れることもしばしば行われてきました。しかし、次第に、作曲家の書いた楽譜に忠実に演奏することが正しいことであり、楽譜をいじるなんてもってのほか、とされるようになってきました。それと並行して作曲家の自筆譜の研究が進み、たとえばベートーヴェンの交響曲のようにいろいろな校訂者がベートーヴェンの自筆譜や筆写譜や多数の文献をあたって、これこそが作曲家のオリジナルだと主張し〇×校訂版と銘打って出版するようになりました。今ではベートーヴェンに限らず、古典派からロマン派の作曲家、さらには近代の作曲家の作品まで、いろいろな版が原典版として出てきているというわけです。したがって、楽譜の調達前に指揮者の意向を聞いて指定された楽譜を調達します。


2.「アルルの女」組曲の仏独の出版社の違い
 今回取り上げる「アルルの女」組曲は、小編成のオーケストラ用にビゼーが作曲した劇音楽を元に、第一組曲はビゼーが、第二組曲はビゼーの親友のギローが二管編成+αに編曲したものです。この組曲は複数の会社から楽譜が出版されていますが出版社によって楽器の指定に違いがあります。図1の左側は1873年Paris: Choudens社(以下C社) のもの、図1の右側は1904年Leipzig: Breitkopf und Härtel社(以下B社)のものです(いずれもIMSLPより)。木管楽器はフランス語とドイツ語の違いや並び順の違いはありますが同じです。問題はホルンとトランペットです。C社は2 Cors en Mi♭と2 Cors en UTとあります。これはEs管のホルン2本とC管のホルン2本ということ、一方、B社のほうはHörner in FがI~IVあり、これはF管のホルン4本でということです。どちらの譜面で演奏しても音は同じですが指定された楽器の調性指定が異なっているわけです。現代のホルン(ダブルホルンと言われている一番よく使われているもの)はF管とB♭管が一本の楽器で切り替えられるようになっており、さらにレバーの操作でバルブを切り替えて半音階を滑らかに演奏できるようになっていますからEs管やC管の指定で書かれた楽譜も無理なく演奏できます。しかし、ビゼーが生きていたころはまだそのようなバルブホルンが十分には普及しておらず、転調した場合に必要な多くの音を無理なく出すために複数の異なる調性の楽器を用意して演奏したのでC社の楽譜はこのような楽器指定になっているということと考えられます。ならば現代ではC社のような楽譜の存在は無意味かというとそうでもなく、ホルンやクラリネットなどの移調楽器には楽器の調性ごとに特有の音色や調性感がある(と信じられている)のでそれにどこまでこだわるかということになります。使っている楽器はF管とB♭管どちらかなんだから楽譜がF管(またはB♭管)で書かれてた方がいいに決まってるじゃないかと思うのですがそう単純には割り切れない(奏者もいる)のが奥深いところです。



図1 アルルの女第1組曲冒頭の楽器指定の比較(左が仏C社、右が独B社旧版)


 右のHörner in F IとIIに書いてある音符は参考のために書いてあるだけでIとIIの奏者は演奏しない。
 次にホルンの下の段をご覧ください。C社は2 Trompettes en UT と 2 Pistons en SI♭,一方B社はTrompeten in Bとなっています。詳しいことは省略しますがPistonとは要するにコルネットのことです。コルネットはトランペットと音域は同じで形が似てはいますが異なる楽器で、トランペットよりもややまろやかな音が出ます。いずれにしろこれらはどちらが正しいのか?間違っていのか?というわけではないようです。
 最後にもう一つ、実はB社の楽譜には楽器指定の致命的な誤りが一つあります。アルルの女ではプロヴァンス太鼓というベルトや紐で肩から下げて叩く太鼓が使用されるのですがフランス語ではこれをTambourinと書きます。でもこの綴りはドイツ語ではタンバリンのことなのです。B社は楽器指定がドイツ語で書いてあり、この太鼓のパートにもドイツ語でTambourinと書いてあるのでそのままとればタンバリンのことになってしまうというわけです。実際にタンバリンで演奏してしまっている例もあります。なお、最近出版された新しいB社の楽譜は2本のトランペットと2本のコルネットになっていてプロヴァンス太鼓もきちんとそのように指定されているとのことです。
 今回のコンサートではB社の旧版のパート譜を使用しますが、もちろんプロヴァンス太鼓で演奏しますのでご注目ください。また違いがはっきりとはわからないかもしれませんが4本のトランペットのうちの2本はコルネットで演奏する予定ですのでこちらの方もお楽しみに。


3.メンデルスゾーン交響曲第3番の版の話
 今回演奏する交響曲第3番には近年出版されたベーレンライター版というのがあります。矢崎先生はその版を指定されました。さっそくスコアとパート譜を購入です。新響は過去の演奏で使用したBreitkopf版を所有しているのですが両者は異なるとのことなので購入しました。届いてびっくり、スコアが分厚く、まるでマーラーの交響曲かと思うような重量です。なんと1楽章が二回印刷されています。次に2,3楽章、そしてそのあとに4楽章も二回印刷されている。なんだこれ、ひどい乱丁!? と思い前書きを読んでみると、二つの版が一冊にとじ込まれているのだと書かれています。つまり、今回取り上げる1842年版という通常演奏されない版の1楽章、次に一般的な版の1楽章、そのあとの2,3楽章はわずかな違いしかないので異なる個所だけ五線譜が二段になって印刷されています。そして4楽章はまず、一般的な版、そして最後に1842年版。というわけで6楽章分印刷されてるのでやけに分厚いということでした。1楽章の最後の方と、4楽章の最初の方はびっくりするくらい普通の版と異なっているので楽しみにしていてください。(ちなみにこの新校訂版、明らかな音の間違いが何箇所か新たに作り込まれていました。やれやれ。)唯一世の中に出回っているこの新しい版の演奏を聴いて面白いことがあったのでそれを紹介してこの記事を終わります。
 まずは、こちらのリンクからYouTubeにあがっている1842年版の8分30秒あたりからを聴いてみてください。聴き始めて10秒間くらい激しい音楽が続き、そのあと急に静かになったところで唐突におっさんが “ワァオッ!” て叫んだみたいに私には聴こえたのです。 電車の中で、イヤホンで聴いていたために楽器音に聴こえなかったのかもしれませんがこれはファゴットのソロなのです。メンデルスゾーンの最終稿自筆譜(つまり一般的な版の元となる自筆譜)(図2)では、このファゴットのソロが斜線で消されています。しかし1842年版ではこの部分が残っているのです。この演奏ではテンポが速くてあわただしすぎるのですが、今回はそんな慌てたテンポでは演奏しないので普通は聴けないファゴットの瞬間芸的なソロがおっさんの叫び声ではなく音楽的に聴こえると思いますのでお楽しみに。



図2 自筆譜の該当箇所

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