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飯守泰次郎氏に聞く(第159回演奏会プログラムより)

 以下にご紹介するのは、前回飯守泰次郎氏の指揮によりブラームスの交響曲第4番を演奏した1997年10月の第159回演奏会のプログラム掲載のインタビュー記事の抜粋です。

---先生とのこれまでの4回のコンサートでは、ブルックナーとワーグナーがほとんどだったので、今回は、初めてとりあげる作曲家ばかりです。まずブラームスについてうかがいたいのですが。

飯守 カール・ベームによれば「ブラームスには3つの顔がある」。まさにその通りで、実に的を射ています。ブラームスは北ドイツの、ハンブルクよりさらに円舎の出身で、彼の音楽にはこの地方特有の暗さと重さがあります。パリやウィーンなど、気候の比較的おだやかな都会の音楽とは本質的に違うのです。暗い冬が長く続く地方では、ずっと家の中に閉じこもって暮らすことになりますから、だんだん気分が内向きになってくるでしょう。ブラームスの音楽にはそんな内向性があります。
 その後ブラームスは、ヴァイオリニストのヨアヒムとの出会いを経てウィーンに至り、ウィーンの洗練と伝統的な様式感を身につけます。しかも、古典的なフォルムを重視してベートーヴェンを研究し、古典派をきわめて正統的に継承します。古典的な形式を重んじたのは、ブラームスが内気できちょうめんな面があったことも関係していると私は思います。ブラームスはベートーヴェンを正しく継承したからこそ、あの第1番の交響曲を書くまでに長い時間を必要としたのでしょう。

---40歳を過ぎてようやく世に出したのですね。

飯守 そうです。さて、3つめのブラームスの顔は、パーティ嫌いで内気だった一方で、酒場に通いつめ、そこのドイツ女性と踊ることを好んだという意外な一面です。以前オランダ航空の機内で見たテレビ映画で、老齢のブラームスが酒場のでっぷりと太った若いとはいえない女性の踊りを見て思わず席を立ち、彼女の豊満な胸に顔を埋めて踊り出し、彼の信奉者たちが困惑して視線を床に落とすという印象的な場面がありました。この、隠しきれない男性としての欲求は、実は各交響曲にもちらりと顔を出しているのです。なにか、根源的なものですね。これもブラームスの特徴です。

---日本でよく学校の音楽室にある肖像画のいかついイメージだけがブラームスではないのですね。

飯守 そうですね。彼には「ハンガリアン舞曲集」という作品がありますが、ハンガリー的な、民族的な気風に溢れたものにも強い憧れがあった。巨漢ブラームスが、「よっこいしょ」と老体にムチ打って踊ったり体操したりするようなリズムが、交響曲第2番などにもありますね。こうした部分は野暮だけれども良さがあって、これがなかったらブラームスの魅力は半減していたろうし、この点が古典的といってもハイドン、ベートーヴェンやシューベルトとはどこか違う理由でしょう。彼の作品には必ずと言ってよいほど、この種の民族音楽的な気風が隠れていて、それが魅力になっています。
 もうひとつ、彼を特徴づけるものに、非常に成熟したロマンティシズムがあります。ブラームスのロマンティシズムは、個人を超えた次元に発展していると思います。彼にはシューマン夫妻との出会いがありましたが、ロベルト・シューマンの死後、残ったクララ・シューマンヘのブラームスの思慕は遂げられず、その愛は彼の心の奥底に深く埋めこまれてしまうことになります。それでも彼は、クララという人格から非常に多くのものを得たのでしょう。それでいて、作曲家として評価を得た後も村の小娘にぞっこんになってしまうような一面もあったそうです。

---そういうところは、前回ブルックナーについてうかがったお話と似ていますね。

飯守 その通り。さらに、ブラームスの音楽の特徴として私自身が付け加えるならば、ドイツ語でBogenという言葉があります。これは、大きな弧を描くような息の長さという意味ですね。
 それと、高度に完成された作曲技法。ブルックナーがブラームスに会った際、プルックナーはすでに4つの交響曲を書いていながら見せる勇気がなくて見せられなかったという話もあります。

---前回のブルックナーについてのお話では、当時の音楽における表現の拡大傾向についてもお話が出ましたが、ブラームスはどうだったのでしょうか。

飯守 表現主義的な傾向はワーグナーから生まれたものですが、これはフランス音楽界にも強い影響を与え、初期のドビュッシーにも影響がみられます。一方、同時代のブラームスは、ワーグナー的な劇性には拒絶反応を示した、と言われており、たしかにブラームスは厳しい古典的な様式感を身につけていました。しかし、それにもかかわらず、彼独特の内面的表現力の強さと楽器法の新しさは、やはり表現主義につながっていく部分であると私は考えています。
 また、ブラームス自身意識していなかっただろうけれど、彼の表現は時によると印象派を思わせる響きさえあると思います。

---それでは、今回の新響とのコンサートに向けてどんなことをお考えですか。

飯守 まず、ブラームスのBogen、息の長い音楽を表現していきたい。それから私は、ブラームスという人の「円熟」にとても魅力を感じます。彼は内気な人で、貧乏で狭い家に暮らした幼少の頃のことなどもあまり語りたがらなかった。ベートーヴェンやマーラー、リヒャルト・シユトラウスなどの饒舌さとは異なる内面の持ち主で、その内面から巨大なシンフォニーを作り上げた彼の円熟と個性を表現したい。
 そして、先ほど触れた印象派的な響き。この4番ではたとえば第1楽章の木管と弦との会話のような所がそうですね。このどこか漂うような、転調がどこに向かっているのかわからず、調性がつかめないような部分は印象派に通じるところです。ヘミオレ[注:ギリシャ語の1 1/2に由来する語で、たとえば3拍子での2小節を2拍子の3小節のように分ける音型のこと]が多用されているのもブラームスの特徴で、その感覚もとても大切にしたい。

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