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黒くないクラリネットのおはなし

品田 博之(クラリネット)

1.はじめに
 タイトルの通り黒くないクラリネットのおはなしをします。クラリネットとオーボエは本体が黒くて、たくさんの銀色の金具(=キー:指が届かないところの孔を開閉できるようにすることで音域を広げたり♯や♭が多い曲の演奏を容易にしたりするメカニズム)がついている楽器というのが一般常識だと思いますが最近は本体が茶色や明るい黄色の楽器も見かけるようになってきました。新交響楽団の’23年4月のコンサートでドヴォルザークの交響曲第7番において本体が明るい黄色でキーは金色のクラリネットを私が使用したところ、団員と一部のお客様からあの黄色い(または白い)楽器はなんだろう?という声があったとのことなのでその楽器について書いてみようと思います。


2.古典クラリネットについて
 最初に答えを書いてしまうと、黄色い木材であるボックスウッド(西洋柘植)(※1)で管体が作られているので黄色いのです。実は100年以上昔のクラリネットは主にこのボックスウッドで作られていました。その理由は、当時ヨーロッパで入手できた木材の中では特に組織が緻密で気密性が高く管楽器に最適だったからだそうです。(ザ・クラリネットClarinet Vol.77 P45) 。少なくとも19世紀後半まで、つまりロマン派の中頃までのクラシック音楽は主に黄色いクラリネットで演奏することを想定していたということになります。ちなみにブラームスが晩年にクラリネットの名曲群を作曲するきっかけをつくり、それらの曲を初演した名クラリネット奏者のミュールフェルト(1856-1907)もボックスウッドの楽器を愛用していたようです(https://oehler-spieler.jpn.org/akaiharinezumi.htm)。
 右の写真3枚は私が所有する、モーツァルトが活躍した頃の楽器二種類とウェーバーが活躍したころの楽器です。いずれも現存する当時の実物や当時の文献を参考にして現代の工房で製作された複製品です。モーツァルトの時代の楽器(写真1)はキーの数が5個、また有名な五重奏曲や協奏曲などを吹くために普通のクラリネットよりも3度または4度低い音まで出せるよう音域が拡張されたいわゆるバセットクラリネット(※2)(写真2)では拡張低音域用の4個のキーが追加されています。またウェーバーの時代の楽器(写真3)は、キー5個の楽器と音域は同じですがキーが増えて11個になり半音階やトリルが演奏しやすくなっています。どれも本体はボックスウッドでできていて、キーは無垢の真鍮です。ちなみに現代の一般的楽器はリングキー(※3)もいれるとキーの数は20個以上にもなります。この古典バセットクラリネット(写真2)を9月17日の新交響楽団室内楽演奏会で演奏しますので興味のある方は是非お越しください。


3.グラナディラ材による現代の黒いクラリネット
 現代の一般的な黒いクラリネットはアフリカ産のグラナディラという木材を使って作られています。素材の色はかなり黒に近い濃い茶色で黒に染色することも多いです。この材料でクラリネットが作られるようになったのは19世紀後半ころのようで、広く使われるようになったのはアフリカの植民地から多くの木材がヨーロッパに多量に入ってくるようになった20世紀にはいってからとのことです(ザ・クラリネット Clarinet Vol.77 P44、https://clarinetto.exblog.jp/i57/ など)。グラナディラはボックスウッドよりさらに密度が高く気密性も非常に高いので管楽器の素材として理想的だったのです。そんなわけで20世紀に入ってからはほとんどの中級機種以上のクラリネットは(オーボエも)グラナディラで作られるようになり100年以上が経過しました。ところが、このままの勢いで伐採していくとグラナディラは絶滅する可能性が高いということが判明し、国際条約で取引に一定の制約が課されるようになりました。とはいっても象牙のように新しい材料の取引は一切禁止というわけではないのでまだグラナディラの楽器は大量に製造されてはいます。でも多くの楽器メーカーがこのままグラナディラ一辺倒ではまずいと考えたのでしょう。最近他の木材によるクラリネットを販売するようになってきました。先祖返りともいえるボックスウッド材だけでなくモパネ材、ローズウッド材、ココボロ材などです。ただモパネ、ローズウッド、ココボロなどは希少な木材だそうでいくらでも取引できるわけではないのはグラナディラと同じそうです(ザ・クラリネット Clarinet Vol.77 P47)。世界最大のシェアを持つフランスのビュッフェ・クランポン社、ドイツの名門老舗のヴーリッツァー社や高級機種で躍進している新興のシュヴェンク&セゲルケ社などをはじめとして各社がボックスウッド材やモパネ材などグラナディラ材以外のクラリネットを販売しています。そしてNHK交響楽団の首席クラリネット奏者の松本健司氏をはじめとして日本のプロ奏者の複数の方がボックスウッドの楽器も演奏するようになってきました。
写真4はボックスウッド(現代)の楽器、写真5はグラナディラ(現代)の楽器です。両社とも同じドイツのメーカーのヴーリッツァー社のものでドイツ管の管体構造のクラリネットですが、キーメカニズムはエーラー式というドイツやオーストリアで用いられているものではなくてフランスで開発された現在一般的に普及しているベーム式のメカニズムを採用した楽器です(リフォームドベームと呼ばれています)。ボックスウッドのほうが上位機種なのでキーが少し追加されていますが基本的には同じキーメカニズムです。
 


4.ボックスウッドのクラリネットの特長
 ボックスウッドの楽器が復活した理由が絶滅を危惧されているグラナディラの代替というだけであったらプロ奏者の方々が使用することはないでしょう。私もお気に入りのグラナディラの楽器を持っているので買い替える必要はありません。ボックスウッドの楽器の魅力はグラナディラの楽器では味わえない、暖かくて明るくソフトな音色、物理的な軽さと柔らかい吹き心地だと思います。それはまさに古典派からロマン派中期までの音楽にふさわしく、作曲された当時の音色に近い音ではないかと思うのです。
 私事になりますが、どのような経緯でボックスウッドの楽器の魅力に気が付いてそれを手に入れることになったのかを書いてみたいと思います。私は以前より、モーツァルトの五重奏曲と協奏曲のオリジナル楽譜に書いてあったと言われる普通のクラリネットでは出せない低音域を、それが出せるいわゆるバセットクラリネットで吹いてみたいと思っていました。しかし現代のバセットクラリネットはこの二曲を演奏するだけしか用途がないのにもかかわらずとても高価なために買う気にはなりませんでした(A管として使用することは可能ですが)。そんなとき偶然、モーツァルトの五重奏曲を初演したと思われる楽器を復元した古典バセットクラリネット(写真2)をリーズナブルな価格で譲ってもらえる話が転がり込んできました。コロナ禍で外出も困難な時期、在宅勤務で家にこもっていてSNSを見る時間が大幅に増え、偶然そこで古典クラリネットの名手満江菜穂子さんと知り合ったからでした。即決で入手しました。現代の楽器に比べてかなり演奏至難ではありましたが初演者のアントン・シュタートラーが演奏したものとほぼ同じと思われる楽器(ただし現代に製造した複製品)でモーツァルトの五重奏曲をオリジナルのまま演奏できるようになりたいという気持ちと、オーケストラ活動休止と在宅勤務で通勤不要となった期間をうまく活用して毎晩練習し、そのなんとも言えない暖かくちょっととぼけた感じの音色に魅了されました。そして、新響の室内楽コンサートでモーツァルトの五重奏曲を演奏することができました。そんなとき、ボックスウッド製の現代の楽器が販売されているのを知りYouTubeで演奏動画も見たことで、古典楽器と音色が似ていてモダン楽器の機動性を備えたその楽器を入手してオーケストラで吹いてみたいと思ったわけです。2022年の初夏に入手に成功し、その秋にベートーヴェンのトリオ「街の歌」で本番デビュー、そして4月の前々回のコンサートにおいてドヴォルザークの交響曲第7番でオーケストラ本番デビューというわけでした。練習では共演者や指導者の方から暖かくてよい音がすると言われてとても嬉しかったです。一方でこの楽器の音色は、暗くて重たい雰囲気の曲や楽器の機能の限界を追及するような曲には向かないような気がします。例えばチャイコフスキーやショスタコーヴィチ、そしてマーラー、マメールロワ以外のラヴェルなどには向かないと思います。ということで今回(10月)はグラナディラの楽器を使用します。
 音色の違いは、百聞は一見に如かずならぬ百言は一聴に如かず、その音色が聴ける動画をいくつか紹介します。最初の動画(演奏動画1)は、4月(前々回)のコンサートの曲目、ドヴォルザークの交響曲第7番の第二楽章冒頭のクラリネットのソロです。モダンボックスウッド⇒グラナディラ⇒古典ボックスウッドの順で吹いています。古典ボックスウッドはピッチがやや低め(A=430Hz)です。次(演奏動画2)は、前期ロマン派のブルグミュラー(ピアノ練習曲で有名なブルグミュラーの弟)のクラリネット曲の冒頭を比較演奏した動画です。この二つの動画でこれらの楽器の音色の違いをお分かりいただけるでしょうか。ただし演奏しているのが私なので違いは分かってもその素晴らしさは伝わらないかもしれません。そこで三つ目の動画(演奏動画3)はボックスウッドの楽器の魅力を最大限聴かせてくれる名人の演奏。比較動画ではありませんがボックスウッドの楽器の魅力がお分かりいただけると思います。


5.ボックスウッドのクラリネットを扱う苦労
 最後にボックスウッドの楽器の難点をあげておきます。それはまさに20世紀以降、材質がグラナディラに取って代った理由といえるでしょう。吸湿・乾燥による体積変化がグラナディラより非常に大きいのです。クラリネットは最上部のバレル(写真2,3,4,5参照)、楽器の上半分の上管、下半分の下管そして最下部のベルの4個に分解できるようになっていて、演奏が終わったら分解してケースに納めます。それらを組み立てるには写真6のように凸部(左)を凹部(右)に差し込みます。凸部の外径より凹部の内径がわずかに大きめになっていて遊びがあり、凸部にはコルクが巻いてあるのでその膨らみによってきっちりと一体化するようになっています。コルクは弾力があるのである程度の力を加えれば回すことができますし、ピッチを調整するために少しだけ抜いた状態を保持もできます。ところがしばらく演奏しているとその部分がカチカチに固まってびくともしなくなってしまうことが頻繁におきました。息に含まれる水分を木材が吸収して膨張したため凸部と凹部の木部同士がきっちりとはまりこんでしまったというわけです。かなりきつくて演奏後にもう分解できないのではないかという恐怖を何度も味わいました。一度はどうにもならなくなって練習中の長い休憩時間に近くの雑貨屋でサンドペーパーを購入して凸部外径を削りました。それもあって最近は落ち着いた感じですがまだ油断は禁物のようです。
 もうひとつ、吸湿による膨張と乾燥による収縮のために悲劇がおきました。昨年秋に室内楽コンサートの本番を終えたあとのことです。演奏終了後すぐに水分をとってケースに収納すればよかったのですが、スタンドに立てたままにしてちょっと目を離したらなんと楽器本体の一部に亀裂が走ってしまいました。大ショックでした。演奏時の息の水分を吸収して膨張した楽器本体は内側もまた外側もゆっくりと湿気を含んで膨張し管体内外の歪みが生じてもその応力に何とか耐えていたようなのですが、乾燥した室内で特に空調の風が楽器に当たったことで表面(特に外部の表面)が急激に乾燥して収縮し、まだ湿気を保っている部分との歪みが大きくなりそれに耐えられなくなったのだろうとのことでした。その部屋は空調が入ってるかどうかもわからないほどで風があたっているという認識は全くなかったのですがその説明が一番納得できます。たしかにカラッと晴れて10月末だというのにかなり暑い日でした。楽器の割れというのは結構あるトラブルで、演奏に全く支障がないレベルまで修理ができたとはいえやはりショックです。これからもこのリスクはグラナディラの楽器よりかなり高いとのことでひやひやものです。
 最後に、これは苦労ではないのですがボックスウッドは使用して水分に接するとだんだん色が濃くなってくるようです。楽器の最上部のバレルと呼んでいる樽状の部品はピッチ(音の基準高さ)に応じて使い分けるものでこの楽器には長さが少し異なる三つが付属していました。いつも一番長いものを使ってきたところ段々内部の色が濃くなってきました。写真7は一度も使用していないもの(上)といつも使用しているもの(下)のバレルの内部の写真です。使用しているものの色が濃くなっているのがわかるでしょう。古典のボックスウッドの楽器は大体こんな感じの落ち着いた“あめ色”をしています。これは内部なので1年でこんな色になりましたが本体外部は直接水分に触れたりしないので変色するにしてもだいぶ時間がかかりそうです。白に近い黄色の本体に金メッキのキーも派手な感じで良いですが“あめ色”の本体も渋くていい感じです。楽器全体がいつかはこのような色になってくるのでしょうか?さて?何年かかるのか。それまで自分が元気にこの楽器を吹けていられれば良いのですが。


※1:ボックスウッドは日本産の柘植とは微妙な違いがあるようです。“柘植は、ツゲ科ツゲ属の常緑低木で、日本原産の植物です。一方、ボックスウッドは、ツゲ科ツゲ属の常緑低木で、主に欧州原産の植物です。両者は、葉幅や葉の形、葉色などが異なりますが、見分けることは難しいとされています(Wikipediaより引用)”。


※2:バセットクラリネットは普通のクラリネットの最低音(五線の下加線3本目の下のミ)よりも下のドまたシまでが出せる特殊な楽器です。モーツァルトの友人でクラリネットの名手アントン・シュタートラーの発案で当時の楽器職人テオドール・ロッツが製作したと伝えられています。モーツァルトのクラリネット五重奏曲と協奏曲のクラリネットパートそして歌劇「皇帝ティトゥスの慈悲」のなかの長大なアリアのオブリガートクラリネットパートはその楽器のために書かれ、普通のクラリネットでは出せない低い音が使われていたと推定されています。そのオリジナル楽譜やその楽器は現存せず当時の記事や楽器の絵が残されているだけです。それらの資料から推定されたオリジナルの音を出せるように現代のクラリネットを少し長く伸ばして低音が出るようにした楽器が多くのクラリネットメーカーからバセットクラリネットと称して製品化されています。


※3:リングキーは指で塞ぐ孔の周りにある可動式のリングで、孔を指で塞ぐとそこにあるリングキーも一緒に押されて、それと連動したキーにより別の孔も塞ぐことができるもので写真1,2,3の楽器にはまだありません。

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