197回演奏会曲目解説
ルーセル:交響曲第3番
武田浩司(トロンボーン)
アルベール・ルーセル Albert Charles Paul Marie Rousselは1869年4月5日、フランス北部トゥールコアンで生まれた。両親共に彼が子供の時に亡くなり、祖父や叔父と叔母の下で育てられた。彼は母からピアノとソルフェージュの基礎を教わっており、この頃から音楽に興味を持ってはいたが、その時点では音楽家になろうと決意していたわけではなかった。彼は元々体が弱く海沿いのリゾート地でよく療養しており、これがきっかけで彼は海に興味を持つようになり、18歳の時に海軍に入ることを決意し、パリの海 軍兵学校へ入学した。
ところがルーセルは海軍で成功しようとしつつも、音楽への興味は強まる一方だった。友人やルーベ音楽院長ジュリアン・コシュールの勧めもあり、本格的に音楽家になることを決意し、1894年には海軍を辞職しパリへ渡り、ウジェーヌ・ジグーの下で、また1898年には新しくできたスコラ・カントルムへ入学しヴァンサン・ダンディの下で学んだ。さらに、まだ学生ではあったが1902年には同校で対位法を教授し始めた。1908年、ルーセルは全ての科目を修了し、正式に学校を卒業することができた。
1908年4月7日、ルーセルはブランシュ・プレザッシュと結婚し、夫婦で4ヶ月間クルーズへと出かけインドなどを旅した。この旅行がよく反映されている作品に、交響詩《エヴォカシオン》、舞台音楽《パドマヴァティ》等がある。しかし、この後第一次世界大戦が勃発し、彼は陸軍の救急車の運転手として召集されたが、結局体調を崩し1918年に復員した。
1921年にはノルマンディーのヴァランジェヴィルにヴァステリヴァルという海沿いの別荘を購入し、彼のほとんどの作品はここで作曲された。同年10月には交響詩《春の祝祭のために》が、また1922年3月には交響曲第2番が初演され、これら数々の作品によってルーセルの評判はヨーロッパ全土、またアメリカでも急上昇することとなった。クーセヴィツキーはルーセルの交響曲第2番に対し賛辞を送っており、一方ルーセルは次の管弦楽曲《ヘ調の組曲》をクーセヴィツキーへ献呈している。
今回演奏する交響曲第3番は、1930年、ルーセル61歳の時にボストン交響楽団50周年を記念してクーセヴィツキーの委嘱により作曲された。この初演のために彼は夫婦で初めてアメリカへと渡り、その初演に立ち会った。ちなみにこの時の委嘱によって他にストラヴィンスキーの詩篇交響曲、オネゲルの交響曲第1番が作曲されている。
その後、ルーセルは心臓発作によって1937年8月23日にロワイアンで没した。
交響曲第3番 ト短調 作品42
これは4楽章から成る交響曲であり、フランス音楽の雰囲気を持ちつつも非常にリズミックな曲となっている。それぞれの楽章は第1楽章の展開部終盤で現れる5音のモットーによって支配されている(譜例1)。
第1楽章Allegro vivo
第1楽章は複雑なソナタ形式で構成されている。
提示部は3拍子の激しいリズムで始まる。この上に飛び跳ねるような高音楽器を伴い、モチーフは何度も繰り返される。この第1主題が弱まってくると、フルートによって第2主題が示される。
展開部では木管楽器とホルン、ハープによってやわらかな主題が奏されるが、次第に調性は失われ不協和音によって音楽が強まり、Tuttiで展開部の頂点を迎え、5音のモットーを繰り返す(譜例1)。
再現部においては、まず第1主題がほぼ元の通りに現れる。第2主題がオーボエによって再現された後にこれまでのテーマの断片が現れ、ト長調のフォルティッシモで終わる。
第2楽章Adagio
第2楽章は大きく3つに分けることができる。
第1部は5音のモットーを元にしたモチーフで、アダージョで始まる(譜例2)。これは対位法的に拡張され、ティンパニが加わったところで二度頂点を迎える。
第2部は生き生きとしたフーガとなっている。5音のモットーに基づいた主題と対旋律(譜例3)が繰り返された後に、フーガの主題が引き伸ばされた形でヴァイオリンに現れ、第2楽章の頂点を迎える。
第3部は再びアダージョとなり、冒頭のテーマが再現され、一度クライマックスを迎えるがその後は徐々に緩んでいき、最後は変ホ長調の和音で終わる。
第3楽章vivace
第3楽章はにぎやかな3拍子で古典的なスケルツォとなっており、形式的には変形されたソナタ形式のように見られる。
提示部では、まず弦楽器によってニ長調の第1主題が提示される。Tuttiで譜例4のモチーフが奏され、さらに展開され8小節間の特徴的なテーマが現れる。軽く踊るような第2主題は、その後木管楽器によって提示される。
展開部ではまずヘミオラのリズムに乗って前進し、第2主題がTuttiで奏される。展開部では提示部と比べ、楽器の音域・音量・編成等の面でよく対比されている。
再現部ではまず第1主題が低弦に現れ、第2主題は弦楽器によって柔らかく再現される。8小節のテーマとその断片が現れ、ピアニッシモで終わる。
第4楽章Allegro con spirito
第4楽章はソナタ形式、もしくは自由なロンド形式で構成されている。
提示部ではまずフルート・ソロで第1主題が示される。これは木管楽器によって展開され、3/4と4/4拍子が交互に現れ活気のあるモチーフがTuttiで奏される。第2主題は高音楽器によって示される。
展開部では徐々に音楽が静まっていき、アンダンテとなる。ここでは5音のモットーに基づいたメロディーがヴァイオリン・ソロによって展開される。
フルート・ソロの駆け上がりを合図に再現部となり、テンポは加速しアレグロ・モルトとなる。変拍子が調性を変えながら4回現れると音量は頂点に達し、5音のモットーがTuttiで壮大に繰り返され、最後はGのユニゾンで曲を閉じる。
参考文献
B. Deane, “Albert Roussel”, Barrie and Rockliff, London (1961)
J. M. Eddins, “The Symphonic Music of Albert Roussel”, フロリダ州立大学博士論文 (1966)
初演:1930年10月24日 ボストン
セルゲイ・クーセヴィツキー指揮 ボストン交響楽団
楽器編成:フルート3(ピッコロ持ち替え)、オーボエ2、コールアングレ、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット4、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、シンバル、トライアングル、大太鼓、小太鼓、ドラ、タンバリン、ハープ2、チェレスタ、弦5部
ラフマニノフ:交響曲第2番
高梨健太郎(クラリネット)
作曲から長い年月が経ってもなお感動を与え続ける音楽を生み出した人間は、間違いなく天才である。一言に天才と言っても、モーツァルトのような神から才能を授けられた者もいるが、挫折や苦悩を乗り越え、努力を重ねて傑作を生み出す者もいる。ラフマニノフは圧倒的に後者である。
ラフマニノフは、モスクワ音楽院ピアノ科を過去最高の成績で卒業、同音楽院作曲科でも優秀な成績を修める。発表する作品は激賞され、特に初めて取り組んだオペラ「アレコ」は尊敬するチャイコフスキーから高い評価を受けるなど、20歳を過ぎたばかりのラフマニノフの前途は洋々であった。
ところがある時、彼の輝かしい音楽歴は一変する。満を持して取り組んだ交響曲第1番の初演が大失敗に終わってしまうのである。原因は曲に対する指揮者の理解不足と練習の不手際にあったのだが、新聞に載った批評の内容は「地獄に音楽院があったら、こんな作品が生まれるだろう」と作曲者への手厳しい批判だった。
24歳のラフマニノフ青年が受けた精神的ショックはあまりに大きく、その内向的な性格も災いし、強度の神経衰弱・自信喪失に陥る。以後数年もの間、作曲のためのペンを握ることさえ殆ど出来なくなってしまう。音楽教師、歌劇場の第二指揮者という職に就いて生計を立てるも、自分の天分は作曲だと信じるラフマニノフにとっては手足をもがれたに等しく、長い苦悩の日々を過ごすことになった。
しかし、彼は甦る。精神科医ニコライ=ダーリの尽力により徐々に自信喪失状態を克服し、チェーホフら文学者との交友から創作意欲を刺激され、作曲活動を再開する。そうして書き上げたピアノ協奏曲第2番が大成功を収め、その評判に手応えを感じたラフマニノフは、トラウマとなっていた交響曲の分野に再び挑戦。チャイコフスキーなど偉大なるロシアの先人達の作風を踏襲したこの曲の初演は大好評、ロシア音楽界で最も栄誉ある賞の1つであるグリンカ賞を授与される。ラフマニノフ34歳、交響曲第1番の挫折から10年あまりの月日が経っていた。
ラフマニノフの作品は、映画のワンシーンが思い浮かぶようなロマンティックなメロディーの宝庫である。交響曲第2番も例外ではない。1990年代にフジテレビで放映されたドラマ「妹よ」で、唐沢寿明演じるイケメン御曹司の好きな曲がこの交響曲の第3楽章であった。この楽章の持つ甘美な雰囲気は、主演の和久井映見が憧れる存在という設定にリアリティを与え、演出効果抜群であった。
そういった特徴があまりにも印象深いのか、しばしば映画音楽的と評され、約1時間という比較的長い演奏時間も手伝って「ただそれだけで、内容が薄い」と批判されることも少なくない。
しかし、ただそれだけの音楽と言い切るのは早計ではないだろうか。彼が作ったのは、いたずらに扇情的なだけのスクリーンミュージックのようなものなのであろうか。
ここで交響曲第2番作曲当時のラフマニノフの心情に思いを馳せて欲しい。交響曲第1番初演の悪夢が脳裏に焼き付いている彼は、自分の判断は間違っているのではないか、また失敗して酷い目にあうのではないかとくじけそうになる自分を叱咤して机に向かわなければならない。ごく親しい人にさえ交響曲を作っていることを口外せず、ただひたすら孤独な戦いをする彼の生みの苦しみは、想像を絶する。ラフマニノフは後年、「あくまで自分の美意識に従って作曲するだけだ」と作曲家としての信念を語っているが、精神的ショックから立ち直りかけだった当時の彼にとって、「自分の美意識」を音にして世間の目に晒す作曲という行為は、ともすれば自分を10年前に巻き戻しかねない、恐ろしいことだったに違いない。それでもラフマニノフは五線譜と向き合い続けた。この曲の美しい旋律の奥には、常に己の弱さと戦い続ける彼がいるのである。
標題やテーマを持たない純音楽である交響曲は、作曲者の内面がよりダイレクトに表現されることが多い。まさに人生をかけて作曲に取り組んだラフマニノフの交響曲があらわすものが彼自身だとしたら、この曲が表現しているのは、薄っぺらな感傷ではなく、打ちのめされても這い上がって己と戦い自分の信念を貫き通す彼の心意気ではないだろうか。
音楽とは面白いもので、聴く側の主観によって随分印象が変わる。この曲についても、人間ラフマニノフの辿ってきた道程をこうして念頭に置くと、この曲の美しさに、より深さと広がりが感じられるのである。
第1楽章 Largo-Allegro moderato
沈鬱だが美しい序奏を経て、コールアングレの独奏の後、主部に入る。主部では、ヴァイオリンとクラリネットが主題をかけ合い、その後展開部で、主部の主題がドラマティックに展開する。途中の金管による不安な響きは、ラフマニノフが終生モチーフにしていたロシア正教の鐘の音を模している。
第2楽章 Allegro molto
雪道を疾走するトロイカを思わせる軽快な主題と、広大な大地を思わせる情感豊かな主題が交互に登場する。緊迫した雰囲気の中間部分は、雪嵐、吹雪の情景を連想させる。この部分は演奏の難易度も高く、実際にオーケストラも緊迫する。満足に練習せずに演奏すると、音符の大吹雪に見舞われ遭難する奏者が続出する。
第3楽章 Adagio
緩徐楽章。ヴァイオリンによる短い序奏の後、クラリネットが「この世に存在する最も美しい旋律の一つ」で入ってくる。美しい響きの中でじれったいまでに引き伸ばされる旋律の魅力は、「ラフマニノフ節」の真骨頂である。
第4楽章 Allegro vivace
躍動感に溢れ、金管楽器の活躍するエネルギッシュな主題と、弦楽器による大らかな主題が絡み合って進展する。一時第3楽章を回想するが、すぐに前の主題に戻り、激しいフィナーレへとなだれ込む。
参考文献:
「ラフマニノフ その作品と生涯」
(ソコロワ著 佐藤靖彦訳)
「伝記 ラフマニノフ」
(ニコライ=バジャーノフ著 小林久枝訳)
初演:1908年1月26日 サンクトペテルブルク
作曲家自身の指揮にて
楽器編成:フルート3(ピッコロ持ち替え)、オーボエ3(コールアングレ持ち替え)、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、シンバル、大太鼓、小太鼓、グロッケンシュピール、弦5部
第197回演奏会(2007.4)パンフレットより