シェーンベルク:交響詩「ペレアスとメリザンド」
1.後期ロマン派作曲家シェーンベルク
アーノルト・シェーンベルクほど曲のスタイルが激しく変化した作曲家は珍しいでしょう。いわゆる“ゲンダイオンガク”の祖ともいえる「12音技法」の創始者なのですが、大変にロマンティックな曲も残しています。本日演奏する「ペレアスとメリザンド」はそれにあたります。
シェーンベルクはウィーンの靴店に生まれ、特別に音楽的環境の家庭で育ったというわけではありませんでしたが10歳に満たないうちにヴァイオリンの演奏や作曲をはじめたとのことです。16歳のときに父を亡くしたため中等学校を中退し銀行に勤めます。しかし長続きせず、弦楽器が十人足らずの小さなオーケストラのチェロ奏者になります。そこの指揮者がツェムリンスキーというウィーン音楽院を修了したばかりの若い音楽家で、シェーンベルクは彼から音楽に関するあらゆることを学んだと言っています(ツェムリンスキーはマーラーより少し後の後期ロマン派の作曲家として最近見直されています)。
シェーンベルクが最初に認められた作品は弦楽六重奏曲「浄夜」作品4です。その音楽はワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」をさらに推し進めた半音階的和声により、単に濃厚なロマンティシズムだけでなく異様な緊張感と美しさを漂わせています。
さて、本日演奏する「ペレアスとメリザンド」は作品5、すなわち「浄夜」の次の作品です。この曲はフル編成のオーケストラを使っていますから、前作同様のロマンティックな半音階的和声に加えて、複数のメロディーを同時に多数の楽器で演奏することによる屈折した感情表現や、弦楽器や木管楽器のソロおよびハープによる繊細で儚(はかな)い美しい響きなど、息を呑む場面が数多くあります。
2.曲の進行とストーリー
「ペレアスとメリザンド」は、日本では「青い鳥」で有名なベルギーの劇作家 メーテルランクの戯曲です(昔はメーテルリンクでしたが最近は原語読みに近いメーテルランクとよぶのが一般的です)。
シェーンベルクの「ペレアスとメリザンド」は劇音楽ではなく交響詩なのですが、劇の筋をかなり忠実に追っています。またワーグナーの楽劇と同様に登場人物や事物に固有のメロディーを割り当てた、いわゆるライトモティーフ(示導動機)により曲が構成されています。加えて4楽章の交響曲のような構成にもなっています。
ここでは音楽と劇の進行、そこに現れるライトモティーフについて解説していきましょう。これらを事前に理解しておくだけでこの曲をより深く楽しめるようになると思います。便宜的に四つの部分に分けて説明しますが楽譜にはそのような区切りは一切記載されていません。なお、特に聴きどころの部分はゴシック太字で表記しました。
■登場人物
原作の戯曲にはもう少し多くの人物が登場しますがこの交響詩では以下の三人を知っておけば十分でしょう。
・ゴロー:没落しつつある小国アルモンド王国の老王の孫。数年前に妻をなくしており、小さな子供がいる。
・メリザンド:正体不明の不思議な女性。一説では水の精であるとのことだが戯曲の中にほのめかしてあるだけで最後まで正体はわからない。
・ペレアス:ゴローの異母弟。若くて繊細な性格。
■第一部
ゴローが狩の獲物を追って森の奥深くに入ってゆく(「陰鬱な森」譜例1)。「トリスタンとイゾルデ」前奏曲の冒頭を憂鬱にしたようなこのテーマ(譜例1)がヴィオラ、コールアングレとファゴットを中心に繰り返される。
そこへ印象的な暗いメロディーがバスクラリネットによって二度奏される(譜例2)。これが「運命」と名づけられている、この曲の中心をなすライトモティーフである。
そのとき美しい若い娘が森の中に一人佇んでいるのが見える。オーボエを中心にメリザンドのテーマが現れる(譜例3)。美しいが生気の乏しい下降音型のテーマである。
ゴローがメリザンドを見つける。ゴローのテーマは最初ホルンでその後ヴィオラ、チェロが重なり、弦楽器群で美しく繰り返される(譜例4)。
敵(かたき)役のライトモティーフであるにもかかわらずそのメロディーは悲劇的でかつ美しい。ゴローの問いに対して要領を得ない答えしかしないメリザンド。ゴローはメリザンドの美しさに惚れ、妻にするため城に連れ帰る。悲劇の始まりである。運命の動機が金管楽器と打楽器により冷酷に繰り返される。
王国の没落を象徴するように覇気のない城の中でメリザンドは塞(ふさ)いでいる。そこへペレアスが現れる(譜例5)。
トランペットがリズミックに無調的な跳躍をする前半部と悩ましい響きの後半部からなる長いライトモティーフである。ペレアスの若々しくかつ憂いを持った二面的な性格を表現している。すると、クラリネットが非常に官能的なメロディーを奏で、後半にはヴァイオリンのソロが重なる(「愛に目覚めたメリザンド」譜例6)。ペレアスに出会って愛に目覚めたメリザンドは急に生気を帯び、艶かしく変貌するのである。
■第二部(スケルツォに相当)
急に早い三拍子となって、フルートが活躍する楽しげな音楽になる。この場面はメリザンドがペレアスと小さな古い井戸のそばで遊んでいる場面である。メリザンドはゴローからもらった結婚指輪をはずして弄(もてあそ)んでいるうちにその井戸に落としてしまう。このような情景がフルート、ピッコロを中心とした木管楽器で表現されている。ちょうどその頃、ゴローは森に狩に出かけて落馬する。井戸の傍らで無邪気に遊ぶペレアスとメリザンドの描写からゴローの落馬を表現する音楽に瞬時に移行する作曲技巧は目を見張るものがある。この、指輪紛失のできごとからゴローとメリザンドの悲劇が本格的に始まる。
落馬のけがを癒すためベッドで休むゴローをいたわるメリザンド。そのとき、メリザンドの指に指輪が無いことをゴローが発見する。「ゴローの疑いと嫉妬」のモティーフ(譜例7)がコントラバスにより“どす黒く”奏される。ゴローにきつく問いただされたメリザンドは海辺の洞穴で波にさらわれたと言い逃れをする。
「ゴローの疑いと嫉妬」(譜例7)の後、ヴィオラとチェロのソロによる儚(はかな)く美しい経過部(ほんとうに美しいです!)があり、いよいよ有名な「城の塔」の場面になる。これはメリザンドが城の二階の窓から身長ほどになる長い髪を垂らし、その下でペレアスがその髪を愛撫しながら語らうと言う、なんとも“フェチ”な場面である。ペレアスは、「明日旅に出なければならない」とメリザンドに伝える。直接的に愛を語る事はなく暗示的な会話であるが、髪を愛で、そして撫でるという行為によってメリザンドに対するペレアスの愛を表現している。この部分の音楽は繊細さを極めている。フルート、クラリネット2,3番のゆっくりしたアルペッジョとソロヴァイオリン、チェロの「メリザンド」、さらにクラリネット1番が「愛に目覚めたメリザンド」のテーマを、メリザンドの髪をまるで愛撫するかのように繰り返し奏する。
そこへゴローがやってきてペレアスを咎める。官能的な音楽が終わりを告げ「運命の動機」や「ゴローの疑いと嫉妬」などによる切迫した音楽に変わる。ゴローの二人に対する疑いが決定的なものとなる。
ゴローはペレアスを城の地下にある洞穴につれて行き、穴底を覗かせることでこの城から姿を消さないと命はないと暗示する。そこでは底なしの溜りからよどんだガスが沸いてきている。2本のクラリネットがオクターブで不気味なパッセージを繰り返し、トロンボーンのグリッサンドがその雰囲気を助長する。そして、木管楽器のフラッタータンギング※による上向音型の後、「運命の動機」が爆発する。
※:巻き舌または喉を震わせてtrrrrと発音する奏法
■第三部(緩徐楽章に相当)
音楽は急に甘美な響きに包まれ「愛に目覚めたメリザンド」(譜例6)のテーマが繰り返される。ペレアスは城から立ち去ることを決め、メリザンドに別れを告げるために夜に城外の泉の傍らで最後の逢引きをする約束をしたのである。ハープのアルペッジョと一瞬の休止の後、ヴァイオリンとチェロによりゆっくりした三拍子の甘美なテーマ(譜例8)が現れる。メリザンドはこっそり城を抜け出して来る。初めてお互いが好きだと言うことを口にし、これまで躊躇していた感情を爆発させる。原作では、愛の場面ではあるものの可憐で清純な愛の場面である。しかし、音楽の方はひたすら濃厚、爛熟、官能を極めてゆく。まさに「トリスタンとイゾルデ」第二幕をさらに濃縮したような音楽である。
甘く幸せな時間は短かった。ゴローがメリザンドの後を追ってきていたのである。メリザンドがそれを見つけ悲鳴をあげる。この悲鳴をピッコロや高音のクラリネットが表現する(芸が細かい!)。嫉妬の怒りが爆発したゴローは、ペレアスを剣で何度も突き刺して殺害する。
■第四部(フィナーレ楽章に相当)
これまでの悲劇を回顧するように冒頭の森の音楽が戻ってくる。ここで新しいテーマである「死の場面」(譜例9)が現れる。
またメリザンドが憔悴(しょうすい)している姿も表現される。その後、嫉妬と後悔で錯乱したゴローが音楽により表現される。ゴローはメリザンドにペレアスとの関係を執拗に問いただす。メリザンドは、ペレアス殺害直後のゴローによって城に連れ戻されていたのである。音楽はゴローが嫉妬に狂っている姿を激しいフォルティシモで表現してゆく。クライマックスの後にクラリネットのみが残り、それに続くコールアングレがメリザンドの悲劇的な運命を表現する。そして息を呑むようなハープのグリッサンドに導かれ、フルートとピッコロで美しい下降音型が、クラリネットで「死の場面」が奏される。メリザンドが死の床についているのである。メリザンドの死期が迫ってきた。ゴローの執拗な問いかけに対して「本当は、本当は・・」と言ったきり答えない。美しい和音が響いてフェルマータとなったところでメリザンドは息絶える。真実は謎のままゴローは独り残されてしまったのだ。
このあとはこれまでのテーマを用いてこの悲劇を総括してゆく。そのなかでもメリザンドの死の後、ゴローのテーマが万感の思いを込めて奏される箇所が印象的である。最後も「ゴローのテーマ」と「運命のテーマ」によって締めくくられる。
3.シェーンベルクの「ペレアスとメリザンド」が表現しているものとは?
このように原作の筋書きと音楽を比較してゆくと原作に比べて音楽があまりにも濃厚でエロティックなのが気になります。同じ題材を用いたドビュッシー、フォーレそしてシベリウスも美しく儚い音楽を付けているのに比べてあまりにも“濃すぎる”のです。これについては次のように考えられませんでしょうか(あくまで仮説です)。シェーンベルクはゴローから見たペレアスとメリザンドを表現したのではないかということです。そう考えれば敵役であるゴローにあれだけ重要な美しいテーマを与えたということも納得できますし、異常に濃厚な音楽も全て説明がつきます。ペレアスとメリザンドの間には実際はゴローが考えるようなことは無かった(あったのかもしれませんが字面を読む限り無かったことになっています)にもかかわらず、ゴローの頭の中では、「あんなこと」や「こんなこと」をしているに違いないと妄想が膨らみ、嫉妬を燃やしていたということです。
シェーンベルクがこの曲を作曲した1903年頃は長女が生まれ、家族円満な幸せな時代だったと思われます。にもかかわらずこれだけ深くて憂いを持った曲を書いてしまうというのは天才ゆえなのでしょうか。実は「ペレアスとメリザンド」の作曲から4年後、シェーンベルクに絵を教えるため出入りしていた若い画家ゲルシュトルがシェーンベルク夫人と駆け落ちするという事件が起きています。夫人は結局シェーンベルクのもとに戻り、ゲルシュトルは20代の若さで自殺するという結末を迎えます。なにか「ペレアスとメリザンド」を髣髴とさせる出来事です。あのマーラーが、二人の幼い娘が元気で幸せの絶頂のとき「亡き子をしのぶ歌」を作曲し、その後に娘を亡くしてしまうという有名な話のように、未来を予見しそしてそれを呼び寄せてしまったのでしょうか。
ゲルシュトルに指導を受けたシェーンベルクは多くの絵画も残しています。そこにはゴローの狂気の世界にも共通する暗い感情が潜んでいるように思えます。
参考文献
『"PELLEAS und MELISANDE" von ARNOLD SCHOENBERG Thematische Analyse』
Alban Berg (Universal Edition)
『“Arnold Schönberg Center” web site』
http://www.schoenberg.at/6_archiv/music/works/op/compositions_op5_e.htm
『〔大作曲家シリーズ〕シェーンベルク 』
フライターク著、宮川尚理訳(音楽之友社)
『岩波文庫 対訳「ペレアスとメリザンド」』
メーテルランク作、杉本秀太郎訳 (岩波書店)
『名曲解説全集第6巻 P182-184』(音楽之友社)
挿絵:『"PELÉAS ET MÉLIANDE"』より Carlos Schawb (Piazza社1924)
初演:1905年1月25日 シェーンベルク指揮Orchester des Wiener Konzertvereines (ウィーン楽友協会大ホールにて)
楽器編成:ピッコロ、フルート3(3番は2番ピッコロ持ち替え)、 オーボエ3(3番は2番コールアングレ持ち替え)、コールアングレ、クラリネット3(3番は2番バスクラリネット持ち替え)、Esクラリネット、 バスクラリネット、ファゴット3、コントラファゴット、ホルン8、トランペット4、アルトトロンボーン、トロンボーン4、テューバ、ティンパニ、シンバル、トライアングル、タムタム、テナードラム、大太鼓、鉄琴、ハープ2、弦5部