行き着く先を実感したい ― 飯守泰次郎氏にきく
2006年の新交響楽団・創立50周年シリーズにおいて、ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」で圧倒的な音楽性と指導力でもって演奏会を大成功に導いた飯守先生。あれから約1年半ぶりの登場となります。飯守先生と共演したシューマンの交響曲では4度目で今回最後になる第1番「春」と、初挑戦で更なる新境地を開拓されるシェーンベルク「ペレアスとメリザンド」について、その魅力を中心にお伺いしました。
-まずはシューマンの交響曲の魅力についてお伺いします。
飯守 シューマンの本質をはっきりと言い切ることは出来ませんが、彼のパーソナリティから考えるとシンフォニーを作曲するには向かない作曲家だったと思います。ご存知のようにシューマンの場合は「ピアノの年」「歌曲の年」「室内楽の年」など、年代よって同じジャンルの作品を大量に集中して作曲していく傾向がありました。まず最初にピアノ曲から始まるのですが、次の歌曲まではとても素晴らしかったのです。その次に1841年の「交響曲の年」へと続きます。とはいっても第4番は既に第1番の時に作曲され、第2番は1846年、第3番は1850年というように、4つのシンフォニーはいくつかの年に分散して作曲されています。また草稿もいくつか残されていています。ヘ短調とかト短調、ハ短調、イ短調など、いろいろと修作の跡があるのです。ではなぜそのように試したかと言うと、彼はものすごく苦労していたんですね。やはりシンフォニーには向かない作曲家だったと思うのです。ピアノ曲や歌曲に向いていた、そういうパーソナリティなのだと思います。
ところが彼はドイツの作曲家としてバッハをとても研究し、次にベートーヴェンも研究しています。その結果、自分はこれらの偉業を継承する責任があると覚悟し、全身全霊を傾けてシンフォニーに取り組んだのです。ですからシューマンのシンフォニーの最大の魅力は、向いていないジャンルに本気で取り組み、苦労して作り上げ練り上げたところにあると思います。だけれどもその中にちょっとした未完成な部分や、出来の悪さが見受けられる、そこにもものすごく魅力があると思うのです。ちょっと良くない言葉ですが歪んだ魅力というか、苦労の跡がうかがえる魅力と言ってもよいでしょう。例えばベートーヴェンとかブラームスはもう完璧なわけです。同時代のメンデルスゾーンにしても同じです。ただシューマンの場合にはその中にちょっと無理がある。たとえばオーケストレーションひとつとっても何かそこに苦労の跡が見られて、もう少し違うやり方が出来たのではないかなと思うことがあるのです。弦楽器がなぜあれだけ細かい音符を刻まなければならないのだろうかとか、管楽器が浮き立ってこないなど。ただしその音楽性や音楽的発想が、本当に素晴らしいんですよ。
-初演当時のホルン奏者は当時の楽器では冒頭の部分を吹けなかったそうですね。
飯守 あの頃のオーケストラの実力というのは今では知る由もないですが、当時の交響曲の初演というのはかなり貧弱なものだったらしいです。またドヴォルザークあたりまではとても小さなオーケストラで演奏していたようです。随分前に聞いたシューマンのオーケストレーションの話ですが、当時のセカンドヴァイオリンが上手く弾けなかったため、その部分を管楽器で補ったそうです。それでどんどん楽器が重なってしまったとか、聞いたことがあります。ところどころに変な部分があるのは、弾けない箇所を補って書かなければならなかった当時の事情があったのかもしれません。
-交響曲第1番を作曲したときはちょうどクララと結婚した時になりますね。
飯守 彼が一番幸せな時です。
-その一方シューマンの音楽の中には精神的な悩みのようなものを常に感じます。
飯守 そのとおりです。またシューマンの精神的な悩みというのは、シューマンの魅力と見事に直結していると思います。それはピアノ曲や歌曲のとても幸せな曲の中にも出ています。例えば交響曲第1番の冒頭ではホルンとトランペットが春の到来を告げます。それはまだ発病していない時の幸せに満ちているのだけれども、オーケストラ全体で繰り返した後、急にニ短調になってハ短調になってしまう。そうすると単なる幸せな春の到来ではなくなり、その先のシューマンの鬱がもうすでに表れているような気がするのです。彼の音楽的な魅力は、彼の血の中に存在する精神病的な不安定さにあると思います。
-またシューマンは批評活動を通して新しいものを次々と紹介していきました。彼の活動には休むことを知らないという感を受けます。
飯守 ショパンの才能をいち早く告げた有名な言葉「諸君、脱帽したまえ、天才だ!」などの論評活動が有名ですね。しかしこれまた彼のパーソナリティから考えると雑誌の編集者なんて出来るわけが無いんです。なのにそれらを自分の任務だと思ってやっている。論評活動は彼にとってはものすごく負担だったと思います。そして先ほど申し上げたドイツの作曲家としてシンフォニーを継承するという責務を感じていたわけで、まさに苦しみの連続でした。それで精神的にだんだんひどくなっていきます。そういった苦しみがシューマンの作品には常にあり、またそこが魅力の一つだと思うのです。こういう傾向は他の作曲家にはあまり無いです。
一方そういった病的な魅力はマーラーの作品の中にもあります。ただマーラーの場合は見事なまでに現代人の精神的矛盾まで繋がっていきます。例えば「やがて自分の時代が来る」と言っているように、もう予測してやっているわけです。マーラーは自らそこに入り込んでいって、ある意味「苦しみの特権階級」みたいに自分をしてしまったのです。だけどシューマンの場合は違います。そこから必死に抜け出そうとする、あがく苦しさが見えてくるのです。必死にもがき苦しんでいる魅力といってもよいでしょう。
-クララとの結婚も大変でしたね。例えば夫婦でロシアへ演奏旅行した際、クララの成功がものすごかったのに対して彼は全然認められていなくて、「クララのご主人」と言われていたそうですが。
飯守 そうですね。そのロシアへの演奏旅行の後でだんだんと彼は落ち込んでいくわけです。まずもともと血の中にあった精神病的なもの、次にはクララの父親を含めた問題がありました。クララの父親は最初から彼の本質を見抜いていたのです。そして夫婦としてのキャリアのぶつかり合いですね、まあこれはよくある問題ですが。
それからもう一つ大事なことは、若きブラームスの登場です。シューマン自身「新しい道」という表題でその若者を強く賞賛して音楽界に迎え入れて、家庭にまでも迎え入れて友人として付き合っていたのだけれど、クララと非常に親しくなっていきました。逆にシューマンが入院してしまった時など、ブラームスが家族の面倒などもみています。そのあたりが精神的な病を早めた、ひどくしたのではないかとも考えられます。ラインに身を投げる前に結婚指輪を投げたりしていますね。クララとブラームスの間では300通を超える手紙のやりとりがあったそうですが、そのうちのかなりの部分が削除されたり、破棄されたので本当のところはよくわかりません。
-シューマンは一番正直に自分の病気に悩んだ人だといえるのでしょうか。
飯守 作曲家が悩み始めたと頃というのは、ちょうど作曲家が教会や王侯貴族などから独立し始めた頃から始まります。例えばハイドンやモーツアルトは貴族に仕えていたけれども、ベートーヴェンは完全にそこから抜け出して自立しました。そういったしがらみから抜け出したあたり、だいたい1800年くらいから個人の悩みや苦しみというものをぶつけて、それらを材料として作曲していくという動きが出てきました。もちろんハイドンだって勝手をやっているし、バッハだって随分ときかん坊でわがままで好き放題やっていたらしいけれども、一応社会人としての枠の中には収まっていたわけです。それがモーツアルトやベートーヴェンあたりから収まらなくなってきました。シューベルトなどもそうです。一方メンデルスゾーンは病弱でお金持ちだったこともありきちんとした社会人だったようですが、これは例外だと思います。シューマンになると完全に精神病の傾向が顕著になってきます。
そして音楽の中にもロマン性と同時にちょっとづつ毒が入ってきました。ワーグナーやリヒャルト・シュトラウス、そしてマーラーなどはその毒を非常に上手く利用した作曲家だといえます。逆にシューマンの場合は違います。だから彼の場合よくぞ交響曲を4曲も作曲できたと思うのです。しかも4曲とも名曲で後世まできちんと残っている。一種の奇跡ともいえます。よく勉強した上で、自分の性格に反してまでも懸命に取り組んだこともありますが、やはり音楽的な発想というのが素晴らしかったのだと思います。
-さてシェーンベルクへ移ります。まずテキストとなったメーテルランクの戯曲「ペレアスとメリザンド」はリヒャルト・シュトラウスが勧めたときいていますが。
飯守 シュトラウスはシェーンベルクに仕事が無くて娘も生まれて困窮していた頃、写譜の仕事などもあげたりしていました。そしてメーテルランクの戯曲を勧めたのですね。
-まったく同時期にフォーレやドビュッシー、シベリウスなどがこの戯曲を取り上げたというのも面白いと思うのですが如何でしょう。
飯守 流行とでもいいますか、象徴派(注1)の詩人がものすごく魅力を引きつけた、ちょうどそういう時代だったのです。
-世紀末という時代背景も関係するのでしょうか。この後に第一次世界大戦が勃発し、いままでの価値観が崩れ去った時代といえます。
飯守 もちろんです。世紀末というのは毎世紀あるわけですけれど、あの世紀末はもの凄かった。政治的にもそうですが、例えばシェーンベルクやマーラーなどの作曲家をはじめ、画家、建築家なども含めてその退廃の度合いが凄まじい。もう今後もあれ程まで行くことはないでしょう。本当に大変な時代でした。我々現代人はそれを通り抜けてきたから達観したところがありますが、あの頃はどろどろと燃えたぎっていました。それであまりに生々しくなってしまったので、ベルギーやフランスなどは象徴主義や印象主義などへすっと脱却していったのです。
-メーテルランクはこの頃のどろどろしたものを浄化しようとして作った戯曲なのだけれども、シェーンベルクはこれを使ってどろどろの極致を開拓したということでしょうか。
飯守 それはあたっていますね、どろどろを引き戻してしまったというやつです(笑)。
-他の作曲家はメルヘンのような綺麗な仕上がりですが、シェーンベルクはなぜこのような音楽をつけたのか、ちょっと理解しがたいのですが。
飯守 そうですね、他の作曲家の表現は大人か子供かわからないような神秘性に包まれているところがあるわけですよね。ところがシェーンベルクの作品だけはぐんと熱い。ペレアスが殺されるところなど凄いではないですか。フォルティッシモの打楽器と金管楽器でもってあんな殺し方ですよ。また冒頭の陰鬱な森のテーマは非常に「トリスタンとイゾルデ」的ですし、その他にもいたる所に「トリスタンとイゾルデ」を思わせる響きを見つけることができます。
その一方シェーンベルク自身が劇音楽として忠実に書いたと言っているように、メーテルランクの書いてある筋とおりに音楽は進行していきます。この作品の面白いところは、まず言葉が無いこと、そしてアクションもない、けれども戯曲に起きていることがかなり忠実に描写してあることです。あともう一つの特徴としては、示導動機(注2)と言ってもよいくらいに多くの動機が張り巡らされていることです。
-この作品についてアルバン・ベルクがアナリーゼ(楽曲分析)をしていますが。
飯守 シェーンベルク自身の解説によると、ペレアスとメリザンド、ゴローとあと運命などの動機は意識しているけれども、あくまで劇音楽として忠実に書いたとなっています。けれどもベルクがよくよくアナリーゼしてみたら、思っていた以上の示導動機が出てきたのです。またこれによると楽章などのシンフォニックでクラシカルなフォームまできちんと入っています。一方ワーグナーはそこまではやっていないわけで、それがとても面白いと思います。
シェーンベルクはこの作品の中で、非常に抽象的な美観の中にクラシックの要素を入れています。ベルクの解説はちょっとこじつけくさいところもありますが、確かに彼の構造の中に存在するのです。逆にシェーンベルクはあまり意識していなかったようだけれども、ベルクはそれを完全に掘りおこしています。最初に示導動機を提示したところが第1楽章、そして第2楽章がスケルツォ、中間部のゆっくりしたところが緩徐楽章で、そしてペレアスが殺された後冒頭に戻ってくるところがフィナーレになっていく、という具合にです。そう言われれば確かにそうなっています。この点は演奏する側は知っておいてもよいかと思います。
-シェーンベルクはきちんとした音楽の勉強はしたことがない、と伝記等に書かれています。ですがこれだけ数学的に作曲出来て、なおかつ大変ロマンティックです。どこで勉強したのでしょうか。
飯守 ツェムリンスキー(1871年~1942年 オーストリアの作曲家)がシェーンベルクに対位法の指導を行なっていますが、これがシェーンベルクの受けた唯一の音楽教育と言われています。またこの時代にツェムリンスキーも同じ努力をしていたわけですが、あくまでも調性から離れなかった、そして不幸な死を迎えてしまいました。逆にシェーンベルクの場合はもう完全に調性に行き詰ってしまったのです。そして改革してしまった。
-この作品の魅力は何でしょうか。
飯守 私が「ペレアスとメリザンド」をやりたくて仕方がなかった理由の一つとして、調性のある曲としてはシェーンベルクの最後の作品になることです。次の作品からは12音技法などの新ウィーン楽派に移行します。「グレの歌」は作品番号では後になりますが、実はこの前に書かれています。
調性の崩壊についてですが、例えばワーグナーでいうと「トリスタンとイゾルデ」よりも後の作品にあたる「神々の黄昏」の中、例えば第2幕でブリュンヒルデが怒りに狂ってものすごく盛り上がるところや、アルベリヒがハーゲンの夢に現れるところなどで、ほとんど調性がわからなくなっています。あと「パルジファル」の中の官能性を表しているところでも調性が極端に不安定になっているところなどがあります。ただしワーグナーの場合はその不安定さを最大限まで利用しているわけです。
それに対してシェーンベルクの「ペレアスとメリザンド」は明らかにその先を行っています。つまり調性が崩壊するぎりぎりまで行き詰っているのです。示導動機を張り巡らしたりしていますが、その変奏の手法とか、調性の乱高下の仕方とかがものすごく入り組んでいて、その先の12音技法のシェーンベルクを予想させるところまで行っているのではないかと思うのです。じつはこの辺りに調性が崩壊するちょうど前後の境目があるのではないかと思っています。だからその行き着く先を目撃したい、実感したいのです。もちろん皆さんと一緒にね。
-こういう異常なものをやってしまうと、シューマンの病気はもう普通の病気のように思えてしまうわけで(爆笑)。最後に今回の演奏会に向けてのメッセージをお願いします。
飯守 シューマンとシェーンベルクという、とても良いプログラムになったと思います。この二人に共通する異常さ、常識からはずれたところを述べましたが、そこにものすごく魅力があります。新響はそれらを正面から、また内面から取り組むオーケストラだと思いますので、本当に楽しみにしています。オーケストラと指揮者はギブアンドテイクというのか、お互いに教え教えられるところがあるというような演奏会になりそうです。これだけの重厚なプログラムになると、ただレパートリーをこなすというだけでは絶対に足りないのです。今回はそれが出来そうな気がします。
2008年3月10日
(注1)象徴派:象徴主義に属する詩人の一派。言語のもつ音楽的・映像的な側面に着目し、直接にはつかみにくい想念の世界を暗示的に表現しようとした。ボードレールを先駆者とし、マラルメ・ヴェルレーヌ・ランボーらが継承した。
(注2)示導動機(ライトモティーフ):オペラ・標題音楽などの曲中に繰り返し現れる特定の楽句で、楽曲の主要な想念や感情・物事・特定の人物などと結びついているもの。特にワーグナーが楽劇中に活用した。
聞き手:土田恭四郎(テューバ)
構成・まとめ:藤井 泉(ピアノ)