イベール/交響組曲「寄港地」
倉田京弥(トランペット)
■海と作曲家
「海」は作曲家にとって特別な存在のようです。時には穏やかに時には激しく荒れ狂い、人間と言う存在の小ささと自然の偉大さを思い知らされます。そこは、生命の源であり、神秘的な青い星を形作る 源として、古くから芸術家の心を捉えて放しませんでした。
この時代、海に魅せられた作曲家はとても多く、有名なところでは12歳で海軍兵学校に入ったリムスキー=コルサコフ(後に「シェヘラザード」で波の情景を見事に描写した)や、「作曲家になれなかったら船乗りになっていただろう」と語ったドビュッシー(結局彼は船乗りにはなれず「海」や「小船にて」などの曲を書いた)などが挙げられます。生粋のパリジャンであるイベールも、大海原に対する憧れはひとしおで、パリ音楽院在学中に勃発した第一次世界大戦に乗じて、自ら志願して海軍に入り、地中海各地の港を巡り異国の印象を心に刻むこととなります。
また、バレエ組曲「三角帽子」などで有名な、スペインの作曲家ファリャはイベールのいとこで、時々、イベールはマドリッドのファリャの家を訪れています。この旅行の際に、海沿いのバレンシアに立ち寄った可能性も大いにあります。多くの国の港に立ち寄った経験のあるイベールにとって、「寄港地」とは単なる港町や陸地というよりも、もっともっと深い意味を持つ言葉だったのでしょう。
交響組曲「寄港地」の原題が「Escales...」と意味深な「...」が付いていることからも、寄港地に対す る彼の特別な思いを察することができます。
■パリからローマへ、そして各地へ
イベールが「寄港地」を作曲したのは30歳~32歳の頃。1919年に29歳でローマ大賞を受賞し、その副賞として翌年から3年間、住み慣れたパリからローマ音楽院へ留学していた時期でした。この頃のイベールの作品には学校への提出用の課題やデッサンなどが多数含まれており、「寄港地」もその中の作品の一つです。
ローマ留学中、イベールは地中海各地を旅行し、さまざまな異国の印象をスケッチに残します。以前、海軍士官として各地の航行した経験とあいまって、地中海のきらびやかな印象と異国情緒あふれる風景を美しく鮮明に記した作品ができあがりました。
■日本とイベールの意外な関係
ところで余談ですが、日本とイベールには意外な関係があります。昭和15年に開催された「紀元二千六百年記念行事」のための祝典曲を、日本政府は欧米の6カ国に依頼しました。このうちフランス、ドイツ、ハンガリー、イタリアの4ヶ国から奉祝曲が寄せられましたが(イギリスのブリテンの作品は「レクイエム」だったため日本政府が受け取りを拒否)、その時フランス政府が国を代表する作曲家として選任したのがイベールでした。
当時、イベールは50歳。ローマのフランスアカデミーの院長であるとともに、後のフランス国立歌劇場連盟総長候補としてフランス随一の実力と人気を博しており、友人のミヨー、オネゲルを差し置いての抜擢でした。
ちなみに、この時寄せられたイベールの「祝典序曲」は、昭和15年12月に東京歌舞伎座で山田耕筰指揮により演奏されています。
■交響組曲「寄港地」
さて、今回演奏する「寄港地」には「三つの交響的絵画」と副題が設けられ、それぞれの曲に地名が 付いていますが、これは後にイベール自身が付け足したものです。しかし、イベールの曲に寄せる思い を感じるための重要なヒントになっています。
第1曲 ローマ―パレルモ
ローマからパレルモに至るティレニア海は、今も昔も穏やかで豊かな、真っ青な海が広がっています。パレルモは、シチリア島北部にある港町で、古くから貿易による富と太陽に恵まれて、ギリシャ、ローマ文化が栄え、特にイベールが立ち寄った20世紀初頭は国際都市として栄華を極めた時期でした。
曲は、6/8拍子の穏やかなフルートに始まりますが、次第に沖合いに出てうねりも高まり、パレルモが近づくと、シチリアの陽気な舞曲タランテラがトランペットと打楽器により描かれます。シチリアに降り立つと南国の喧騒と情熱的なリズムに包まれますが、それも次第に静まり、冒頭の穏やかな海の情景が戻ってきます。(ちなみに毒グモの「タランチュラ」は、噛まれるとタランテラを狂ったように踊り続けるという伝説から名づけられたそうです。)
第2曲 チュニス―ネフタ
チュニスは古代ローマ時代のカルタゴの衛星都市として栄えた、古代遺跡が今になお残る、人口80万人あまりの都市です。16世紀にはオスマントルコに支配されたものの、19世紀にはフランス領となるなど、さまざまな文化が融合した街で、メディナと呼ばれる旧市街地はユネスコの世界遺産にも登録されています。
ネフタは、北アフリカの砂漠のオアシスの街で、古くからの観光名所です。イスラムの影響を強く受けたネフタはヨーロッパの人々にとって特に異国情緒を感じられる場所で、映画「インディージョーンズ」のロケ地にも使われました。そう言えば写真の市場の風景にはどこか見覚えがありませんか? 4/4拍子と3/4拍子を組み合わせた7拍子の曲で、チェロのリズムに乗って、オーボエがアラビア風のエキゾチックな旋律を奏でます。長い砂漠の旅の先にあるオアシスは、水と食料が待つだけでなく、酒と女と金と、さまざまな欲望の渦巻く土地でもあります。さて、今日のオーボエはどれほど妖しい響きを奏でるのでしょうか。
第3曲 バレンシア
3曲目は、スペインの東側に位置する港町バレンシアの「火祭り」をテーマにした楽章です。バレンシアの火祭りは、毎年3月1日~19日の間繰り広げられる伝統的な祭りで、数百のファラス(木と布でできた張りぼて人形)が街中を練り歩きます。祭りの最大の見所は3月15日から19日のハイライトで、大きなファラスに火が放たれ、メラメラと盛大に燃え上がるとともに大きな花火が街中で上がります。この祭は別名「サン・ホセの祭り」とも呼ばれます。マリアの夫であるヨセフ(スベイン語でサン・ホセ)の職業が大工であったことから、昔からこの地方の大工の間ではサン・ホセの日に木屑などを燃やして焚き火をする習慣がありましたが、いつの間にか飾り付けが派手になり、人形を燃やすようになりました。
3/8拍子の活気あふれるリズムにより、スペイン舞曲セギディーリャが始まります。カスタネットの軽快な響きに乗って時には洒落た踊りをみせ、また5/8拍子の緩やかな旋律を経て、次第に祭りは盛り上がり、打楽器を加えて曲は佳境へと展開していきます。
さまざまな主題が交錯しながら興奮は最高潮に達し、スペインの熱い夜を象徴するかのような管楽器の盛り上がりと激しいリズムのうちに幕を閉じます。
参考文献
『ファリャ生涯と作品』興津憲作著(音楽之友社)
『最新名曲解説全集7 管弦楽曲IV』(音楽之友社)
『バレンシア観光協会ホームページ』
初 演:1924年1月6日ポール・パレー指揮コンセール・ラムルー管弦楽団
楽器編成:ピッコロ、フルート2(1番は第2ピッコロ持ち替え)、オーボエ2、コールアングレ、クラリネット2、ファゴット3、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、シンバル、大太鼓、小太鼓、 タンブリン、カスタネット、ドラ、トライアングル、木琴、チェレスタ、ハープ2、弦5部