HOME | E-MAIL | ENGLISH

上品なイギリス音楽と人間愛に満ちたドヴォルザーク

小松一彦

 我が愛する新響と、イギリス音楽とドヴォルザークを初めて共演する喜びを胸に本日の指揮台に上ろう。
 あのバロックのヘンリー・パーセル以来、長らく不毛であったイギリスの芸術音楽作曲を200年の眠りから目覚めさせた、対照的な両雄ディーリアスとエルガー。近代イギリス音楽作品の代表作であり、初の国際的評価を確立した曲と謳われるエルガーの「エニグマ変奏曲」。一方、今年丁度初演百年を迎えるディーリアスの「ブリッグの定期市」。二人の作風は全く異なるが、共通するのは“上品さ”。そして二人共独学に近いというから恐れ入る才能だ。
 そのディーリアス(実は北部イギリスで生れ育ったドイツ人)は、実は私の最も好きな作曲家の一人なのだが、日本では十分に理解されているとは言い難いのでその特徴を少々述べておきたい。
 フランスのドビュッシーとモネをそれぞれのジャンルの典型的な“印象派”とするなら、イギリスのディーリアスとターナーは“印象派の先駆”あるいは“印象派的ロマン詩人”と私は位置づけている。ドビュッシーの“放置された(・・・・・)和音のひびきの美しさ”(それは後の武満徹につながって行くのだが)に対して、ディーリアスの音楽は、最終的には和音の“連結(カデンツァ)”により“解決(・・)”に向う。それが私をしてディーリアスを“印象派的ロマン派”と呼ばせる理由である。ターナーの絵と同じようにディーリアスの音楽を正しく味わうためには、聞き手に“大気・靄(もや)・蒸気”などの密やか(・・・)な(・)息遣い(・・・)を感じとれる繊細な感受性が必要とされる。それらが瑞瑞しさや、半音階進行によるデリケートでセンシティヴな“水彩画的色彩のグラデーション的変化の妙”となって表現される音楽故に、通俗的なポピュラリティを得る事は無い宿命を持つ。今後もディーリアスの音楽は、繊細で豊かな音楽性を持つ人間だけに扉を開いてくれるのであろうし、しかしその素晴らしさを知った者には至福の時間を与えてくれるであろう。
 さて、今回のドヴォルザークでは、新響から“音楽性に溢れた演奏”を引き出してみたい。音楽をするには何より“感受性豊かで強い表現意欲を持つ音楽性”が大事な事の再認識であり、それが特にドヴォルザークのような“人懐こく温かいアナログ的良さ”と“土のついた野菜の持つ力強さと香り・味わいの深さ・濃さを享受する喜び”に喩えられる音楽の魅力を引き出し、聞き手に伝える基となるからである。
 乞う御期待!
このぺージのトップへ