小松先生からのメッセージ
“芥川也寸志没後20年”。もうそんなになるのか……。晩年(とは言っても60才代だった)の芥川氏とお会いするために、日本音楽著作権協会の理事長室に数回足を運んだ。「すみませ~ん、つまらない曲で!」が氏の口癖であった。何と謙虚な……。そして私の質問にいつもていねいに答えて下さったのだ。
“音符の根っこから掘り起こす”事をモットーとする私は、ベートーヴェンに直接話を聞く事は叶わないが、ご存命の作曲家には、一音一音の持つ意味まで確かめたくて、面談に伺う。私が質問を向けると、音楽の深いところの話なので、どの作曲家も“活き活き・嬉々・沈思・困惑”などが交差する表情で応答して下さる。最晩年の伊福部昭氏や髙田三郎氏、團伊玖磨氏、黛敏郎氏、武満徹氏、松村禎三氏などなどと随分親しくさせて頂いたのが、今となっては素晴らしい思い出である。曲・作風についてのお話を伺っている間にその作曲家の個性的なパーソナリティに触れられる事になり、自分の貧しい人間性が少しでも豊かになる幸せを私は感じ、かみしめていた。優れた芸術家というものは、個性的でありながら、 豊かな人間性を持っているとつくづく思う。
今回の芥川作品「絃楽のためのトリプティーク」では、新響のお手曲であるという美点を生かしつつ、これまで無かったテクスチュアの立体的な明視度とクオリティの高さを目指し、「コンチェルト・オスティナート」では芥川の情念に“女流”チェリストの向山さんがどのようにアプローチし、そして表現して下さるのかが大変楽しみである。
さて前記のような“作曲家との禅問答的な対話”をもしも私がショスタコーヴィチと実現できていたらどんなことになっただろうと空想するだけでも楽しくなるというものだ。“二枚舌”“イソップ言語”と云われる彼の音楽語法の中の“本音”の部分をどこまで私に話してくれたのかと……。いや、多分ほんのごくごく少しだけしか明かしてくれなかっただろうと思う。何故なら、いつ自分がお上(当局)に引っぱられていくか判らない状況の中に常に彼は在ったのだから。
しかし、はっきり言えることは“雪解け(フルシチョフ政権)”以前と以後では明らかに身の周りの“空気の硬さ・緊張感の高さ”が目に見えて変わった事だろう。それ故、長年封印されてきたこの交響曲第4番もようやく雪解け後に初演されたのだから。
本日演奏する第4番は、第5番、第8番と密接な関係を持つ。そして又この三つの交響曲は共に難解な内容を持つが、その深層心理クイズ的なものを苦労して解くのが楽しくもある。
それにしてもこの第4番は演奏が大変に難しい。技術的には勿論の事、内容的に第5番のような構成のしっかりとしたまとまりの良さには欠けるし、第8番のような熟成・老成も無いからだ。しかし問題作・意欲作である事は確かで、第1番から受け継いだコラージュ、パロディ的な作曲法と、作曲者の強い創作欲が4管編成のオーケストラを媒体とする巨大なエネルギーとなって結実している。第1楽章後半部開始部部分の“ベートーヴェンの引用のお化け”とも云うべきすさまじいエネルギーと推進力を持つフーガの個所や、フィナーレでのマーラーの葬送行進曲の投影、そしてコーダ(結尾)部分でのチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」のフィナーレの重々しく引きずるような足取りのリズムの引用など、そのどれもが“歪められて”おり、音楽においては珍しい「シュールレアリズム」的な作品として、その新鮮さは貴重なものであろうと思う。
しかし上記のすべてのものを「死に向かおうとさせられている人間を救う」(ベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」のレオノーレの引用)「自分自身への葬送行進曲」「死の足取りの上での残された不条理・未解決の部分」などと私は解き明かす事によって、ショスタコーヴィチが生涯つきあわざるを得なかった「死を見つめる・死との隣り合わせ」「自問自答」の命題がこの交響曲以降、最後の第15番まで続くこの作曲家 の“アイデンティティ”のスタートとなった事に注目したい。
この大変な曲を22年前に日本初演した芥川/新響に敬意を表しつつ、本日も渾身の指揮を念じて私は指揮台に登る。 有難うございました。
芥川也寸志没後20年に際して 小松一彦
“音符の根っこから掘り起こす”事をモットーとする私は、ベートーヴェンに直接話を聞く事は叶わないが、ご存命の作曲家には、一音一音の持つ意味まで確かめたくて、面談に伺う。私が質問を向けると、音楽の深いところの話なので、どの作曲家も“活き活き・嬉々・沈思・困惑”などが交差する表情で応答して下さる。最晩年の伊福部昭氏や髙田三郎氏、團伊玖磨氏、黛敏郎氏、武満徹氏、松村禎三氏などなどと随分親しくさせて頂いたのが、今となっては素晴らしい思い出である。曲・作風についてのお話を伺っている間にその作曲家の個性的なパーソナリティに触れられる事になり、自分の貧しい人間性が少しでも豊かになる幸せを私は感じ、かみしめていた。優れた芸術家というものは、個性的でありながら、 豊かな人間性を持っているとつくづく思う。
今回の芥川作品「絃楽のためのトリプティーク」では、新響のお手曲であるという美点を生かしつつ、これまで無かったテクスチュアの立体的な明視度とクオリティの高さを目指し、「コンチェルト・オスティナート」では芥川の情念に“女流”チェリストの向山さんがどのようにアプローチし、そして表現して下さるのかが大変楽しみである。
さて前記のような“作曲家との禅問答的な対話”をもしも私がショスタコーヴィチと実現できていたらどんなことになっただろうと空想するだけでも楽しくなるというものだ。“二枚舌”“イソップ言語”と云われる彼の音楽語法の中の“本音”の部分をどこまで私に話してくれたのかと……。いや、多分ほんのごくごく少しだけしか明かしてくれなかっただろうと思う。何故なら、いつ自分がお上(当局)に引っぱられていくか判らない状況の中に常に彼は在ったのだから。
しかし、はっきり言えることは“雪解け(フルシチョフ政権)”以前と以後では明らかに身の周りの“空気の硬さ・緊張感の高さ”が目に見えて変わった事だろう。それ故、長年封印されてきたこの交響曲第4番もようやく雪解け後に初演されたのだから。
本日演奏する第4番は、第5番、第8番と密接な関係を持つ。そして又この三つの交響曲は共に難解な内容を持つが、その深層心理クイズ的なものを苦労して解くのが楽しくもある。
それにしてもこの第4番は演奏が大変に難しい。技術的には勿論の事、内容的に第5番のような構成のしっかりとしたまとまりの良さには欠けるし、第8番のような熟成・老成も無いからだ。しかし問題作・意欲作である事は確かで、第1番から受け継いだコラージュ、パロディ的な作曲法と、作曲者の強い創作欲が4管編成のオーケストラを媒体とする巨大なエネルギーとなって結実している。第1楽章後半部開始部部分の“ベートーヴェンの引用のお化け”とも云うべきすさまじいエネルギーと推進力を持つフーガの個所や、フィナーレでのマーラーの葬送行進曲の投影、そしてコーダ(結尾)部分でのチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」のフィナーレの重々しく引きずるような足取りのリズムの引用など、そのどれもが“歪められて”おり、音楽においては珍しい「シュールレアリズム」的な作品として、その新鮮さは貴重なものであろうと思う。
しかし上記のすべてのものを「死に向かおうとさせられている人間を救う」(ベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」のレオノーレの引用)「自分自身への葬送行進曲」「死の足取りの上での残された不条理・未解決の部分」などと私は解き明かす事によって、ショスタコーヴィチが生涯つきあわざるを得なかった「死を見つめる・死との隣り合わせ」「自問自答」の命題がこの交響曲以降、最後の第15番まで続くこの作曲家 の“アイデンティティ”のスタートとなった事に注目したい。
この大変な曲を22年前に日本初演した芥川/新響に敬意を表しつつ、本日も渾身の指揮を念じて私は指揮台に登る。 有難うございました。
芥川也寸志没後20年に際して 小松一彦