バーンスタイン:「ウエスト・サイド・ストーリー」よりシンフォニック・ダンス
橘谷英俊(ヴァイオリン)
新響メンバーの中にはオペラファンは沢山いるようであるが、ミュージカルファンはきわめて少数派のようである。実は私はミュージカル大好き人間で、特に好きな「レ・ミゼラブル」は昨年の帝劇公演で観劇20回を超えた。ミュージカルが好きになったきっかけは映画で見た「ウェストサイド物語」の素晴らしい歌とダンスである。なかなか実演に接する機会がなかったが、昨年夏に50周年記念ツアーの公演をオーチャードホールで、秋には念願のブロードウェイのパレス劇場(写真参照)で本場の公演を、年末には劇団「四季」の公演を堪能でき、本日この曲を演奏できることは感無量である。なお、本稿では映画との関係もあり、「ウェストサイド物語」と表記させていただくことにする。
パレス劇場(筆者撮影)
最初は「イーストサイド物語」だった。
1949年1月、レナード・バーンスタインは、それまでにバレエ「ファンシー・フリー」とそのミュージカル化「オン・ザ・タウン」で一緒に仕事をして気心が知れている振付家のジェローム・ロビンスからシェークスピアの「ロミオとジュリエット」を現代ニューヨークに場面を移したミュージカルを作るというアイデアの提案を受けた。早速、脚本家のアーサー・ロレンツを引き込み、イタリア系カトリックのトニーとユダヤ教徒のマリアが宗教上の対立の中で悲劇的結末を迎えるという基本構想ができ、「イーストサイド物語」と仮に題名がつけられた。
関係者の忙しさのため、なかなか進まなかったが、1955年にバーンスタインがロレンツと再会したとき に、その当時ニューヨークのウェストサイドで社会問題となっていたプエルトリコ移民と白人の不良少 年グループを対立団体として描くことに方針変更され、題名も「ウェストサイド物語」となった。
原作との関係を見ると、モンタギュー家のロミオは白人不良少年グループであるジェット団の創立者 の一人で今は脱退しているトニー、キャピュレット家のジュリエットはプエルトリコ人不良少年グループであるシャーク団の団長ベルナルド(ティボルトに相当)の妹のマリアとされ、マーキューシオはジェット団の現団長リフに相当する。「ロミオとジュリエット」のような仮死状態になる薬は登場しないが、ロレンス神父に当たるのが、ドラグストアの親父(ドク)という設定がおもしろい。
ミュージカルのウェストサイド物語
このような詳細なプロットが決定された後、作詞にスティーブン・ソンドハイムという最適任者を得て、多忙なバーンスタインにより音楽がつけられ、構想から実に9年近くの歳月を経て初演にこぎ着けていった。バーンスタインは純粋なオペラも作曲しているが、ミュージカルの作曲に当たっては、筋や場面の雰囲気に関係なく声を張り上げるオペラの悪習に陥らないように気をつけたことを語っている。
ミュージカルの「ウェストサイド物語」は1957年7月8日にリハーサルが始まったが、ジェローム・ロビンスの振付けは役者の身体能力の限界に挑戦する難しいもので、完璧を目指す彼の過酷なトレーニングは連日誰かが故障するまで続いた。9月26日にニューヨークのウィンター・ガーデン劇場でブロードウェイ初演されると、これまでになかった新しいミュージカルとして高い評価を受け、全米ツアーを挟んで千回を超えるロングランとなった。
ジェット団のダンス
シェークスピアを現代のニューヨークに移したユニークなプロット、青少年の非行や人種差別、貧富の差などの社会問題を取り入れた斬新さ、才人バーンスタインがラテン音楽やジャズを素材に使い、激しいリズムや変拍子を取り入れて全力投球した質の高い音楽などが歓迎されたものであろう。
ウェストサイド物語での音楽の白眉は決闘に向かう前のジェット団、シャーク団、トニー、マリア、シャーク団団長のベルナルドの恋人アニタによるクインテット(五重唱)で「トゥナイト」(アンサンこの曲の中のトニーとマリアが歌う「トゥナイト」を「ロミオとジュリエット」のバルコニーシーンに当たる非常階段のシーンに移して独立の曲としたのが、有名な「トゥナイト」(バルコニーシーン)で、ミュージカルでも映画でも最高の見せ場となっている。
バルコニーシーン
また、ロバート・ワイズとジェローム・ロビンス(途中で解雇された)の共同監督で映画化されたが、映画 でのマリア役のナタリー・ウッドの声は吹き替えで、「マイフェアレディ」でオードリー・ヘップバーン、「王様と私」でデボラ・カーその他多数の吹き替えをしたマーニ・ニクソンが担当している。彼女は「サウンド・オブ・ミュージック」の尼僧役で出演したときに初めて名前がクレジットされた。
昨年から90歳を超えたアーサー・ロレンツが演出に加わった新演出による公演がブロードウェイで始まり、衣装やセットが一新され、スペイン語の台詞や歌の比重が増すなどの変更が行われているが、ダ ンスナンバーはジェローム・ロビンスの振付のままで、今見ても全く古さを感じさせない完璧なもので ある。
シンフォニック・ダンス
ミュージカルの評価も固まった1960年、バーンスタインはシド・ラミン、アーウィン・コスタルの協力を得て、ミュージカルの中のダンスナンバーを中心にオーケストラのための演奏会用組曲を作り、シンフォニック・ダンスと名付けた。バーンスタインの代表曲になるとともに、今や各オーケストラの主要なレパートリーになっている。
全曲が切れ目無く演奏されるが、次の部分から成り、最初と最後以外はミュージカルの進行に沿って はいない。
1.プロローグ ミュージカルや映画の導入部とほぼ同じで、ジェット団、シャーク団が登場してけんかを始め警官の笛で制止される。始まってすぐアルトサックスがスイング風の旋律を吹くのがいかにも ブル)の曲名がつけられた曲ではないだろうか。決闘を前にしてそれぞれの心情を語る複数の歌が対位 法を駆使して絡み合い、盛り上がるこの曲はそれまでのミュージカルでは無かった高みに達している。ニューヨークの雰囲気を醸し出している。映画では、ベルナルド役のジョージ・チャキリス(アカデミー賞助演男優賞受賞)を含む3人のシャーク団が左足を高く上げる場面が有名だが、本場の公演での左足 はほぼ垂直まで上がっていたのに感心した。
最初の「ソドー♯ファ」に含まれる増四度音程は不安感を感じる「悪魔の音程」と言われ、全曲を通じて何度も出てくるので、注目願いたい。また、全員でのフィンガースナップ(指パッチン)が出てくるが、これは良い音を出すのはなかなか難しい。ブロードウェイの公演ではフィンガースナップの音が大きく、切れの良い音であることに感心した。新響メンバー各自の自主特訓の成果はいかに。
2.どこかに ヴィオラソロで始まり、ホルンやヴァイオリンに引き継がれる美しい音楽である。オリジナルのミュージカルでは、登場人物ではない女性の声で歌われる。決闘で殺人犯人となったトニーと マリアがどこかへ行って幸せに暮らそうという希望に満ちた曲で、これが実現しないことがわかっているだけに悲痛である。
映画では流れを重視した結果、独立した場面としてはカットされたが、決闘の結果を聞いて動転して いるマリアの部屋に忍んで来たトニーとマリアにより歌われる。また、現在行われている新演出の公演 では、キッドと名付けられた男の子が登場してボーイソプラノで歌い、トニーとマリアの手を引いて舞 台から消えるという演出がされている。
3.スケルツォ ミュージカルでは「どこかに」の前に置かれ、トニーとマリアが、ジェット団とシャ ーク団を含む皆が仲良く踊る夢(現実から逃避したい願望を象徴)を見るダンス場面の音楽で、小さな 編成で演奏される。決闘の直後でリアリティに欠けるため、映画ではカットされている。
4.マンボ 体育館でのダンス場面の音楽。沢山の打楽器が効果的に使われ、楽しく、パワフルな音楽でバーンスタインの面目躍如といったところである。特にトランペットはシェイクやフラッターなど、 ジャズで使われる奏法を使って大活躍する。映画ではアニタ(リタ・モレノ アカデミー賞助演女優賞受賞)の華麗な踊りとリフ(ラス・タンブリン)の宙返りを含むアクロバットダンスが目立つ。この曲ではオーケストラ全員が2回「マンボ」とシャウトしなければならないが、恥ずかしがらずにとにかく大きな声を出したいものである。
,b>5.チャチャ ダンスパーティ会場で偶然出会って一目惚れしたトニーとマリアがチャチャチャのリズムで簡単なステップを踊る場面である。バスクラリネットの魅力的な前奏に続き、弦楽器のピチカート とフルートにより演奏される。
6.出会いの場面 トニーとマリアが言葉を交わすシーン。4本のヴァイオリンのソロが雰囲気を盛り上げる。
7.クール~フーガ ミュージカルでは決闘の前にドラグストアに集まった白人のジェット団のメンバーに団長のリフが冷静になるように諭し、激しく踊ることで興奮を収める曲である。静かな部分から強 奏になり、また静かになる対比が見事で、シンフォニック・ダンスの中でも最も魅力的な音楽ではない だろうか。この曲には「スウィングせよ」との作曲者指示がある他、ドラムス、アルトサックス、ビブラフォン、トランペットなどがジャズの雰囲気を出している。なお、映画では、二人が殺された決闘での興奮をガレージの中で狂ったように踊ることで収めるように変更されており、成功している。リフは死んでいるので、ミュージカルでは存在しなかった副団長格のアイス(いかにも冷たい名前でクールにふさわしい)が歌うが、この役を演じたタッカー・スミス(リフの歌の吹き替えもしている)のかっこ良さは何度見てもほれぼれする。
8.決闘 ジェット団とシャーク団が対決し、シャーク団団長のベルナルドによりジェット団団長のリフが刺殺され、仲裁のために来たトニーがベルナルドを刺殺してしまう悲劇的な場面を表す、激しく迫 力のある音楽となっている。
この場面の振付での一人一人の動きは計算し尽くされており、カウントをしながら練習が行われたが、 激しい踊りのため、特に初演時にはけが人が絶えず、代役が何人も準備され、公演中も毎日のようにメンバーが交代したそうである。
9.フィナーレ トニーが撃たれ、トニーとマリアが最後の会話を交わし、マリアをはじめ出演者全員がトニーの葬送を見送る荘厳な音楽。最後に「どこかに」の断片も顔を出して希望も感じられ、「ロミ オとジュリエット」の結末とは違い、マリアはこれからも力強く生きていくことが予感される。
ミュージカルのプログラム (左よりオーチャード、パレス劇場、劇団四季)
初 演:1961年2月13日ニューヨーク・カーネギーホールルーカス・フォス指揮 ニューヨーク・フィルハー モニック
楽器編成:ピッコロ、フルート2、オーボエ2、コールアングレ、Esクラリネット、クラリネット2、バスクラリネット、アルトサックス、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット3(1番はD管持ち替え)、トロン ボーン3、テューバ、ティンパニ、打楽器(ボンゴ、タンバリン、ティンバレス、トムトム、スネアドラム2、コンガドラム、テナードラム、バスドラム、音程のあるドラム4、ドラムセット、トライアングル、シンバル、フィンガーシンバル、カウベル3、タムタム、ビブラフォン、グロッケンシュピール、チャイム、ウッドブロック、ギロ、マラカス(大小)、シロフォン、警官の笛)、ハープ、ピアノ/チェレスタ、弦5部
演奏時間:21分