ブルックナー:交響曲第9番 〈永遠のゲネラルパウゼ〉
土田恭四郎(テューバ)
この世のものとは思えない彼岸の響きで満たされたこの作品は、ブルックナーの中でも別格の位置を占める未完の大作である。人智を超越した根源的な信仰告白と、カトリックによる信仰世界の官能性によって生み出された不思議な楽式構成による昇華された音楽空間は、奇跡としかいいようがない。
ヨーゼフ・アントン・ブルックナーは、1824年ベートーヴェンが交響曲第9番を作曲した年にオーストリア帝国の小村アンスフェルデンにて生まれ、1896年マーラーが交響曲第3番を作曲した年にヴィーンにて72歳で没した、まさしく19世紀ドイツ・ロマン派の時代を代表する作曲家の一人である。13歳のとき、リンツ郊外にあるザンクト・フローリアンの修道院で学び、17歳で補助教員を務めながら音楽理論の研鑽を積んで音楽家へとなっていった。32歳でリンツの大聖堂オルガニストの地位を得て44歳でヴィーン音楽院教授となり、当初はオルガニストとして成功を収める。作曲活動も宗教曲から交響曲の分野に進出したが、ヴィーンの楽壇にて作品が理解されずに認められない日々が続いたあと、交響曲第7番で交響曲の作曲家としての名声を60歳にてようやく確立、不動の評価を得るようになった。
■ブルックナーの個性
ブルックナーは、風刺画などでは背が低く描かれているが、ヴァーグナーやブラームスよりも背が高くて堂々とした体格をしていた。大食漢にて健康管理には無節操、健康上いろいろと問題を抱えていた。自然や美しいものを愛する気持ちが強く、生涯独身だったが美少女崇拝ともいえる晩年にいたるまで少女にその場で求婚してしまう結婚願望、当時の流行とは無縁で都会的な洗練さに欠けた無頓着な着こなし、生活の不安に対する強迫観念による猛烈な求職活動、病的なまでのさまざまな証明書の請願、謙虚さと卑屈とも思えるへりくだった態度は、周囲の失笑を買う世俗的一面といえよう。また、深刻な神経 衰弱に陥り、異常なまでの数字に対するこだわり、死体への異常な関心、敵意に満ちた批評に対する劣 等感から意気消沈して、音楽活動に疑念を抱いてしまうこともあった。このような世俗的な態度と素朴で閉鎖的な性格から、人生の神秘性と宗教性を見つめた作品が生み出されたことは、カトリック教徒としての矜持を終生持ち続け、敬虔なカトリック信仰が人格の基本にあったからといえよう。晩年の世俗的成功を見ると、彼はまさに19世紀的人間であり、神秘化とか偶像化とは無縁の、世俗から超越した隠遁者ではなかった。完全にマスターした音楽理論の知識と実践で独自の世界を構築したにすぎない。
■音楽的側面― 完全な音楽理論
ブルックナーが生涯を通して親しんだザンクト・フローリアンにある壮麗な修道院と付属教会には、中世からの知識の宝庫となる厖大な量の蔵書を誇る図書館と、ブルックナー・オルガンとよばれる大オルガンが有名である。このような環境から古典的な様式で創作された数多くの珠玉といえる宗教曲、並外れたオルガン即興演奏の能力が生み出された。
転機となったのは、30代で19世紀中葉を代表する音楽理論の大家ジーモン・ゼヒターの指導により伝 統的な音楽理論(和声法・対位法)を完全にマスターしたこと、また実践的且つ進歩的な音楽家でリンツ州立劇場の首席指揮者オットー・キツラーから、当時の進歩的な音楽の和声法と管弦楽法を学んだこ とであった。そしてリヒャルト・ヴァーグナーの斬新で大胆な音楽的側面を得ることになった。ゼヒターによる理論学習は彼の作品の磐石な土台となり、キツラーを通して知った自由な創作とヴァーグナーの音楽から、従来の伝統的な和声の禁則を犯すことに対する免罪符をブルックナーは得たのである。(ヴィーンのゼヒターに関する逸話として、シューベルトが死の15日前、対位法を学び直すべく彼のもとを訪れたのは有名な話。)
和声課題への解答(ブルックナーとゼヒターの筆跡)
■ヨハネス・ブラームスとの関係
ブルックナーが後半生を過ごすことになるヴィーンは、当時リベラルな空気と同時に伝統や権威を尊重する保守的な都市という側面を持ち、思想や音楽を通して論争が激しくなってきたときである。ヴィーン楽壇では、絶対音楽の純粋な形式美を理想とするブラームス派と、標題音楽や楽劇の思想を標榜するヴァーグナー派とで、互いに感情的な論戦を繰り返していた。ブルックナーはヴァーグナー派として抗争に巻き込まれていく。
ブルックナーとブラームスの影絵
ブルックナーとヴァーグナーの影絵
同時代ヴィーンに居たブラームスは、自立した作曲家としては完全な勝利者であり、ブルックナーにとっては脅威であった。古典的で絶対音楽的立場を敢然と守りぬいた重厚で構成的な音楽を創造し、当時の大きな風潮であったリストやヴァーグナーとは本質的に合わなかった。15世紀以来シューマンに至る大家の作品に惹かれ、その伝統の上でドイツ中世からバロックの音楽研究に由来する巧妙で他声的な 処理による壮大な効果や荘重さ、旋律を自由に走らせる技巧を持ち、ブルックナーと同様にバッハやベ ートーヴェンを敬愛していた。出身地(北ドイツとオーストリア)、宗教(プロテスタントとカトリック)、受けた音楽教育と生活環境の違いもさることながら、慇懃で無愛想でインテリ然としたブラームスと、素朴でお人好しで田舎者のようなブルックナーとでは、そもそも性格が合わなかったのであろう。
■交響作品の要素
ベートーヴェンのように一定の志向性があって求心的、というよりは並列的といえる。周囲の風景が時間とともに変化する、というよりは、人跡未踏の大地を歩いて突然景色が変化、例えば霧の中から突然巨大な山、深い森を抜けると開けた大地、または巨大な氷河で大きなクレバスに直面、という感覚である。またソナタ形式の枠組みにおいて、旋律の基本的造形を一定の単位で考えることで、彼の草稿にはいつしか譜面の下に古典的な旋律単位としての構造を示す数字を記載しているのがこだわりでもある。
因襲的な調性関係にこだわらず、ヴァーグナーの「トリスタン和音※」をそのまま使用している。動機が1つの声部ないしは複数の声部に続けて繰り返されて音高が変わって行くといった「ブルックナー・ゼクエンツ」を活用した転調法、大きな音程の上行や下行の飛躍を伴う旋律、オーケストラ全体による「ブルックナー・ユニゾン」、このような要素を通して楽想転換のため管弦楽全体を休止(ゲネラルパウゼ)させる「ブルックナー休止」が必要となった。また、リズムでは、主題その他の旋律的進行にて、鋭いリズム構成として三連音を使用した「ブルックナー・リズム」、付点リズムや複付点、三連音に二連音の重複など、いろいろな要素の重なりが見られる。
弦楽器群は管楽器群と対立してそれぞれ主役を担うが、「ブルックナー開始」といわれる冒頭の弦楽 器のトレモロで始まる手法が多い。金管楽器群では単に音量を増加させるのではなく主題を含めた旋律 を目立たせることも多いが、木管楽器群はヴァーグナーやブラームスとは異なり、金管楽器群の厚い編 成や強い響きに対してバランスを考慮しているとは思えないこともある。
名声を確立した第7交響曲からオーケストレーションが拡大されて三管編成となったが、ホルンも8本になり、且つ「テナー・テューバ」「バス・テューバ」として、ホルン奏者の持ちかえで「ヴァーグナーテューバ」が使用されている。第8交響曲を除いてハープ、コントラファゴットは使用されていないし、ピッコロ、バスクラリネットやコールアングレもみられない。打楽器も制限されている。ヴァーグナーのように色彩的ではなく、オルガンでいえば、ひとつの手鍵盤から他の手鍵盤に動いて新しい声部を加えていく方法、数多くのストップを選択することにより、ひとつの鍵盤を押すだけでも複数の音色とかオクターヴ上の音、あるいは5度の音を作ることが可能であり、そこから生み出される壮麗な音楽が基本となって「ブルックナー・ユニゾン」とか、コラールが荘厳に演奏される、深遠な「ブルックナー・トーン」が確立されている。
独特な音響は当時の人々を驚かせたに違いない。演奏家や聴衆にとって、断裂的な構成と原色的でアンバランスなオーケストレーション、そして異様な長大さは理解を超えたものであった。ヴィーンでブルックナーのよき理解者であったヨーハン・ヘルベック(シューベルトの「未完成交響曲」を発見し初演したヴィーン楽壇最有力者のひとり)の急逝も、作品の理解と普及の痛手となる。ヴァーグナー派であった弟子たちが、通俗性やドラマチックな展開を求めて短縮や改定を申し出たことによる作曲者自身の改訂に加え、時代の趣味に合わせて機会あるごとに弟子たちが、善意のために改竄を加えたことは、複雑な版の問題を生じている。皮肉にも、善意の改竄による普及がもたらしたことで、後世、ブルックナーの作品が注目されることになったが、背景には、愛好者が増えたことと音楽に理解を示す有能な指揮者が多くなってきたこと、ヴィーン音楽院の弟子たちから多くの有能な音楽家が輩出したことなどがある。
■交響曲第9番
第8番の第1稿完成後、1987年8月12日に作曲を開始した。しかし他の作品の改訂作業のため中断を 余儀なくされ、1891年にようやく集中するようになった。度重なる発病にもかかわらず、死の直前まで 衰えない創作力で終楽章を完成させるべく力を振り絞ったが、ほとんどコーダ直前まで多くの草稿を残しながらも未完に終わった。
書法的には、彼の交響作品の要素は共通として持っているが、第8交響曲での調性の扱いを大胆に発展させ、旋律も音程の飛躍が大胆になり、和声も漠然とした調性の中で動くという、新しい世界を示している。
第1楽章:二短調(荘厳に、神秘的に)
調性や構成でベートーヴェンの第9交響曲を連想させる楽章。ソナタ形式だが再現部の開始が曖昧で 自由且つ壮大な内容となっている。まず冒頭からこの世のものとは思えない響きが出現する。第1主題 群はホルンによる激情的な導入主題と、まるで全能の神を象徴しているような全楽器による強烈なユニ ゾンで演奏されるオクターヴ下行音型を経て、温かく穏やかなイ長調の第2主題群に入る。そして第3主題群として神秘的なニ短調の深遠な揺らぎを経過して、いままでの3つの主題群が有機的に組み合わ された展開部と再現部へ拡大、寂しげなコラール風音型を経て、強烈なコーダに突進していく。
第2楽章:スケルツォ 二短調(動きをもって、生き生きと)トリオ 嬰へ長調(急速に)
間にトリオをはさむ複合三部形式。冒頭に2小節の沈黙から第3小節目のアウフタクトで7度の変化 和音にて不安定な響きで始まる。和音が「トリスタン和音」の構成で変化しながら、常に嬰ハ音が二音 の導音として持続しているのが神秘的。一瞬の空白から冒頭音型が叩きつけるように登場する。その後、イ長調による優美で舞曲的な旋律を経て、また冒頭の強烈な主題がよみがえってくる。中間部のトリオは、ブルックナーにしては非常に早いテンポ。嬰へ長調(シャープが7つ)で快活なリズムにのって諧 謔的ともいえる音楽が繰り広げられ、途中で感傷的な旋律を経て快活なリズムに戻り、そしてスケルツ ォを反復する。尚、トリオに入るところで3小節ものゲネラルパウゼがあるのが面白い。決して音楽は休んではいない。
第3楽章:ホ長調(穏やかに、荘厳に)
実に崇高な音楽。ヴァーグナーテューバが登場して深く豊かな音楽を創造している。全体は5部のロ ンド形式と見えるがブルックナーが独自に到達したソナタ形式といえる。第1部は第1ヴァイオリンによる短9度の跳躍で始まり、まるでヴァーグナー「トリスタンとイゾルデ」冒頭のような半音階和声で大胆に進行。金管が咆哮し神秘的な音楽を経て、ブルックナーが「生への決別」と呼んだホルンとヴァーグナーテューバにて下行音型によるコラール風の動機が印象的に登場する。第2主題群として変イ長調の柔らかく内省的な音楽が美しい。第2部では今までの主題が浄化され、より緻密になっていく。第3部は、第2主題群が拡大されて密度も濃くなり、最大のクライマックスへと目指して劇的に進行。ここは実に壮麗な音楽で、ブルックナーの宗教曲の傑作「二短調ミサ」や「へ短調ミサ」の動機を思わせる音型が効果的に登場、クライマックスの頂点で嬰ハ短調の和声的短音階7音全てが鳴らされる不協和な響きで突然ゲネラルパウゼ。コーダは、第8交響曲のアダージョや第7交響曲冒頭の主題を回想し、愛と至福に満ちたホ長調の響きで静かに終結する。
■終楽章:フィナーレ
巨大な頂点と開放感、純粋で不思議な安らぎ、圧倒的で強烈な盛り上がりと勝利に満ちた力強さがあ るブルックナーの作品には、宗教曲が交響曲と深い関係を持っており、後期になるにつれて、カトリック的宗教性、大自然の息吹、ドイツ・オーストリアの土俗性、という三つの性格が複雑に絡み合い深化している。 土俗性という意味では、キリスト教とゲルマン性の二重構造が作品に潜んでおり、デモーニッシュともいえるゲルマン的な原初の記憶が潜んでいる。これは、ウェーバーやシューベルトにも共通した、神秘に満ちた森の中で生まれた民族の共有財産ともいうべきものが、無数に書き込まれているのではないだろうか。カトリックが信仰される前の古代の習俗がキリスト教に同化、吸収されて封じ込まれたが、消え去ることなくドイツ・オーストリアのゲルマン人の無意識の底に蓄積されたものがあり、ブルックナーも例外ではない。(日本人が古来の山岳信仰をたくみに仏教と同化させたように)音楽・宗教を通しての体験と学問を通して得た高い知識と経験による作品に対し、合理的な解釈をすることは可能だろうが、原初の記憶として合理的な説明などとは全く無縁のところに、ブルックナーの音楽の魅力があり、そこにあるのは鳴り響く音楽だけである。 ブルックナーは終楽章に相当な未練を残してこの世を去り、従来のどの作品よりも壮大なものになる はずだった終楽章は、偉大なる神への賛美として完成させなければならないものだった。現在まで残さ れた草稿を元に終楽章を復元・補完する試みがなされてはいるが、未完であるがゆえ、フィナーレは「永遠のゲネラルパウゼ」となってブルックナーの最後にして最大の作品となった。ブルックナーが生涯にわたり崇拝した神に献呈すべく、圧倒的な勝利の響きが信仰の勝利へと繋がり、時空を超えて私たちの心の中に鳴り響いている。
初 演:1903年2月21日フェルディナンド・レーヴェ指揮ヴィーン演奏連盟管弦楽団 ヴィーンのムジークフェライン大ホールにて(3楽章までのレーヴェによる改訂版)
1932年4月2日 ジークムント・フォン・ハウゼッカー指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー(オーレルによる批判全集版:原典版) 先に従来のレーヴェ改訂版を演奏、その後オリジナル稿として原典版を初演
日本初演:1936年2月15日クラウス・プリングスハイム指揮東京音楽学校第78回定期演奏会日比谷公会堂にて
楽器編成:フルート3、オーボエ3、クラリネット3、ファゴット3、ホルン8(ヴァーグナーテューバ4)、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、弦5部
※「トリスタン和音」
ヴァーグナー「トリスタンとイゾルデ」冒頭に登場する減五七和音の一種で、当時としては画期的。
交響曲第9番終楽章の草稿