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<全身全霊・一音一音に魂を込めて> 辻志朗 高田三郎を語る

 高田三郎作品のピアニストとして、節目のステージに高田三郎氏から幾度となく起用され、薫陶を受けられたピアニスト・合唱指導の辻志朗先生よりお話をうかがいました。

土田:
辻志朗先生とは、大久保混声合唱団の定期演奏会(注1) に新響が出演した時にお世話になりました。志朗先生の父上で大久保混声合唱団を創立時から指導され、日本の合唱界に多大な貢献をされた辻正行先生が亡くなられた翌年の演奏会です。

辻:
「わたしの願い」は高田先生ご自身がピアノ伴奏をオーケストラに編曲された自筆譜での演奏で、とにかく真っ黒で何が書いているのかわからなくてね。パート譜とも違って大変でした。

土田:
新響は、自筆譜による曲の演奏は慣れているので大丈夫です(笑)。1976年に新響が創立20周年記念として「日本の交響作品展」を企画、高田先生の出世作「山形民謡によるバラード(1941年)」を演奏しましたが、管弦楽作品はその時以来の演奏となります。

辻:
私はあまり高田先生の管弦楽作品は聴いたことがないのです。高田三郎といえば合唱曲「水のいのち」というイメージではないですか。この曲は200版も出版されています。ちなみに晩年の先生の作品は不協和音で実験作品というか、「水のいのち」の好きな人は離れていくみたいな感じでしょうか。宗教三部作(注2)はとにかく重たいですよ。先生がすごく宗教というのを重く捉えていて、イスラエルの民がどれだけ大変な思いをしたのかということを、よくレッスンの度におっしゃって、イスラエルの民の大変さを和音で表わすかのようです。
先生の晩年は、とにかく難しい音で、難しい顔をして亡くなられた。お葬式の時、先生のお姿を幾度となく拝見しましたので。私はそのように思いました。奥様の留奈子さまに伺ったお話では、そのままキリストのように亡くなられたそうです。おれは死ぬぞーっと十字架にかかるようなポーズをとり、そのまま神のもとにいかれたのですから、けっして悲しいことではない、とおっしゃっておりました。

土田:
今回の2つの狂詩曲は木曾節と追分節をテーマとして、こぶしというか伊福部作品ほど原始的ではないのですが、エネルギッシュでわかりやすく、ノスタルジーと爽やかな抒情性を感じます。

辻:
高田先生がどのような音を書かれているのか、とても興味があります。新響のみなさんとご一緒した「わたしの願い」は、ピアノ伴奏とオケ版のイメージが全く違うのですよ。私はピアノ伴奏を弾いていたイメージでオケのスコアを見た時、どうしてここでこういう楽器がでてくるのだろうか、という感じさえ持っていました。先生は全く発想すら変えてあの曲を書いていたと思うくらい。びっくりしました。すごく新鮮な気持ちで指揮することができました。でも当時は、どちらの方が先生の想いだったのかな、と感じてはいましたね。

土田:
そうでしたか。新響にとって「わたしの願い」という合唱曲の傑作を、オケで演奏するのはとても貴重な経験でした。

辻:
華やかで明るくて、高田先生のオケはこういう響きがするのだと、とても面白く新鮮でしたね。先生の独特な和音が、私にはとても華やかに聞こえた。先生の曲は、物が迫ってくる、闇が迫ってくるような重さ、どんなに美しい曲でも、猛烈に詩の方に強いエネルギーがあって、詩をどう伝えるのか、という重さがあります。例えば「水のいのち」の詩を書かれた高野喜久雄さんと高田先生は、仏教徒とクリスチャンという違いはあるにせよ、お二人とも信仰という高みと深みの中に居られたがゆえ、常に人智を超えたものがそこにいて、というような重さがある。
いすれにせよ、私にとって高田先生はピアノ伴奏つきの合唱作品というイメージです。あの時の演奏はCDで発売されていて時々聴くのですが、すごく面白い。自分がピアノを弾いているのはあまり聞かないですけどね(笑)。よくあんなに録ったなあ、という感じ(笑)。

土田:高田先生との出会いは?

辻:
小学生の時から作曲家になりたくてずっと勉強していました。偉い先生に見てもらおうと思ったのでしょうね。中学生になって高田先生に指揮と作曲を習った父に連れられて先生のところへ伺いました。 のっけから怒鳴られまして、それでもなんとか1年くらいは通って、最終的には、おまえ向かないから、僕にはできることないから、と言われました。オーバーに言えば人生が変わった瞬間です。作曲家になろうと小学校からそれなりに和声学の勉強をして、疑いもせずに行こうと思っていた全てを否定したのが高田先生。それでピアノに転向して武蔵野音大に入り大学院を出てから先生と再会したのは、高田三郎作品演奏会で、先生が指揮をされて「確かなものを」混声三部合唱初演のときでした。当時は冒険でしたよね。20代でしたから。怒鳴られつつレッスンしていただいて。

土田:高田先生は志朗先生のことご存じでしたか?

辻:
ええ。お前か、みたいな(笑)。とにかくいろいろとやらせていただいて、高田先生の演奏会の合同曲というと私を使ってもらうようになりました。

土田:
私事で恐縮ですが、学生時代に四大学女声合唱団連盟の合同曲で高田先生が指揮された「わたしの願い」女声合唱版の練習を何回か現場で拝見したことがあります。驚きました。小柄な方でしたがとてもエネルギッシュ! 女子大生に向かって大声で、ばかものー!と怒鳴られる。でも合唱団は先生の指導に一生懸命ついていくのです。

辻:
とにかく全身全霊。声がでかくてね。もうすさまじい勢いでしたね。先生がこちらを見たときに、こっちが先生を見ていないと怒られるのですよ。でも指揮者をずっと見てるわけいかないでしょう。こっちはピアノ弾いているのに(笑)。 見そうな時はなんとなく視線がふっとくるのですね、その時に反応しないと怒られる。合唱団の中で自分を見ていない者を見つけると厳しく叱責されました。すごかったのは「水のいのち」の1曲目から2曲目の曲間で、準備のため動いた私に、まだ音楽は続いているのだ!ばかもの!と、びっくりしました。しかも本番中ですよ。小さい声でいえばいいものを、バカモノー!!とかなり強い口調で。前の方のお客様は聞こえたと思いますよ。終演後挨拶にいったら、お前は俺を恐れないのがいい!と褒めてくださった。恐れるやつだったら怒鳴らなかったのでしょうね。お前はでかいから立つな、主役は俺だ、とかね。

土田:とにかく厳しくて怖い先生だったのでしょうか?

辻:
とても愛情のある先生でした。ある演奏会の打ち上げで、先生は、どうだ!作曲やんなくてよかっただろう、と私におっしゃったのです。ようするに、だめだといったぐらいで作曲を辞めちまう程度の決意だったんだと、作曲家としては。どうしてもやりたければ、石にかじりついてでもその目標に向かっていくのが通常なのに、おまえは俺が一言いっただけで辞めちゃったじゃないか、お前の決意はそんなもんだった、そんな者に続くわけがない、と言われましたね。それはものすごくグサっときました。先生に習った時は中学生ですからね、当時は大作曲家に、お前は向かない、と言われれば、だめなのかな、と思いますよね(笑)。
本当に作曲家を目指すのであれば、それでも続けるやつが作曲家になっている、ということは、先生は私の音楽的能力も見たのだろうけど、性格とか人間として作曲家には向かないと見抜いたのであれば、猛烈な教育者ですね。時がたてばたつほど、先生への尊敬が湧きあがり、言い換えれば、恐怖感から畏敬の念に変って行きました。

土田:興味深いエピソードですね。先生のキャラクターとか如何でしたか?

辻:
ものすごく人間的な先生で楽しいお酒を飲まれる方でした。そして先生とはとてもいい関係を持つことができました。父も私も高田三郎そのものに近づこうとするのではなく、先生から和声や作曲を習っていたので、客観的に作品と向き合うことができ、作品として習ったとすれば、先生が指揮して私が伴奏ピアノを弾いた時に与えられるオーラですね。冗談みたいだけど、ピアニシモになると先生はしゃがむのですよ。ピアノより小さくなっちゃうので見えなくなってしまう(笑)。
とにかく先生はご自身の作品に確固たる信念をお持ちだから、人の演奏に対して厳しくなるのです。作曲家はこの演奏者がどういうふうにやってくれるのだろうか、自分の子供が社会にでていった、どういう風に染まっていくかが楽しみ、みたいな方が多いと思いますが、先生は、ここはこうだと、お決めになる。

土田:
ストラヴィンスキーは、自分の音楽を演奏するためピアニストや指揮者として活躍した、なぜなら作曲したとおりに聴いてもらうことができるからで、自分の作品を他人が指揮するのを聴くと怒りだした、というエピソードを聞いたことがあります。

辻:
高田先生が、とにかく自分の書いている音は一音たりとも無駄な音はない、全ての音に意味があって一音一音に魂を込めて書く、一音書く度に俺の髪は白くなっていく、ということをおっしゃっていた。だから俺は真っ白だ、じゃあもう書けませんね、とか思わず口にでかかった(笑)。70代の頃でしたね。70になって俺は初めて自分を許せるようになった、とおっしゃっていましたね。

土田:
高田先生の合唱作品は清廉潔白というか独自の境地にあり、孤高の作曲家というイメージがあります。でも志朗先生が冒頭おっしゃっていたように、重くて暗いところがあって、それはやはり言葉によるものでしょうか。

辻:
詩によってだと思います。高野喜久雄さんの「水のいのち」と吉野弘さんの「心の四季」は全然違うじゃないですか。思想的に。曲は似ているけど。そういうと怒られちゃうかな(笑)。似た雰囲気はありますけどね(笑)。

土田:それは作曲家の個性というものでしょうね。

辻:
高野喜久雄さんとのコラボが神に近くて、一番清廉潔白にみえるのかもしれない。それは詩がそうなのであって、高田先生がその詩から受けるインスピレーションでああいう音しか頭に浮かばなかったのではないだろうか。神を絶対に冒涜できない人ですから。だから神に近いそういう清らかな音を書いたのではないか。善と悪というのがものすごくはっきりとしていますね。悪に例えられるものは、ものすごい不協和音を使ったりしてね。

土田:
詩に対する思い入れがものすごく強くて、徹底的にそぎ落として推敲されたのですね。

辻:
先生は、いつも詩が書いてあるメモを持っていらした。ポケットから汚い紙を出して、もう何十回と読み直して、書いては消しを繰り返しながら曲を創っていかれる、という話は伺った。ものすごく考えて。とにかくまずは詩を読み込むところから入る。高野喜久雄さんの詩を読んでいくと、我々でさえ敬虔な気分になるのですから、お互い信仰に深く係わり理解し合ったもの同士がそれを読んだら、高田三郎はどんどん深み、というか、高みに入っていくのですね。そういう音に自然となっていったのでしょう。
先生は、これは何の音か、というような言い方をよくされる。例えば「水のいのち」四曲目で~充ち足りた死を~という詩の前にピアノで4度と1度、すなわち~アーメン~と弾くのですよ。全ての部分に意味があるのです。これってただのアーメンじゃないか、と思いながら当時はね、弾いていました。若かったから。

土田:当時は、そのようなことを先生にお話しすると大変なのですよね(笑)。

辻:
とても言えません。わざわざ怒られようと思いませんよ(笑)。当時は弾くしかなかった。高田先生が亡くなってからですね。私が先生の曲を振るようになったのは。振るようになると、そういうこだわりの意味が見えてくる。楽譜の見方が変わってくるのです。指揮者とピアノでは観ている場所が違う。だから詩と和音との関連というのを考えた時に、先生の音に対するこだわりをロジックとして感じました。詩からインスピレーションを受けている高田先生と高野喜久雄さんとのコラボでの独特なもの、という気がしている。「水のいのち」と「心の四季」を振る時は、私の中で何かが違っています。
高田先生の書いている作品はどことなく宗教の香りがしてくるのですけどね。神がかっているところにこだわっているのかもしれません。例えば「心の四季」で、~雪が全てを真白に包む 冬がそれだけ汚れやすくなっている~、pppで歌われる印象的な一節です。その言葉がものすごく潔癖なもの、潔白であればあるほど受けいれられやすい、そういう神がかっている言葉にこだわりを持って語らせるとかね。

土田:
高田先生の本を拝見すると「なぜ」という問いかけと、「死」に対する思い入れを感じます。子供のころからの胸いっぱいの様々な「なぜ」を唯一解決してくれたのが、ベートーヴェンの交響曲、すなわち音楽だった、という話に注目しました。

辻:
先生は、昔ご自分をよくベートーヴェンに例えていらした。俺の音楽は飯を食いながら聴ける音楽ではない、ベートーヴェンの音楽を聴きながら飯を喰えるか!モーツァルトではない、俺はベートーヴェンだ、と自分の作品への触れ方をおっしゃっていました。性格としてそういう音楽の創り方をしている、ということ。全てが主張です。ディベルティメントは書いていない。

土田:
前回(211回)の演奏会で権代敦彦さんの曲を演奏しましたが、クリスチャンである権代さんは学生の時に教会で高田先生の「典礼聖歌」をオルガンでよく伴奏しました、と伺いました。日本語による「典礼聖歌」を多数作曲されておりますが、日本の旋法を用いて書こう、という発想がすごいと思います。

辻:
先生が日本で一番大きく残された功績はそれだと思います。220曲もありますよ。しかも独特でどこから見ても高田三郎なのです。神の言葉として日本の文化の中にキリスト教の典礼を入れたということで、バチカンから叙勲され認められた(注3)。これはすごい。先生は国立音大で作曲科教授でありグレゴリオ聖歌の先生でした。イントネーションを重視したがために、曲のほとんどはアウフタクトから始まっている。グレゴリオ聖歌はそうだ、と先生はおっしゃっていました。アウフタクトこそ、最もイントネーションがクリアになる手法だと。
初めて高田作品に触れる方は、歌いにくい、言葉がつけにくい、と言いますが、ピアノはそうではなかったりします。とにかく合唱の言葉がたちやすい。それは確かですね。

土田:あらためて伺いますが、志朗先生が高田作品の演奏を通して学んだものは?
辻:
控えめの美徳。抑圧されたもの。ピアニストとして一番勉強したのはピアニッシモです。いかにクリアなピアニッシモを表現するのか、本当に鍛えられました。枯れた音、もっと弱く、とか。そもそも私が伴奏しているときの出番は、複数の合唱団による合同曲ですから合唱の人数も多くて(笑)。600人の合唱団に向かって、百人いようと千人いようとピアニッシモはピアニッシモだぞ、千人だから大きくていいということはない!とおっしゃる。その緊張感がすごかった。
オーケストラは楽器の集合体なので各自が事前にさらうことが前提ですが、合唱は全員同じことをやっているのでサボっていてもわかりません。でも、合唱は1人でも音楽を壊すことができる、怠け者が1人でもいれば合唱団は成り立たない、とおっしゃっていました。
さらう、ということは素晴らしいことなのです。

土田:高田先生の曲のピアノ伴奏は難しい?

辻:
そもそも、ピアノの書き方がとても難しい。ものすごく難しくて、中学生向けに書いているという作品でも弾きにくい。先生の合唱作品の伴奏をされているピアニストは皆さんそうおっしゃいます。

土田:志朗先生にとって高田作品への想いは?

辻:
私が高田先生の年に近づいていくにつれ、だんだん理解していくのかな。先生が振っていらしたころに私がもっと曲を理解していたら、もっといい演奏ができたなという思いはあります。例えば「水のいのち」は単なる水の歌だと思っている人が多い。生まれたものが天から地に落ちて、その魂がずーっと天に帰りたいと思いを持ちながら、最後に、~のぼれ のぼりゆけ~と、空への高まりとなって、最後の瞬間まで天を指し続けていく、という私たちの「いのち」の在り方を示しているのであり、だから、~何故 さかの ぼれないか~と、自分自身への詰問、という歌になるのです。

土田:単なる上流から下流への曲というのとは全然違いますね。所謂“Soul”「魂」ですね。

辻:
そうなのですよ。もっと宗教的な内容なのです。“The Soul of Water”です。そのような高田先生から習ったことを若い人に教えていきたい。どうしても自分の解釈がはいるから違うものになるかもしれませんが、やっぱり先生の精神、どのような想いで作ったのか、私にあれだけ語ったのを、伝えられればと思います。
典礼聖歌の練習で、先生は1時間あると50分しゃべっているのですよ。歌わせないで。イスラエルの民がどれだけ大変な思いをして、というような聖書の中の話を全部暗記していて語るのです。

土田:志朗先生は結局のところ高田作品がお好き?

辻:
好きなのかもしれない。でも自分からはやりません。やるとこだわりがでてくる。好きとか嫌いとかの次元ではないのです。とにかく私にとって高田三郎は一番影響を受けた作曲家でした。怒鳴られようと何しようと週に1回行ってレッスンを受けたのですから。和声学の勉強で、合っているのにも怒鳴られる。先生がご自分のを出されて、これとどっちがきれいだ、と聞かれる。それは先生の方がきれいです、としか言わざるを得ない。だったらどうしてそう書かないんだ!と怒られる(笑)。それで先生の和音が染み付いて行った可能性があります。すべて直球勝負。

土田:最後に高田先生のかわいいエピソードを。

辻:
お茶目でかわいい先生でした。自分で曲書いているのに、自分が間違えたときは、ごめんね、とかおっしゃって。憎めない人です。
先生は、本番前に必ずウィスキーのミニボトルをかっと飲んでいらした。気持ちを和らげるためだったのですね。大丈夫ですか?と伺うと、これを飲まないと上がるんだ、とのこと。先生が上がるなんて考えたこともない。ある曲の最後の音でガーッと決める時、俺に合図をくれ、ということもありました。指揮者に合図をしたのは初めてです。できないことはできない、という正直な方でした。

2010年10月28日
聞き手・構成:土田恭四郎(テューバ)

注1「大久保混声合唱団第31回定期演奏会」
2004年8月1日(日) 新宿文化センター
指揮:辻志朗
ブラームス:Nänie <哀悼の歌>
高田三郎:わたしの願い≪オーケストラ伴奏版≫ 他
注2 1979年「イザヤの預言」
   1983年 預言書による「争いと平和」
   1985年「ヨハネによる福音」
注3 1992年 ローマ法王ヨハネス・パウロⅡ世より“聖シルベストロ騎士団長勲章”授与

参考文献
「随筆集 くいなは飛ばずに」/高田三郎(音楽之友社)
「来し方 回想の記」/高田三郎(音楽之友社)
「ひたすらないのち」/高田三郎(カワイ出版)
「人物書誌大系31 高田三郎」/編者:国立音楽大学附属図書館

<辻 志朗プロフィール>
ピアノを故谷康子氏、故岡見淑子氏、前島あや子氏他に、音楽理論及びソルフェージュを故高田三郎氏、上明子氏、田中えりか氏他に師事。
武蔵野音楽大学音楽学部ピアノ科卒業、同大学院音楽研究科ピアノ修了。在学中、ピアノを渡辺規久雄氏、客員教授故ゲオルク・ヴァシャヘーリ氏、ゲルハルト・ベルゲ氏他に師事。伴奏法をヤン・ホラーク氏に師事。
修了後ウィーン国立音楽大学に聴講生として在籍し、指揮法&伴奏法、伴奏法、発声法を学ぶ。 現在、東京、神奈川、千葉、栃木、新潟、富山、鹿児島で20団体の合唱団の正指揮者として活動する他、全日本合唱コンクール、NHK学校音楽コンクール、全日本お母さんコーラス大会、各地の合唱祭、合唱講習会の講師を勤める。
ピアニストとしては、ピアノデュオ、声楽家とのアンサンブル、合唱作品の初演ピアニスト、レコーディング等の活動を行っている。
NHK交響楽団、東京交響楽団、東京フィルハーモニー管弦楽団、レニングラード国立歌劇場管弦楽団他、多くのオーケストラの公演に関与。
(社)日本演奏連盟会員 日本合唱指揮者協会会員、洗足学園音楽大学講師、NHK文化センター横浜みなとみらいランドマークタワー校「女声合唱講座」講師、高田三郎混声合唱作品全集「その心の響き」全4巻ピアニスト&指揮者。

07年公開 志の輔落語inパルコ「歓喜の歌」に於いて1ヶ月に渡る公演の合唱を担当。
08年4月発売 任天堂DS用ソフト“カンタン音学力”監修。
08年公開 シネカノン映画「歓喜の歌」に於いて合唱の指導を担当。
09年公開 東宝映画「零の焦点」に関与。
著書 「誰でもぜったい楽譜が読める!」音楽之友社 第14刷発売中
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