ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
前田 知加子(ヴァイオリン)
ブラームス(Brahms, Johannes:1833-1897)はその生涯に独奏楽器と管弦楽の為の協奏曲を4曲書いているが、作曲者45歳の年(1878)に書かれた作品番号77を持つニ長調のヴァイオリン協奏曲は、その内2番目にあたる、そしてヴァイオリンのみを独奏楽器とする唯一の協奏曲である(他の3曲は、ピアノ協奏曲第1番ニ短調作品15(1856-9)、ピアノ協奏曲第2番変ロ長調作品83(1881)、ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲イ短調作品102(1887))。
初演当初より、高名な批評家エドゥアルト=ハンスリック( 1 8 2 5 - 1 9 0 4 ) に「ベートーヴェン(1770-1828)とメンデルスゾーン(1809-1847)以来現れた最も重要なヴァイオリン協奏曲」と賞賛されたことから、ベートーヴェン(ニ長調 作品61、1806)とメンデルスゾーン(ホ短調 作品64、1844) の協奏曲と共に「三大ヴァイオリン協奏曲」と称せられることもある。因みに、同じく1878年に作曲されたチャイコフスキー(1840-1893)のヴァイオリン協奏曲(ニ長調 作品35)を加えて、四大ヴァイオリン協奏曲と称されることもあるが、チャイコフスキーは友人に宛てた手紙の中で、ブラームスの協奏曲について「回りくどくて退屈」等と酷評しており、一方チャイコフスキーの協奏曲は、ウィーンフィルハーモニーの演奏会に於ける初演を聴いた、ブラームスを支持するハンスリックにより、「悪臭がする」等とこれまた酷評されている。今日のわれわれから見れば、二人の天才的な作曲家が奇しくも同じ年に銘々が同じ調性の二曲の傑作コンチェルトを残してくれただけでも本当に有難い限りであるのだが。
18世紀を通じて近代的な奏法が確立されたヴァイオリンは、19世紀に入ると華やかな名人芸で魅了するヴィルトゥオーゾの時代を迎える。それらの演奏家の中には、その演奏が作曲家を刺激して優れた作品を生み出す契機となるような者もしばしば現れ、彼らは場合によっては作曲家に対し技術的な助言を与えることで、作品成立に深く係るようなこともあった。先行するベートーヴェンとメンデルスゾーンの協奏曲の成立に際しては、それぞれフランツ=クレメント(アン・デア・ウィーン劇場管弦楽団コンサートマスター)とフェルディナント=ダフィッド(ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団コンサートマスター)という名ヴァイオリニストの存在が大きな影響を与えたとされているが、ブラームスの協奏曲についても、2歳年長の大ヴァイオリニスト、ヨーゼフ=ヨアヒム(Joahim, Joseph 1831-1907)の存在無しには語ることが出来ない。
ヨアヒムとの出会いは、まだブラームスが無名時代の1853年に遡る。当時既にヴァイオリニストとして名声を確立していたヨアヒムは、彼の友人であるヴァイオリニスト、エドゥアルト=レメニーの伴奏者としてブラームスがピアノを演奏するのを聴くと直ちに興味を持ち、すぐに彼をロベルト=シューマン(1810-1856)に紹介した。その才能にいち早く目を留めたシューマンは、自ら主催する『音楽新報』誌に、「新しい道」と題する記事でブラームスを賞賛し、これがきっかけとなりブラームスは世に出ることとなった。(因みに、ブラームスがシューマンを訪問した時、シューマンはヨアヒムのためにヴァイオリン協奏曲を書いていた。残念ながらこの協奏曲は何故かヨアヒムの生前演奏されることがなかった。)従って、ヨアヒムはブラームスにとってはシューマンと並ぶ大恩人ともいうべきで、途中関係が疎遠になることもあったが、生涯を通じての芸術上の盟友でもあった。
ブラームスとヨアヒム
ブラームスがヴァイオリンのための協奏曲を作曲するきっかけとなったのは、ツィゴイネルワイゼンで有名なスペイン生まれの大ヴァイオリニスト、パブロ=サラサーテ(1844-1908)が、彼に献呈されたマックス=ブルッフ(1838-1920)のヴァイオリン協奏曲第2番(頻繁に演奏される第1番はヨアヒムに献呈されている)を演奏するのを聴いたことにあると言われているが、作曲に際してはヨアヒムの演奏を念頭に置き、自分の精通した楽器(ピアノ)ではないヴァイオリンという楽器の為の作曲であることもあり、一貫してヨアヒムに多くの助言を求めた。ヨアヒムは、上述のクレメントやダフィッド以上に曲の成立に深く係ることとなったが、1878年夏の作曲開始から1879年1月1日のライプツィヒに於ける初演を経て、1879年10月の楽譜出版に至るまでの一年以上に亘る両人の協働作業については、数多くのドキュメント・資料類が残っており、その過程をかなり詳しく追うことが出来る。それによると、ブラームスは必ずしも独奏ヴァイオリンの技術的な事柄ばかりではなく、音楽的により深い部分でもヨアヒムの助言を求めており(ヨアヒムは優れた作曲家でもあった)、それらは全てではないが、ブラームスの採用するところとなっており、この協奏曲は殆どブラームスとヨアヒムの共作といっても過言ではないと言われる程である。
楽曲は伝統的な古典的協奏曲の形式に従い三楽章からなるが、独奏ヴァイオリンがオーケストラをバックに華やかな技巧を示すロマン派のヴィルトゥオーゾ風の協奏曲とは異なり、独奏ヴァイオリンとオーケストラが対決・協調し合いながら両者が渾然一体となって、極めて交響的な響きを織り成している。ライプツィヒに於ける初演から一週間後のウィーン初演を指揮したヨーゼフ=ヘルメスベルガーは、この様な性格を評して「ヴァイオリンのための協奏曲ではなく、「反」ヴァイオリン協奏曲(nicht für,aber gegen Violin)」と呼び、20世紀前半に活躍した名ヴァイオリニスト、ブロニスラフ=フーベルマンも「ヴァイオリンがオーケストラに対抗する協奏曲-そして、最後はヴァイオリンが勝つ」と評した。
独奏ヴァイオリンには極めて独特な高度な技巧が要求されており(一例を挙げれば、9度や10度音程の重音の多用。左手がある程度大きくないと困難であるため、ヨアヒムは変更を求めたが、そのままとなった。)、ヨアヒムはそれを「実に普通とは違った難しさ」(wirklich ungewhonte Schwierichkeiten)と評している。初演時の批評においても、「ヨアヒム程の鍛えられた百戦錬磨の闘士を以ってしても、ソロパートの技術的な難しさ、扱い難さと格闘している様がはっきりと見て取れた」とまで言われた。曲はもちろん、ヨアヒムに献呈されている。
【第一楽章】アレグロ・ノン・トロッポ ニ長調 3/4拍子
全曲の半分以上の長さを占める堂々たるソナタ形式の楽章。作曲者とヨアヒムによる試演を聴いたク ララ=シューマンは当時の名指揮者ヘルマン=レヴィに宛てた手紙で、この楽章の雰囲気が前年作曲さ れた交響曲第2番と著しく類似していることを指摘している(同じ時代に、同じ調性、同じ拍子、同じ速度記号で書かれているので、ある意味尤もである)。牧歌的な第1主題により開始され第2主題を欠くオーケストラの提示部が次第に緊張感を高めて独奏ヴァイオリンの登場を準備する様は、それだけでも見事である。古典的協奏曲の形式に倣い、曲の終わりに独奏ヴァイオリンによるカデンツァが弾かれるが、ブラームス自身はカデンツァを残していない。作曲当時から多くのヴァイオリニストによりカデンツァが書かれているが、最も有名で演奏されることが多いのはやはり、ヨアヒムのものである。流石に曲の成立に深く係っているだけあって、時折他のヴァイオリニストによるカデンツァを聴くと違和感を覚える程、協奏曲本体と同化している(本日の演奏では誰のものが演奏されるかはお楽しみ)。変わったところでは、フェルッチョ=ブゾーニがオーケストラ伴奏つきのものを残しており、録音ではかつてギドン=クレメールがマックス=レーガーの無伴奏ヴァイオリンのための前奏曲をまるまる一曲(この楽章のカデンツァとして)弾いたものがある。
【第二楽章】アダージョ ヘ長調 2/4拍子
当初構想されたスケルツォと緩叙楽章を外して代わりに差し替えられた三部形式の中間楽章で、ブラ ームスはこれを「情けない」アダージョ(ein armes Adagio)と呼んだ。この表現には、構成的により大規模な作品を計画していたのを断念した無念さを見ることが出来るが、これはむしろ反語と受け止めた方が良かろう。開始早々暫くの間、オーボエが田園的な美しい旋律を嫋嫋(じょうじょう)と奏で続け、一段落し たところで漸く独奏ヴァイオリンが加わる。サラサーテはこの部分について、「ステージの上でヴァイオリンを持ったまま、オーボエだけが美しいメロディを奏でるのを聴いているのは嫌だ」と評している(彼は生涯で一度もこの協奏曲を演奏することはなかった)。確かに独奏ヴァイオリンにはそのままの形でこの美しいメロディが現れることはないが、広い音域を駆使して装飾的に絡み、嬰ヘ短調の中間部ではコロラトゥーラアリアの様に揺れ動く気分を切々と訴えかける独奏ヴァイオリンは、この楽器の魅力を十二分に伝えて余りある。ブラームスやサラサーテの言葉に騙されてはいけない。
【第三楽章】アレグロ・ジョコーソ、マ・ノン・トロッポ・ヴィヴァーチェ―ポコ・ピウ・プレスト ニ長調 2/4拍子
ロンド・ソナタ形式。冒頭のエネルギッシュな主題はハンガリー風であるが、最後のコーダではトルコ行進曲風に変形される。ハンガリー生まれのヨアヒムは、自身3曲のヴァイオリン協奏曲を作曲しているが、当時よく演奏された第2番の協奏曲(1853)はブラームスに献呈されており、その第三楽章は、「ハンガリー風フィナーレ」のタイトルを持っている。ブラームスはその協奏曲の献呈へのお返しとして、ヨアヒムに敬意を表し、自身の協奏曲のフィナーレにおいてもハンガリー風の主題を用いたのであろうか。
参考文献
Malcom MacDonald, Brahms(New York; Schirmer Books, 1990)
Clive Brown, Bärenreiter 原典版楽譜(BA 9049)の序文(Kassel, 2006)
Michael Struck, Henle 原典版楽譜(HN 9854)の序文(München, 2005)
初 演:1879年1月1日 作曲者自身の指揮、ヨアヒムの独奏ヴァイオリンによる。
於ライプツィッヒ ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のニューイヤーコンサートにて。
楽器編成:フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、ティンパニ、弦五部、独奏ヴァイオリン
演奏時間:約38分