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チャイコフスキー:交響曲第5番

安田俊之(チェロ)

■音楽家チャイコフスキーの誕生
神が与えた才能を…開花させる為に
           (妹宛1863年4月15日)

 チャイコフスキーの音楽からは何を感じるだろう。あの甘い旋律からくるロマンティックな感触であろうか。彼の作品には常に歌があり、時として感情過多とも思える表現で我々に訴えかけてくる。それゆえに彼の音楽を敬遠する向きもあろう。しかしクラシック音楽に馴染みのない者でも「白鳥の湖」の情景(オーボエの旋律)や、「くるみ割り人形」のいくつかの舞曲などはどこかで耳にしたことがあるほど、彼の音楽の美しさ、親しみやすさは広く親しまれている。本日演奏する交響曲第5番は、そんな要素が凝縮された作品だと言える。
 実はこの作曲者の経歴はちょっと変わっている。少年時代から音楽との接点はあったものの両親は彼を音楽家にすることは考えていなかったようで、法律学校で学び法務官となるという道を辿るのである。しかしRMO(帝室ロシア音楽協会)と出会い22歳でこの音楽院の学生となった彼は、やがて役所を辞め正真正銘の音楽家として歩きはじめる。RMO卒業後、そのモスクワ支部に教授として迎えられ、そこの責任者ニコライ・ルビンシテインとRMO創設者でその兄アントン・ルビンシテイン兄弟の手厚い比護を受け、教鞭を取りながら創作活動を行うのである。

■繊細なる大作曲家
ひとりと感じるのは何という喜び!
           (A.メルクリング宛1885年9月20日)

 1866年には交響曲第1番「冬の日の幻想」や初のオペラ「地方長官」を完成させるが、世間に認められるのは1871年に作曲した弦楽四重奏曲第1番(第2楽章が有名な「アンダンテ・カンタービレ」)であろう。さらに1875年にピアノ協奏曲第1番を完成、ようやく名声を高めた。そして彼のオペラ代表作「エフゲニー・オネーギン」、交響曲第4番、ヴァイオリン協奏曲など、今日の代表作群に名を連ねる作品を生み出していったのである。
 こうして大作曲家として着実に歩む彼であったが、その性格は実は繊細で、孤独を愛し、時には男色に走るなど、その社会的高名からは想像しがたい側面があった。主に3人の女性と関わりをもった女性関係からもそれが感じられる。その一方で生涯最も心を許し、14年間の付き合い、700通以上の手紙、そして金銭的援助も受けたナジェージダ・フォン・メック夫人とは、生涯一度も会うことはなかったのである。何と控えめであろうか。また指揮者としても自分に自信が持てず、交響曲第5番も含めて自分の指揮に対する劣等感から、作品自体否定的に感じることもあったようだ。
 そんな彼は西欧の音楽家たちと対等に付き合った最初のロシア音楽家とも言える。ドヴォルザーク、ブラームス、20歳年下のマーラーなどとの交流は彼の音楽に少なからず影響を与えたであろう(因みに新響が今年演奏する(した)作品の中では、ドヴォルザーク交響曲第7番が本日の交響曲第5番と同時代の作品で、しかも両作曲者は各々その総譜を相手に送っている。またマーラーの交響曲第5番は、ライプツィッヒで対面した後1907年にサンクトペテルブルクでロシア初演されている)。

■交響曲第5番完成まで
 1888年5月に西欧演奏旅行から帰還したチャイコフスキーは新たな交響曲を手掛ける。その年の夏までの完成を目指して取組んだこの作品のスケッチには「運命の前での完全な服従」「不満、疑い、不平、非難」「信仰の抱擁に身を委ねる…」「『慰め』『ひとすじの光明』『いや、希望はない』」といった言葉が残されており、新たな作品を暗示している。8月に交響曲第5番を完成し、彼が西欧に旅行した際ドイツ・ハンブルグへ招聘してくれたアヴェラルマン(ハンブルグ・フィルハーモニー協会理事長)へ献呈された(冒頭の作曲者の写真は、このアヴェラルマンが撮影させたものである)。
 しかしチャイコフスキーはこの交響曲に対して、しばらくは否定的なイメージを持っており、メック夫人への手紙でも「失敗作」と書いている。その原因の一端に彼の指揮に対する自信のなさがあったようだ。何回かこの曲を指揮したが一度としてオーケストラに的確な指示が出来ず落ち込み「この作品を火に投げ込むつもりだった」ところまで憎んでしまったようだ。しかし後の1892年、大指揮者ニキシュの名演もあって評価を変えたようである(火に投じられていたら、本日演奏出来なかった! 良かった)。

■交響曲第5番について
この作品にはロシア音楽の特徴である「歌」、ほとんど全ての旋律、音形が器楽によって奏される「歌」で構成されている。またベートーヴェンの交響曲のテーマ性やベルリオーズの「イデー・フィクス(固定楽想)」も取り入れられており、ロシア・ロマン派作品の美しさと西欧的交響曲の構成力を伴ったバランスの取れた交響曲と言える。彼の後期交響曲中、第4番や第6番に比べて感情表現が抑えられているとも言われるが、それでも随所に運命との格闘、憧れと絶望、凱歌といった人間の感情表現が感じられる。

第1楽章
 弦楽器を伴ったクラリネットの暗い旋律で始まる。この旋律は全曲を通じての基本動機(運命の動機)となる。まるで錘おもりをつけてロシアの大地を歩むがごとく。スケッチにある「運命への服従」であろうか。やがて弦楽器のリズムにのって木管楽器が動きのある旋律を奏する。この楽章の第1主題ともいうべき旋律はやがて弦楽器に移りさらなる高揚を経てひとつのクライマックスを迎える。溜息のようなフレーズと対話が弦、木管楽器、ホルンに奏されるが弦楽器のピッチカートをきっかけに暗さが消え、第2主題がヴァイオリンに歌われる。単純な音形ながらリズムの躍動とオーケストレーションの変化が心に訴える高揚感を伴い第2のクライマックスを迎える。この辺りの展開はチャイコフスキーならではであろう。曲は展開部に入り第1主題、第2主題の変形を繰り返し、再現部に入る。コーダで盛り上がりを見せたあと、第1主題を繰り返しながら再び冒頭の雰囲気へと戻り低弦の暗く深い響きで終わる。

第2楽章
冒頭、低弦の和音で始まる。前楽章の最後を彷彿とさせるが、和音進行が違った展開を予感させる。高弦も加わり夜明けのような高揚を迎えたあと、ホルンにより第1主題が奏される。チャイコフスキーの音楽の中でもっとも穏やかながら美しい旋律であろう。クラリネットのオブリガートを伴った後曲想に動きが出て、弦楽器のリズムにのってオーボエとホルンが愛らしいカノン風旋律で対話をする。さらにチェロにより第1主題が歌われ高揚して短い終止を経たあと、カノン風旋律が高弦により歌われる。この美しく希望的な音楽はこの楽章のひとつの感動的クライマックスを築く。全曲中でも最も陶酔的な場面であろう。曲想は短調に変わりクラリネットの美しくも切ない旋律が木管楽器、弦楽器と歌われ不安感を掻き立てられた後、頂点で基本動機が金管楽器により力強く奏される。ここでは救世主のような感じだ。穏やかな雰囲気の中、弦楽器のピッチカートを伴いヴァイオリンが第1主題を歌い、木管楽器、弦楽器のカノン風旋律と歌われた後、突然基本動機がオーケストラの全奏で叩き付けるように表れる。今度は希望を打ち砕くかのように…。嵐が過ぎ去った後の空虚の中でカノン風旋律が歌われながら、この楽章は静かに終わる。

第3楽章
スケルツォの代わりにワルツが置かれている。チャイコフスキーのワルツはバレエ音楽などで華やかなものが多いが、こちらはやや控えめながら愛らしい。ワルツの旋律がヴァイオリンに歌われ、木管楽器に移る。オーケストレーションの変化で色を変えながら続いた後、木管楽器にとぼけたような音型が出てひとつの区切りとなる。第2主題は弦、木管楽器が奏する細かい音型で、いわばここでスケルツォ的楽想となる。期待感と不安感を伴って盛り上がりを見せ、ワルツに戻り、基本動機が木管楽器により控えめに奏された後、全奏の和音で楽章を終わる。

第4楽章
冒頭で基本動機がホ長調で表れる。まず弦楽器、そして管楽器によって堂々と歌われる旋律は運命に打ち勝った勝利感に満ち溢れている。一度曲が収まった直後にティンパニのクレッシェンドに導かれて強烈なリズムを伴う舞曲風第1主題が表れる。オーボエと低弦の対話や弦楽器ののびやかな旋律を経て、木管楽器に第2主題が表れる。この旋律は弦楽器に移ってさらに高揚するが、この間低音楽器群にリズムが持続され曲の推進力となっている。やがて金管楽器により基本動機が力強く奏され一端は収まるが、すぐに激しいリズムで第1主題群が登場する。激しさ、性急さを伴ってクライマックスを迎え、ホ長調の属和音上で一度終わる。コーダはまず基本動機がマエストーソで奏され壮大な頂点を迎えた後に第1主題群が奏され音楽は高揚、さらに第1楽章第1主題が金管楽器に奏されてエンディングとなる。この交響曲に関心を示したブラームスが唯一認めていなかったこの楽章だが、続けて演奏されると人間の勝利への願望、喜びを表し絶大な効果が感じられる。またこれだけ色彩的、音響的な盛り上がりを見せるこの作品がほぼ通常の2管編成、打楽器もティンパニのみ、というのは驚きである。

■新響とチャイコフスキー
新響はロシア音楽を度々取り上げるが、チャイコフスキーは2004年10月のオール・チャイコフスキー・プロ(交響曲第4番、くるみ割り人形組曲などを演奏)以来プログラム上では取り上げていない(アンコールでは今年1月くるみ割り人形より「パ・ド・ドゥ」を演奏)。今回久しぶりに彼の交響曲を演奏するが、団員の中にはその喜びを噛み締めている者が少なからずいるのではないだろうか…と練習中に感じた。それが音となってお客様に少しでもお届け出来れば幸いである。

初  演:1888年11月5日 サンクトペテルブルク・フィルハーモニー協会演奏会にて作曲者自身の指揮による
楽器編成:フルート3(第3奏者はピッコロ持ち替え)、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、テューバ1、ティンパニ、弦5部

参考文献
『チャイコフスキー 交響曲第5番』 ミニチュアスコア(OGT2121) 音楽之友社 
『チャイコフスキー』 作曲家人と作品シリーズ伊藤恵子 音楽之友社
『名曲解説全集第2巻』 音楽之友社
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