マーラー:交響曲第5番
長沼茂太(ヴァイオリン)
■作曲経緯
本作品の作曲は1901年に始まり、夏には最初の二つの楽章が完成していた。この1901年という年はマーラーにとって意義深い年であり、2月にはウィーンで「嘆きの歌」、11月には「交響曲第4番」が初演されるなど音楽面での成功がある一方、同11月には宮廷画家のヤーコプ・エミール・シントラーの娘アルマに初めて出逢い、二人は急接近し、翌1902年3月には結婚、長女マリア・アンナをもうける。マーラーの生涯で、最も幸福な時代(束の間であったが)は「交響曲第5番」とともに始まったのである。
ウィーンフィルの指揮者でもあった多忙なマーラーは、夏の休暇はオーストリア南部ヴェルト湖畔のマイエルニヒにある別荘で過ごし、作曲に専念することにしていた。
マイエルニヒの別荘
アルマとの新婚生活にあった1902年夏もこの自然豊かな別荘に滞在し、「交響曲第5番」をほぼ完成させている。(ただしその後幾度も改訂があった)。
当初は4楽章構成を考えていたマーラーだったが、結局は5楽章構成となった。この変更にはアルマの存在が、少なからず影響したようである。すなわち、第4楽章〈アダージェット〉である。トーマス・マンの小説を元にした、ルキノ・ヴィスコンティ監督映画「ヴェニスに死す」で用いられ、特に有名な楽章となった〈アダージェット〉は、アルマに贈ったものだと言われている。マーラーと親交のあったオランダの指揮者、ウィレム・メンゲルベルク が所有していたスコアには、マーラー直筆の修正の他に、第4楽章〈アダージェット〉の部分にメンゲルベルクによる以下のような証言が書き込まれているからである。
「注、このアダージェットは、グスタフ・マーラーの、アルマに宛てた愛の証であった! 手紙の代わりに、彼はこの手稿を彼女に送ったのである、それ以外には何のことばも書き添えずに。彼女はそれを理解して、彼にこう書き送った。あなたが現れる運命であった!!!、と(ふたりが、私にこのことを語ってくれたのだ!)W.M.」
クリムトが撮影したアルマ
社交界の華として知られていたアルマが、夫マーラーの創作や指揮活動に対して行った貢献は大きかった。義父のカール・モルは画家であり、ウィーン分離派と呼ばれる、グスタフ・クリムトを中心とする革新派の芸術家集団に属しており、自然彼女の周囲には始終画家や音楽家といった芸術家たちが出入りするような環境があった。そのような中で、彼女自身も作曲に興味を示し、ツェムリンスキー(オーストリアの作曲家・指揮者、シェーンベルクの師)に個人的についている。
師に尊敬以上の感情を抱いていたアルマであったが、ちょうどその頃にマーラーが彼女の前に現れたのである。アルマはそれまでの芸術的な環境を、そのままマーラーとの生活に持ち込んだ。そもそもふたりが出逢ったのも、解剖学者ツッカーカンドルが主催したパーティに、モルが分離派の芸術家として招かれ、それにアルマがついていったのが機縁であった。
アルマとの結婚以後、マーラーは、クリムトや美術家アルフレート・ロラーといった分離派のメンバーと深い交流を持つようになる。ベートーヴェンを中心とした総合芸術をテーマとする1902年の分離派展で、マーラーが自らウィーン歌劇場の演奏家を連れて、ベートーヴェン「交響曲第9番」の編曲版でオープニングを飾ったのはこうした事情から自ずと生じた出来事であった。分離派の芸術家に漂う、新しい造形表現、世紀末の官能・退廃的雰囲気はマーラーにも少なからず影響を及ぼしたであろう。
クリムト「ベートーヴェンフリーズ(一部)」
■曲について
全体は5楽章からなる。3部に分けられており、第I部:第1,2楽章、第II部:第3楽章、第III部:第4,5楽章とされている。葬送行進曲に始まり、歓喜の叫びに終わるという、形式としては伝統的な交響曲図式を意識して書かれており、各モチーフ・素材は、生まれ故郷ボヘミアの民謡に由来するなど、なにか「どこかで聞いたような」旋律が用いられている。
第1楽章:葬送行進曲
冒頭のトランペットの葬送の主題による葬送行進曲
とその後に続く、緩慢で沈痛な表情のトリオ部
この二つの変奏と、それらの合間に二つの中間部が挿入されている。
一つは「激情的に、荒れ狂って」と指示された突発的で攻撃的な旋律と、もう一つは弦楽のみによる哀愁を帯びた一つ目の中間部の変奏である。
最後は行進曲主題に回帰するが、半音階的下降によって弱められ、埋葬後の静寂をあらわすような、力無い主題が断片的に続くなか、低弦のピッツィカートで止めが刺される。
第2楽章:嵐のように荒々しく動きをもって。最大の激烈さ。
第1楽章の素材が随所に使われ、関連付けられている。短い序奏につづいてヴァイオリンが激しい動きで第1主題
を奏する。曲はうねるように進み、テンポを落とすとチェロが第2主題
を大きく歌う。これは第1楽章の中間部変奏に基づいている。
展開部以降、第1主題、第2主題が交互にあらわれる。楽章の終わり近く、金管の輝かしいコラールが現れるが、
この明るさの暗示は再度阻止され、冒頭部の威嚇的な動機の回帰によって否定される。最後は煙たなびく戦場のような雰囲気で終わる。
第3楽章:スケルツォ
マーラーが初めて〈スケルツォ〉と明記した長大な楽章である。オブリガート・ホルンがソロ的に扱われているのが特徴である
第1,2楽章からは一転して楽しげで、4本のホルンによる特徴的な「信号音」から第1主題
をオブリガート・ホルン、木管がそれぞれ紡いでいく。「信号音」は節目節目で繰り返しでてくる。
第1主題が変奏されながらひとしきり発展した後、レントラー風(ドイツ民族舞踊)の旋律を持つ第2主題
がヴァイオリンで提示される。これは長く続かず、すぐに第1主題が回帰する。まもなく、展開的な楽想になり「より遅く、落ち着いて」と記された長い第3主題部
へ入ってゆく。この主題は変奏されながら進行し、最後は弦楽器による玄妙なピッツィカートで扱われる。第1主題の再現後、第2主題、第3主題も混ざり合わさって劇的に展開し、第2主題が穏やかに残り、提示部と同様に第3主題による静止部分がきて、最後は再びピッツィカート。 コーダは大太鼓のリズムにのり、壮大なクライマックスのうちにスケルツォは閉じられる。
第4楽章:アダージェット
ハープと弦楽器のみで演奏される、静謐感に満ちた楽章。冒頭は「リュッケルトによる歌曲」の「私はこの世に忘れられ」と通底する雰囲気をもっている。中間部ではやや表情が明るくなり、その後、ハープは沈黙、弦楽器のみでいつ果てるともない美しい調べを奏でる。終楽章との間に切れ目はない。
第5楽章:ロンド-フィナーレ
第4楽章の余韻が残る中、ホルン、ファゴット、クラリネットが牧歌的に掛け合う。このファゴットの音型
は、歌曲「少年の魔法の角笛」から「高い知性への賛美」からの引用である(この歌曲はウグイスとカッコウの歌比べをロバ(愚か者の象徴)が審判し、ロバはカッコウの陳腐な“コラール”に軍配を上げる、というものである。この滑稽な内容が、「闘争、葛藤を経ての勝利」の図式や終楽章で現れるコラールをパロディ化しているという解釈もある)
短い序奏が終わると、ホルンによるなだらかな下降音型が特徴の第1主題、
低弦によるせわしない第2主題
が呈示され、これらに対位旋律が組み合わされて次第に華々しくフーガ的に展開する。再び第1主題が戻り、提示部が変奏的に反復される。第2主題も現れ、すぐ後に第4楽章の中間主題がコデッタとして現れるが、軽快に舞うような曲調となっている。
壮大なコーダでは、第2楽章で幻のように現れて消えた金管のコラールが、今度は確信的に再現され、最後は速度を上げて華々しく終わる。
参考文献
『グスタフ・マーラー全作品解説事典」長木誠司(立風書房)
『マーラー事典』(立風書房)
WIKIPEDIA 「交響曲第5番(マーラー)」
初 演:1904年10月18日 マーラー指揮
ギュルツェニヒ管弦楽団 ケルンにて
楽器編成:フルート4(第3、第4奏者はピッコロ持ち替え)、オーボエ3(第3奏者はコールアングレ持ち替え)、クラリネット3(第3奏者はバスクラリネット持ち替え)、ファゴット3(第3奏者はコントラファゴット持ち替え)、ホルン6、トランペット4、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、グロッケンシュピール、シンバル、大太鼓、小太鼓、タムタム、トライアングル、ホルツクラッパー、ハープ、弦5部