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リムスキー=コルサコフ:スペイン奇想曲

品田博之(クラリネット)

 この曲、曲目解説などという面倒なものを読む必要のない底抜けに楽しくわかりやすい曲です。何の予備知識もなしで楽しめますので難しいことを考えずに楽しんでください。難しい顔して粗探ししながら聴いてはダメですよ(笑)。解説終わり
 というわけにもいかないので、“ロシア五人組”やリムスキー=コルサコフ、そしてスペイン奇想曲について簡単にご紹介します。

1.“ロシア五人組”のこと
 本日はいわゆる“ロシア五人組”の中で名曲を残した三人の作曲家の代表的なオーケストラ曲を揃えました。皆様は残りの二人の名前を思い出せますか?“研究家やロシア音楽愛好家以外にはあまりなじみのない二人”ですが、せっかくですからその二人のことにも触れてみます。
 ロシア的な西欧音楽を書いて最初に成功した作曲家はグリンカ(1804-1857)だと言われています。その業績を発展させてロシアならではの音楽を創造し普及させようとしたのがロシア五人組です。グリンカの音楽は、ロシア国外での高評価にもかかわらずロシア国内ではあまり取り上げられなかったようです。そんな現状を変えようとグリンカの弟子バラキレフは、キュイ、ムソルグスキーさらにリムスキー=コルサコフ、ボロディンを仲間に迎え、お互い切磋琢磨してグリンカの精神を受け継いだ多くのロシア的な曲を産み出したのでした。そう、残りの二人はバラキレフとキュイという作曲家です。
 バラキレフ(1837-1910)は才能豊かだが独善的な人だったようです。アカデミックな作曲技法を身に着けていたのですが、そのようなものはロシア音楽の本来の力を損なうとでも思っていたようで五人組の後輩たちにはそれらを習得させませんでした。あげく音楽界と衝突して失踪してしまいます。数年後に復帰しますが五人組を組織した頃の勢いは戻らないまま生涯を閉じました。
 一方、キュイ(1835-1918)は辛らつな批評家でもありました。ラフマニノフが第1交響曲初演時に悪意ある批評を受けてノイローゼになったというのは有名な話ですがその批評を書いたのがキュイなのです。たくさんのオペラを作曲したのですが忘れられ、一部のピアノ曲だけが演奏されています。

2.リムスキー=コルサコフのこと
 リムスキー=コルサコフは、バラキレフやムソルグスキーとは対照的で人格者として多くの人から尊敬された生涯を送りました。13歳でロシア海軍兵学校に入学、卒業後海軍に入隊し18歳で遠洋航海にも出ています。一方で音楽的才能にも恵まれ、趣味で作曲していました。18歳でバラキレフに出会ってその強烈な個性にひかれてそのグループに参加します。そこでいきなり交響曲の作曲を勧められ四苦八苦しながら完成させています。ただ、若き天才作曲家だったのではなく、バラキレフの無謀な要求に逆らえずなんとか仕上げた素人仕事だったのだと本人が後に述懐しています。
 彼はバラキレフたちのもとで体系的な作曲技法を身につけないまま作曲を続けます。徐々に才能を開花させ、交響曲第2番「アンタール」や歌劇「プスコフの娘」などを作曲し評判となります。するとどういうことかペテルブルク音楽院から教授として招かれてしまうのです。いざ教授になってみたら自分が体系だった作曲技法の知識を持っていないことに気づき、愕然としたとのことです。そこで猛勉強をして和声学や対位法などを身に付けたのでした。教授就任時まだ27歳で海軍に所属したままだったというのですからペテルブルク音楽院もずいぶんと思い切ったことをしたものです。
 リムスキー=コルサコフはムソルグスキーやボロディンの未完成に近い曲の補作を精力的に行ったことでも有名です。「はげ山の一夜」、「ボリスゴドゥノフ」、「ホヴァンシチーナ」「イーゴリ公」などの名曲は彼が補筆完成させなければ埋もれたままだったかもしれません。
 さて、彼の晩年は20世紀初頭ロシア革命前夜の不穏な時代でした。ペテルブルク音楽院も無期限ストライキのような状況になり、彼は教授として学生たちの説得に当たりますが学生たちの妥当な要求には理解を示したために逆に音楽院を追われてしまいます。ところが、多くの理解者の働きかけにより反動的な音楽院院長が解雇され彼は復職を果たすのです。このことからも彼が多くの人から尊敬されるリベラルな考えの持ち主であったことが推察できます。

3.スペイン奇想曲のこと
「ECOS DE ESPANA(スペインからの響)」

 5つの部分が切れ目なく演奏されます。一度聴いたら忘れられないエキゾチックな旋律そしてヴァイオリン、クラリネット、フルート、ホルン、ハープなどの派手なソロと華麗なオーケストレーションが魅力です。実はこの旋律たちはリムスキー=コルサコフのオリジナルではなく、JOSE INZENGAというスペインの作曲家がまとめたスペイン民謡集「ECOS DE ESPANA(スペインからの響)」に掲載されているものなのです。この民謡集の譜例を使って各曲を簡単に紹介しましょう。




ECOS DE ESPANA(スペインからの響)の表紙


1)アルボラーダ【Alborada】


 アルボラーダの直訳は「夜明け」で、たとえばラヴェルの「道化師の朝の歌(Alborada del gracioso)」では「朝帰りの歌」を意味します。ただ、ここは底抜けに明るい少々おバカな曲で、そういった意味はないようです。

2)変奏曲【Danza prima】
 一転して優雅な主題をホルンが奏で、いろいろな楽器の組み合わせで変奏していきます。



3)アルボラーダ【Alborada】
 1曲目と同じ主題が半音上の変ロ長調で再現されます。オーケストレーションも1曲目より派手になっています。

4)シェーナとジプシーの歌【Canto gitano】


 金管のファンファーレで始まり、各楽器のソロが聴きものです。情熱を内に秘めたしかし躍動的な旋律が魅力です。

5)アストゥリア地方のファンダンゴ【Fandango Asturiano】


 開放的でさらに躍動的な「これぞスペイン!」とでもいいたくなるような旋律がカスタネットのリズムを伴ってどんどん盛り上がっていきます。最後はアルボラーダが高速で再現し限界まで加速して終わります。

初演:1887年10月31日、ペテルブルクにおいて作曲者自身の指揮、マリインスキー劇場管弦楽団
楽器編成:ピッコロ、フルート2、オーボエ2(うちコールアングレ持替)、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、小太鼓、大太鼓、トライアングル、シンバル、タンブリン、カスタネット、ハープ、弦五部
参考文献
JOSE INZENGA『ECOS DE ESPANA』
Biblioteca Digital Hispánica
http://www.bne.es/es/Catalogos/BibliotecaDigital
『ボロディン/リムスキー=コルサコフ』井上和男(音楽之友社)
『ロシア音楽史』フランシス・マース(森田稔・梅津典雄・中田朱美[訳])(春秋社)

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