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ブラームス:交響曲第3番

中村彩(ヴァイオリン)


 いつだったか、友人に好きな曲を聞かれて「ブラ4(ブラームス/交響曲第4番)と、ブラ3(ブラームス/交響曲第3番)の3楽章」と答えたら、「根暗だね(笑)」と言われたことがありますが、誰に何と言われようと私はブラームスの交響曲が大好きです。キャッチーなメロディではないので初めて聴いた時は正直捉えどころがなくてよく分からないような印象でしたが、何度か聴いていると不思議と音楽が心の奥深くまで入り込んでくるのです。そんな不思議なブラームスの魅力を、ブラームスファンのみならず、あまりブラームスの音楽に馴染みがない方々にも、本日の演奏を通して感じて頂けたら幸いです。


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 今から180年前の1833年、ブラームスはドイツのハンブルクで生まれました。大変貧しい家庭でしたが、音楽家だった父はブラームスに6歳頃からヴァイオリンなどを教え始め、7歳からはピアノを習わせます。家にはピアノが無かったにも関わらず、教師の助けもあり10歳の時には父の主催する演奏会でベートーヴェン『ピアノ五重奏曲』と、モーツァルト『ピアノ四重奏曲』を演奏して天才の片鱗を表し、15歳の時にはピアノの独奏会を開いたというのですから驚きです。作曲と音楽理論については、12歳頃から本格的に学び始めます。ただ家庭は相変わらず貧しかったため、家計を助けるために酒場やダンスホールでピアノ演奏のアルバイトをしていたそうです。


 さて、本日の演目である交響曲第3番が作曲されたのは今から130年前の1883年、ブラームス50歳の時です。この交響曲が完成する約半年前、音楽界には衝撃が走りました。巨匠・ワーグナーがこの世を去ったのです。当時のヨーロッパ音楽界では、「ワーグナー派」対「ブラームス派」の対立抗争が巻き起こっていました。1868年にワーグナー作曲『ニュルンベルクのマイスタージンガー』と、ブラームス作曲『ドイツ・レクイエム』が初演され、大成功をおさめた頃から本格化したこの対立は、ブラームスの意思とは関係なく過熱していきました。常に新しい音楽表現を追い求めたワーグナーと、古典的な形式を守りつつ試行錯誤の末に独自の音楽を確立させたブラームス。ワーグナーの死がこの交響曲第3番の作曲に影響を与えたのかどうかはっきりとは分かりませんが、抗争が少し沈静化したことでブラームスは落ち着いて作曲に取り組むことができたのではないでしょうか。


 構想から約20年もかけて完成された交響曲第1番、その翌年にわずか数か月で完成された交響曲第2番、そしてその6年後、50歳の時に作曲されたこの交響曲第3番。当時ブラームスが何を考えながら作曲したのか、この曲で何を表現したかったのか、思いを巡らしながら聴いてみるとより一層深くブラームスの音楽を味わうことができるでしょう。


【第1楽章】
 管楽器の『ファ・ラ♭・ファ』という音型でこの交響曲は幕を開けます。1音目の『ファ』で「お、始まったぞ!」と聴衆をわくわくさせておいて、2音目の『ラ♭』の和音で「ん?何が起こったんだ?」
と不安な気持ちにさせ、3音目の『ファ』でまた「ああ良かった」と落ち着かせる(譜例上段)。そして続けてヴァイオリンの『ファ・ラ・ファ』という対称的な音型が登場します(譜例下段)。この音型は手を変え品を変え全曲を通して出てきますので、ぜひ注意深く聴いてみてください。ちなみにこの3音をラテン文字で表すと『F・A♭・F』となり、それはドイツ語で『frei aber froh(自由に、しかも喜ばしく)』をもじったものだと言われています。


【第2楽章】
 美しく穏やかな木管楽器のメロディが印象的な第2楽章。冒頭、クラリネットの美しいメロディに低弦楽器が静かに相槌を打ちます。その対話は次第に他の楽器も取り込み、大きなうねりとなりますが、すぐにまた落ち着きを取り戻します。再びクラリネットとファゴット、続いてオーボエとホルンのメロディに弦楽器が相槌を打ち、どこか遠い昔に思いを馳せているような雰囲気に…。楽章を通して管楽器と弦楽器の対話から美しい音楽のうねりが生まれますが、そのうねりはあくまでも平和的で、悲観的ではありませんが楽観的でもなく、全てを悟った上で訪れた心の穏やかさが表れているように感じられます。


【第3楽章】
 チェロの美しくも切ないメロディで始まる第3楽章。このメロディはその後ヴァイオリン、フルート、オーボエ、ホルンによっても奏でられますが、どの楽器にバトンタッチをされてもそれぞれの楽器の良さが存分に味わえる大変魅力的な旋律です。個人的には、この美しいメロディの裏で三連符を弾いている時がこの交響曲を演奏している中で一番幸せです。メロディの裏では常に三連符が流れていますが、実はこの三連符は分業制で、1つの楽器がずっと奏でているわけではありません。異なるパートが代わる代わる三連符を受け渡して一つの流れとなっているのですが、それが心の奥深くを揺さぶるような独特のうねりを出しています。自分が演奏していてそのうねりの一部に上手く入り込めた時は、本当に幸せな気持ちになります。


【第4楽章】
 第3楽章の最後の空気感をそのまま受け継いだような弦楽器とファゴットのメロディで始まる第4楽章。CDだといつも冒頭の音が小さくて聴こえず、ボリュームを上げてしまいますが、それをすぐ後悔することに。トロンボーンの美しい響きが急に大きくなり、イヤホンから大音量が漏れ出します。トロンボーンに導かれた強く弾むようなリズムは徐々にエネルギーを集めて高まり、木管楽器の下降音階で頂点に達します。そして、今まで眉間に皺を寄せていたのが嘘のようなチェロとホルンの伸びやかなメロディが出てきます。ここから、メロディの裏で常に動いている細かい三連符にぜひ注目してみてください。ここでも第3楽章と同じく分業制で、色々な楽器が代わる代わる三連符を奏でることで、メロディに独特の彩りを添えています。また、中盤の管楽器がパイプオルガンのように鳴り響く場面でも、弦楽器が今度は力強く三連符を鳴らして音楽を推し進めていきます。落ち着きを取り戻した終盤、ヴィオラの切ないメロディに導かれて管楽器が厳かに奏でる旋律は、まるで遠い昔に思いを馳せているようで、どこか哀愁が漂いながらもいつの間にかどこからか光が差してきて明るい響きに変わり、最後はその光の中で静かに幕を下ろします。


初演:1883年12月2日ウィーンの楽友協会ホールにて、ハンス・リヒター指揮による
楽器編成:フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、弦五部
参考文献
『ブラームス』三宅幸夫(新潮社)
『ロマン派の交響曲―「未完成」から「悲愴」まで』金聖響・玉木正之(講談社)
『ブラームス交響曲第3番へ長調作品90 ミニチュアスコア』西原稔(音楽之友社)

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