プーランク:「モデルは動物たち」組曲
<はじめに>
本日の演奏会ではプーランクの作品を2曲取り上げますが、3年前に他のオーケストラでここ芸術劇場にて矢崎彦太郎先生の指揮で「牝鹿」を演奏して以来、プーランクに魅了されてしまった私にとってはこの上ない幸せなプログラムとなりました。パリジャンならではの天真爛漫さや精妙洒脱なユーモアセンス、遊び心に溢れたこの作品、日本では一般的に「模範的な動物たち」などと呼ばれていますが、今回新響は「モデルは動物たち」として紹介することになりました。
“Les Animaux mod`eles”という題を提案したのはプーランクの友で、レジスタンスの闘士である詩人のポール・エリュアール(1895年-1952年)ですが、矢崎先生がこの曲をめぐる2人の往復書簡をお読みになり、曲の雰囲気や背景などを踏まえタイトルを付けられました。エリュアールの詩をテキストにした作品には他に合唱曲「人間の顔」や「雪の夜」などがあります。
<作品の概要>
プーランクはパリオペラ座からの依頼で、17世紀の詩人、ラ・フォンテーヌ(1621年-1695年)の寓話(動物などを擬人化した教訓的なたとえ話、イソップ物語など)から選択した6編に「夜明け」と「昼食」を加えバレエ音楽を作曲、後にその中の「熊と二人の仲間」、「セミと蟻」を省いて組曲として再編しました。フランス的な叡知の詰まった傑作であるこの寓話をプーランクもエリュアールも大変気に入っていました。1940年7月に題材が決定、1941年完成、1942年8月にパリオペラ座で初演されました。時は第二次世界大戦の真っ只中、時代の趨勢を意識して作曲され、ドイツ軍に対する批判やフランスの未来に対する希望が寓意的に且つ分かり易い明快な音楽で表現されています。演奏会は大成功を収め、オネゲルが「プーランクの才能が完全に開花した。シャブリエ、ストラヴィンスキー、サティの影響は消化され、プーランク本来の長所の中に溶け込んだ。」と大絶賛しました。国家委嘱作品になることを望まれていたものの友人のレーモンド・リノシェ追悼のために捧げられました。
<簡単なあらすじ>
1.夜明け…7月、ブルゴーニュ地方の夜明け。ある1日が始まります。
2.恋するライオン…ライオンが美女に恋をします。恋をしたライオンは…。
3.中年男と2人の愛人…金持ちの中年男を2人の女が奪い合い挙げ句の果てには…。
4.死神と樵(きこり)…人生に疲れ果てた樵は死神を呼びますが…。
5.2羽の雄鶏…仲の良い2羽の雄鶏のもとに雌鶏が舞い込んできますが…。
6.昼食…仕事を終えた人々が戻り昼食を始めます。
<フランシス・プーランクについて>…今年は没後50年
19世紀末ベル・エポックの開幕。この頃のパリはアメリカ、ロシア、日本など世界各地から多彩な文化が集まる国際都市でした。第5回パリ万博前年の1899年1月7日にプーランクは敬虔なカトリック教徒であるパリの製薬会社経営の父とピアニストの母のもとに生まれます。14歳の時にストラヴィンスキー作曲「春の祭典」の初演(当時一大センセーションを巻き起こした)を聴き、衝撃を受け音楽家を目指します。15歳になるとスペイン生まれのピアニスト、ビニェスに師事し、その後1917年サティ作曲の「パラード」(台本:コクトー、舞台:ピカソ、当時あまりにも斬新で大騒動となる)に遭遇、これにも大きな衝撃を受けます。また、コクトーのサロンに出入りし始めた当時18歳の彼は本格的に作曲を学びたいと考えましたが、父の反対を受け、パリ音楽院には入学せず3年の兵役後にケクランから作曲を学びます。1920年にはフランス6人組(オーリック、オネゲル、デュレ、プーランク、タイユフェール、ミヨー。音楽スタイルは違っていた)としてデビュ
ー、1924年、モンテカルロ(モナコ)での「牝鹿」公演の大成功で彼の名声は広まりました。
第二次世界大戦中フランスは、ドイツ占領下と同時にヴィシー政権の施政下にありました。ボルドー地方に徴兵されていたプーランクは1940年9月、敗戦の混乱が収まったのを機にパリへ戻り、1944年のパリ解放までパリで作曲活動を続けました。エリュアールやアポリネールの詩を読むと当時のフランスの苦しい状況を理解することができますが、「そうであっても、これ以上に典型的にフランスであった時代は他にはない、いかなる犠牲を払っても祖国フランスの運命に希望を見出そう」とプーランクも言っているように、誇りを失わず希望を持って歩んでいた人も多く存在しました。そんな時代にこの「モデルは動物たち」は創作されました。
晩年は1960年北米に演奏旅行し大成功を収めましたがその後、1963年1月30日、コクトーの「地獄の機械」に基づく4番目のオペラに取り組んでいる途中、突然の心臓発作で死去、2月2日、サン・シュルピス寺院にて葬儀が執り行われました。満64歳、独身主義者でしたが子供の純真さを愛する生粋のパリジャンでした。彼はあるインタビューで「もし、無人島に流されるとしたら、持っていきたい詩はラ・フォンテーヌ、ボードレール、アポリネール、エリュアール、ロンサール、音楽ならばモーツァルト、シューベルト、ショパン、ドビュッシー、ストラヴィンスキー」と答えています。
初演:1942年8月8日 パリ・オペラ座にて、ロジェ・デゾルミエールの指揮による
(振り付け・台本:セルジュ・リファール、舞台装置・衣装:モーリス・ブリアンション)
楽器編成:ピッコロ、フルート2、オーボエ2、コールアングレ、クラリネット2、小クラリネット、バスクラリネット、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、トライアングル、シンバル、吊りシンバル、大太鼓、中太鼓、小太鼓、タンブリン、クロタル、タムタム、グロッケンシュピール、木琴、ハープ2、ピアノ、チェレスタ、弦五部
参考文献
『ニューグローヴ世界音楽大事典』スタンリー・セイディ編(講談社)
『音楽大事典』(平凡社)
研究論文:プーランクのバレエ組曲「模範的動物」の考察、お茶の水音楽論集第3巻P28(2001・4)田崎直美(お茶の水女子大学)
スコア(MAX ESCHIG版)
『フランス詩人によるパリ小事典』賀陽亜希子(白凰社)
『ドレ画 ラ・フォンテーヌの寓話』ラ・フォンテーヌ(窪田般彌訳)(現代教養文庫)
『プーランクは語る 音楽家と詩人たち』フランシス・プーランク、ステファヌ・オーデル編(千葉文夫訳)(筑摩書房)
レコード芸術1999年4月号Vol.583(音楽之友社)