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マーラー:交響曲第4番ト長調

箭田 昌美(ホルン)


 マーラーは1887年、27歳の時にアルニムとブレンターノによる詩歌集『少年の魔法の角笛』と出会っており、これを題材として多数の歌曲を生み出している。多くは後に同名の歌曲集となり、一部は第二、第三、第四交響曲に用いられている。そのため、これら3つの交響曲を角笛交響曲と呼ぶこともある。
 第四交響曲の第4楽章は1892年に作曲されたフモレスケと題された『少年の魔法の角笛』からの最初の歌曲集の中の「天上の生活」が用いられている。マーラーは当初は第三交響曲の第7楽章として「天上の生活」を用いる構想を持っていたが、最終的には肥大化した第三交響曲には含めず、新たに「天上の生活」を核とする第四交響曲を作曲することとなった。
 マーラーは第四交響曲の完成時、親しい友人のナターリエ・バウアー=レヒナーに「第四交響曲は前の三つの交響曲と密接に関係しており、それらはこの第四交響曲によってはじめて終結するのだ。それらは内容においても、構造においても、四つでひとつに完結した四部作である。」と語っている。また第三交響曲の作曲中には「僕が第二交響曲で提起し、答えようとした人間への究極の問い、すなわち、我々は何のために存在するのか、我々はこの世の生を終えてもなお存在するのか、という問いは、ここではもう僕にとってどうでもいいことなんだ。全てが生き、生きなければならず、ずっと生きてゆくことになる世界で、それがどういう意味があるというのだろう?このような交響曲において、神の無限の創造性に思いを凝らしている精神が、亡きものになるなどといったことがあってよいだろうか?いや、人間は確信をもってよいのだ。全ては永遠に、不滅のものとして保護されている、と。キリストも、『わたしの父の家には、多くの住処がある』、といっているとおりだ。それに、そこには人間の苦悩や悲しみが入り込む場所はない。それは崇高な明るさに支配された、永遠に光り輝く昼だ。もちろんそれは、神々にとってそうなのであって、人間にとっては恐ろしく途方もないもの、全く捕えようのないものなのだ。」と語っており、マーラーが第一交響曲を含め四部作としているのはマーラーの世界観の発展を表しているからと考えられる。すなわち現実世界の人間が理想を求めて闘う第一交響曲から始まり、人間の生と死の意味を考える第二を経て第三、第四では自然や愛、天上の世界を表現するに至っている。第四交響曲は「天上の生活」を核にしていることもあり、全体にメルヘン的な要素が強く表れている交響曲である。


第三交響曲との関連
 第三交響曲の第5楽章には『少年の魔法の角笛』の「三人の天使は歌う」が使われている。詩の内容はイエスを裏切ったペトロの懺悔に対し、イエスが「お前が十戒を破ったというなら、跪いて神に祈りなさい、いつも、ひたすら神を愛しなさい、そうすればお前も天国の喜びを得よう!」と答え、三人の天使が「ペトロの罪は晴れました!」と歌うものである。これは「天上の生活」の中で天国の喜びを得たペトロに繋がるもので、第三と第四交響曲の密接な関係を示している。


楽器編成について
 第四交響曲はトロンボーン、テューバが含まれておらず、マーラーの交響曲としては小編成なものになっている。マーラーは第3楽章のクライマックスでトロンボーンを使うことも考えたが、その箇所の為だけに編成を拡大することはしなかったそうである。なおトロンボーン、テューバがないという以外では三管編成を超えており、一般的なオーケストラの編成と比較するならば小編成とはいえない。


「この世の生活」
 マーラーの歌曲集『少年の魔法の角笛』には「この世の生活」が含まれている。元々、最初に作曲された5つのフモレスケでは「この世の生活」と「天上の生活」が対になっていた。後に「天上の生活」は歌曲集からは削除されることになるが、この二曲は内容的に対比される関係にある。「この世の生活」ではお腹を空かせた子供が食べ物を求めているのだが、母親が麦を刈り、粉を挽き、ようやくパンが焼き上がった時には餓死していたという残酷な現実世界を表している。それに対し、「天上の生活」では食べ物や音楽に溢れ、喜びに満ちた世界が描写されている。


「天上の生活」
 マーラーは第二交響曲を作曲中の1893年に「僕の《天上の生活》では、構想はまったくふさわしいかたちで実現され、何から何まで幸運にも構想どおりだったように思える。」と語っており、この曲への自負と愛着が感じられる。「天上の生活」の詩の内容(「天上の生活」対訳参照)を見ると意味深長であり、辛辣な表現や皮肉やパロディとも感じられる。詩の中に登場するヨハネは洗礼者ヨハネのことであり、ヘロデはイエスの殺害を目的に「ベツレヘムの嬰児大虐殺」を行った悪名高きユダヤの王のことである。となると子羊は暗にイエスを指していることになる。また牛をシンボルにしている聖ルカが牛を殺すというのも皮肉である。しかし、一方で聖マルタが料理することや、チェチーリアが音楽を奏でることに違和感はない。また殉教したとされる伝説のウルズラと1万1千人の処女も天国では楽しく過ごしていると考えられるだろう。
 つまりここに描かれている世界が光に溢れた影のない楽天的な天上界であるなら、地上での善も悪も意味をなさない世界とも考えられる。詩の内容そのものの解釈は限定されるものではないが、マーラー自身はこの詩について「そこには、深い神秘と結びついた何という悪戯っぽさが隠されていることか!すべてが逆さになり、因果律などは一切通用しない!それはまるで、突然、あの反対を向いている月の裏側をみたようなものだ」と語っている。


第一楽章 中庸の速さで、速すぎずに。ト長調 4分の4拍子 ソナタ形式
 初演時に聴衆は単純なテーマに驚いたが、展開部ではついていけなくなったとのことである。マーラー自身は次のように説明している。「それが最初に現われるときには、花についた朝露のしずくが、太陽の光が差し込む前にそうであるように、ごく目立たない。でも陽光が野原に当たりはじめると、その光線は真珠のような露ひとつひとつによって幾千という光と色に分解し、そこから光の洪水のような反映が僕らを照らすのだ。」また次のようにも語っている。「僕は第一楽章で、こんなに子供のように単純で、まったく自身を自覚していないようなテーマの楽器付けのために、これまでにない苦労を味わったんだよ。最もポリフォニー的な楽句でさえ、こんなに苦労したことはなかった。奇妙にも、僕はずっと前から、音楽をポリフォニーとして以外考えられなかったから、その複雑で錯綜した進行にすっかり慣れているのさ。しかしこの場合には、多分、僕に、訓練を受けた学生ならば誰でも簡単に使えるような対位法、つまり純粋書法の能力がいまだに欠けているのがいけないのだろう。」あくまでもソナタ形式に忠実でありながら、極めてマーラー的で複雑なポリフォニーが展開される。マーラー自身は次のような言葉も残している。「第一楽章は、三つまでも勘定できない、といった調子ではじまるんだけれど、すぐに九九ができるようになり、最後には何百万といった目がまわるような数字を計算してしまうのだ。」


第二楽章 落ち着いたテンポで、慌ただしくなく。スケルツォハ短調 8分の3拍子 三部形式
 マーラーはこのスケルツォについて「その性格の点で、第二交響曲のスケルツォを思い起こさせ、また新しいものを古い形式を使って表現した唯一の楽章である。」と語っている。この楽章の特徴として、コンサートマスターはフィーデル風にと指定された一全音高く調弦されたヴァイオリンに持ち替えた独奏を行う。マーラーはこのヴァイオリンを「友人ハインが演奏する」と書いており、「死の舞踏」を意識したグロテスクなものとなっているが、中間部では穏やかで夢想的なメルヘンも展開される。


第三楽章 静かに、少しゆるやかに。ト長調 4分の4拍子 変奏曲形式
 非常に美しい緩徐楽章であるが、変奏曲形式であり、変奏によりテンポも大きく異なる。マーラーはこの楽章を「聖ウルズラの笑い」と名付け「この曲をみると、子供時代に見た、深い悲しみをいだきながら涙を浮かべるようにして笑っていた母親の顔が思い浮かぶ」と語ったそうである。また「この曲全体では、神々しく晴朗な旋律と深く悲しい旋律とがあらわれるが、きみたちはそれらを聴くと、ただ笑ったり泣いたりすることしかできないだろう。」と説明している。


第四楽章 非常に心地よく。ト長調 4分の4拍子
 ソプラノ独唱により、『少年の魔法の角笛』からの「天上の生活」が歌われる。先に説明した通り、マーラーは先にこの歌曲を作曲しているが、第四交響曲に用いるにあたり、他の楽章の編成に合わせてオーケストレーションを拡大している。スコアには独唱について「子供らしい明るい表情で、まったくパロディなしで」という注釈が書かれている。


完成:1900年8月5日
初演:1901年11月25日、作曲者自身の指揮によりミュンヘンにて
楽器編成:フルート4(3、4番はピッコロ持ち替え)、オーボエ3(3番はコールアングレ持ち替え)、クラリネット3(2番はEsクラリネット持ち替え、3番はバスクラリネット持ち替え)、ファゴット3(3番はコントラファゴット持ち替え)、ホルン4、トランペット3、ティンパニ、大太鼓、トライアングル、鈴、グロッケンシュピール、シンバル、タムタム、ハープ、弦五部(コントラバスは第5弦を持つもの)
参考文献:
『グスタフ・マーラーの思い出』ナターリエ・バウアー=レヒナー著、高野茂訳(音楽の友社)
『マーラー』(新潮文庫―カラー版作曲家の生涯)船山隆(新潮社)


天上の生活(『少年の魔法の角笛』より)

対訳:山口 裕之(ホルン)


私たちは天国の喜びをいろいろ楽しんでいます。
だから現世のことは遠ざけるようにしています。
この世の騒ぎなど
天国では何も聞こえません!
すべてがやさしくゆったりと暮らしています。
私たちは天使のように暮らしていますが
そうでいながらとても楽しいのです。
私たちは踊ったり飛びあがったり
跳ね回ったり歌ったりします
天国の聖ペトロがこちらを見ています。


ヨハネが子羊を放すと
屠殺者ヘロデがそれに目をつけます。
私たちは辛抱強い
汚れのない、辛抱強い
かわいい子羊を死へと導きます。
聖ルカが牡牛を屠ります
なんの心配も気づかいもなく。
ワインにお金などかかりません
天国の酒場では。
天使たちがパンを焼いてくれます。


あらゆる種類のおいしい野菜が
天国の庭で育ちます
おいしいアスパラガスにインゲン豆
それに欲しいと思うものはなんでも。
私たちは鉢にいっぱいにいれてもらえます!
おいしいリンゴ、おいしい梨、おいしいブドウ、
園丁たちはなんでも取らせてくれます。
ノロジカやウサギがほしければ
みんなが通っている道を
それらが走っていきます。


斎日がきたとしても
魚たちがすぐにみんな喜んでこちらに泳いできます!
そこにさっそく聖ペトロがやってきて
網と餌をつかって
天国の池の中へと引き入れます。
聖マルタがきっと料理をしてくれるでしょう。


地上の音楽など
私たちの音楽とは比べものになりません。
一万一千人の乙女たちが
思い切って踊り始めます。
聖ウルズラもそれを見て笑っています。
地上の音楽など
私たちの音楽とは比べものになりません。
チェチーリアとその身内のものたちが
すばらしい宮廷音楽家となって演奏します。
天使のような歌声が
感覚を喜ばせてくれ
すべてが喜びで目覚めます。

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