作曲家 吉松隆氏にきく
―本日は「日本酒の飲めるお店」というリクエストをいただきました。日本酒はお好きなんですか。
吉松 三十半ばくらいから飲むのは、ほとんど日本酒ですね。日本酒に合う食事が身体に合うようで、歳を取ってさっぱり系になってきました。
―音楽家は食にこだわる方が多いと思うのですが、料理はされるのですか。
吉松 昔ちょっとこりましたけど、今はやってないですね。何年か前まで一人暮らししていた頃は、出汁に凝ってみるとか、安いサバ買ってきて煮込むとか、蕎麦打ってみるとか、そういうあんまり役に立ちそうにないものにハマったこともありましたけど。
音楽家は、車の運転とか釣りとかをする人も多い。音楽のこと考えないで、1 時間も 2 時間も無心でやっていられるものがないと、どこかで行き詰って難しいからかも知れないですね。
―先生もそうですか?
吉松 僕は昔からパソコンやイラストをやっていたので、音楽を忘れるのは得意ですね。
―ご自分の本やCDジャケットのイラストが素晴らしいですね。
吉松 時間や音楽を忘れて描いていたということはあるかもしれません。最近は流石にあまりそういうことはないですが、パソコンおたく第一世代ですので。
―パソコンはかなりお詳しいのですね。
吉松 詳しいというか、商売道具ですね。コンピューターがあまり一般的でなかった頃から、未来の音楽はコンピューターでやるものだと思っていました。それで慶応義塾大学の工学部に進学しました。でも、当時は工学部でも巨大なタンスみたいな物しかなく、モニターもキーボードもなく紙テープの穴で答えが出てくるのです。
―新響では日本人の作品を積極的に取り上げており、過去に何度か先生の作品が候補になったことがあるのですが、今回ようやく演奏することが出来ます。
吉松 「鳥のシンフォニア」は、ジュニア・オーケストラの子供たちのために書いたもので、初演以来演奏される機会があまりなかったので、どこかで出来ないかなとちょうど思っていた時だったんですよ。
ただ、アマチュアオケも随分上手くなってきているので、あまり易しいのを書くと飽きられてしまうし、だからといって、グチャグチャ難しいのを書くわけにもいかないし、バランスが難しかったかな。
―この曲は先生の管弦楽作品の中でも、編成や時間的にアマチュア・オーケストラが取り上げやすいです。今回を機会に、流行らせたいと思います。
吉松 ただ、委嘱作品って、他のオケがなかなか手を出さないですよね。誰かがお金と手間をかけて委嘱して出来たものを、良い曲だからといって横取りしては失礼だと思うんでしょうか。コンチェルトでも、他の演奏家がどんどん演奏するかと思うと、そうでもないんですよ。多分 20~30 年経てば違うんでしょうけど、委嘱者が初演して一年でも経ったら全然演奏してくれてもいいのに。
―我々が演奏しても良かったのでしょうか。
吉松 もちろん全然問題ありません。こちらとしては、もっと演奏してくれた方が有難いです。コンチェルトなどは特定のソリストと綿密に作ってしまうので、他の人だと音楽的に根本が違ってしまう場合があるんですけど、最近ではサクソフォーンとかトロンボーンとか、新しい世代の人たちが、違った感性で演奏してくれるのは嬉しいですよ。
―高校時代にオーケストラでファゴットを吹いていらしたのですよね。
吉松 ファゴットに欠員がいるからと押し付けられたのです。今は吹いてないです、楽器は結局買わなかったので持っていないですし。
その時のトラウマのせいかファゴットには高音書けないですねぇ。書いていてヘ音記号から上に行くと、もう本能的に・・・。コンチェルトにはすごく高い音を書いたけど、オーケストラには書けないですね。
―作曲をしてオーケストラの仲間に楽譜をあげていたということですが。
吉松 木管五重奏、ヴァイオリンソナタ、無伴奏チェロソナタ、フルート2本のソナタなど膨大にあったのですけど、楽譜は手書きのモノをあげちゃったので全然残ってない。あの頃はコピーがなかったし、昔のコピーは青焼きで時間経つと消えてしまうんですよ。
―どこかに残っていたり、覚えていて書き直すことはできないのですか。
吉松 覚えてないですね。昔のスケッチが段ボールに何十箱とあったのだけど、引っ越した時に捨ててしまいましたし。ピアノ曲の楽譜はかなり残っていて最近 15,6 歳くらいの時に書いたピアノ曲集(優しき玩具)を録音してもらったんですけど、今と作風が全然変わっていなかった。音の選び方とか、趣味がね。
―先生のヒーローは、松村禎三先生だったのですね。
吉松 現代音楽界では武満徹さんと松村禎三さんですね。武満徹さんは、楽譜やレコードも割と手に入ったし、文章も書いておられたから情報があったし、音響のタイプが自分と似ていた。でも松村さんはちょっとタイプが違うナゾの人で。交響曲など一体どうやって作っているのか直に会って聞きたいというのが大きかった。
―それで松村先生に師事したのですね。
吉松 やはりあの時代に交響曲を書いているということが大きかったですね。黛敏郎さんとか矢代秋雄さん三善晃さんなどはアカデミックなイメージがありすぎて。僕の中ではずっと独学でやるというつもりだったから。やはり武満さん、伊福部さん、松村さんは、独学組のヒーローだったですね。それで、松村さんの交響曲、オーケストレイションのセンスが非常に気になって、武満さんよりは松村さんに付いたということなんです。
―可愛がられたのではないですか。
吉松 いや、たぶん一番可愛くない弟子だったでしょうね。何かを教わるという気はなかったので、曲が出来たら楽譜を持って行って見せて、「ちょっと息が短い」とか、「このタイトルは何?」とかたまに言われるくらいで、あとは音楽や作曲について青臭い議論をふっかけていただけだったような気がします。
その代わり、僕がロックに凝っているのを聞きつけて、「一回ロックについて教えに来い」と言われて。レポート用紙何十枚かの資料を作って、それこそプレスリーから、当時クイーンとかプログレが出たギリギリの70年代初めくらいまでの主だった曲のサンプルのカセットテープも作って聞かせて。そしたら、プログレとかクイーンは「小賢しくてつまらん」と。何が気に入ったんですかと聞いたら、ジョン・レノンの「マザー」っていう曲があるでしょ、ずっと“マザー”って叫んでいるだけなんだけど、あれが一番良かったって言われて。だから、感覚が全く違うな、と。
―交響曲が書きたくて松村先生の門を叩いたということですが、交響曲にこだわっていらっしゃるというのはどうしてですか。
吉松 そもそも中学3年の時に「運命」を聞いてそのスコアを見たその夜に「作曲家になりたい!」と思ったわけで、交響曲は人生の大目標だったんです。ところがなぜか、その頃(1960~70年代)は、現代音楽の全盛期で交響曲を書くというのは古臭いと馬鹿にされていた時代で。でも、ああいう音楽を作るためにクラシックの作曲家を目指したというのが大きかった。
―独学でやっていくつもりだったということですが。
吉松 昔は独学にすごくこだわっていました。独学でなければ作曲家ではない、と信じていたほどです。ただ、ある程度歳を取ってきて、若い人にアドバイスをと言われると、それはやっぱり教わった方がいいですよと言ってしまうんですけど。
松村先生に付いた時も、これとこれは勉強しなさいと言われると逃げてましたね。和声法と対位法の先生を紹介されたのだけど、すぐ逃げ出しちゃったしね。僕としては、機能和声法みたいなあんな変なもの耳に仕込まれたらダメになると思ったんですよ。そう言うと「変な考え方するね」って驚かれるんだけど。コンセルバトワールの流麗とした和声進行法とか、ジュリアードで教えているジャズのコード進行とか、あれはあれで美しいんだけど、やはり自分が持っているものと相反する美学でしょ。
―時間をかけて自分で発見した方が身に付くのですね。
吉松 それもあります。中学の時にギターを始めて、ヴィブラートを発見したんですよ。勝手にいじっていて、こうすると音がきれいになると自分で気づいた。それで翌日学校でギターやっている友人に、「お前知ってるか?こうやると音がきれいになる」と言ったら、「それはヴィブラートっていうんだ」「そんなことは初歩の初歩で知ってる」と言われておしまい。あの発見した時の喜び無しに教わってしまうなんてそんなつまらないことはない、と。少なくとも僕は、ヴィブラートとドミナント、トニカは自分で発見したと思っているんですよ。
人によっては、お薦めコースを教わって最短距離で行く方がいいという人がいるでしょう。でも、旅だって目的地に着くことだけが目的なわけではなくて、行く途上で思いもかけないものに出会ったり迷ったりすることの方が旅の醍醐味だと思うんですよ。
昔は、酒を飲んでラベルに何県何市って書いてあるとそこに行こうと、翌日旅に出ることが多かったですよ。でも、そこに行かないで、途中に良い所があればそこで電車降りて別のところに行ってしまう。なるべく回り道をした方が楽しいという感じでした。
―現代音楽撲滅運動を提唱されていますが。
吉松 僕が始めた70年代の頃の現代音楽っていうのは、大本営発表みたいなものだから。武満さんというのは国際派の神様で、日本だと三善さんや松村さん。そのまわりに賞や批評から音楽コンクールまで「現代音楽以外は認めない」人たちがいて、それに盾突くと、国内でも国外でもクラシックの作曲なんかできないという状況だった。それに反抗していた訳ですよ。
―ということは、現代音楽が嫌いということではないのですね。
吉松 あの頃は自分が日本で一番現代音楽オタクだったと思います。一番現代音楽を聴いていて、レコードやテープ、CDをたぶん日本で一番持っていたんじゃないかと。だからこそ、ああいう方向に全員が向いて行ってしまうということが気に食わなかった。
今は、撲滅と言うと、本当に撲滅されてしまうような気がしてまずいですが、当時は言ってみれば、戦争の無っ只中に軍隊に入った新人の兵隊が、突然「戦争反対!」って言い出した、みたいなものですね。現代作曲家としてデビューして音楽誌に文章を書かせて貰ったんですけど、一行目に「現代音楽は嫌いです」って書いたら、総スカンを食いましたね。こんなことを書いてこの業界で生きていけるのかって言う。でも、この業界で生きていく気はさらさらないという前提で始めた訳で。
―いわゆる前衛音楽ですね。
吉松 当時は前衛も意味があったんです。それ以前の伝統的な形の音楽では、日本人の出る幕がないわけですよ。新しい世代、新しい文化圏から世界的に何かを発信するためには、いったん古いモノを全部否定してみせないとならない。だから、前衛、プログレッシブ・ロックのプログレッシブ(進歩的)のように新しい響きで自分たちの存在理由をアピールする重要な意味があった。でも、アピールしたとたんに権威主義的になってしまった。新しいものを切り拓くというポジションと、日本人にも関われる、世界的にどこまで自由にできるかという意味では、非常に理想郷だったのです、あの時代は。
現に武満さんや黛さんなど30歳にもならないような若者が数多く出てきた。東京オリンピックで黛さんが入場曲のカンパノロジーを作曲した時はまだ30代。今だと東京オリンピックで30代の作曲家の曲を使うって考えられないでしょう。それが出来た時代だから。
―松村先生のお弟子さんですから、伊福部先生の孫弟子に当たりますね。
吉松 でも全然音が違うでしょう。
―音や響きは違いますが、例えば先生の交響曲第2番「地球にて」の最後の方など、伊福部作品みたいと感じます。
吉松 あの頃、冨田勲さんの「新日本紀行」みたいな日本的なものを気に入っていたんですけど、冨田さんは平尾喜四男さんについていてフランス系なんです。だから同じ香りがするのかも知れません。
実際、伊福部さん松村さんの神様はラヴェルなんです。音からは想像できないんだけど、スコアを見ると、ラヴェルネタが実に多くて、それに気付いたときは、結構ショックでした。ただ、ラヴェルはチリチリと細かい音型で水晶時計のような繊細な響きを作るんですけど、伊福部さん松村さんが書くとドロドロドロっとアジア的な音がする。響きに対する根本的な何かが違うような気がする。
だからオーケストラでも、例えばロシアでは伊福部さん芥川さんの曲は良いと言われるけど、武満さんの曲はわからない。逆に、フランスのオケは武満さんのサウンドはラヴェルやメシアンに近いからわかるんだけど、たぶん伊福部さんはわからないだろうね。
日本人だったら、ああゴジラの…と知っているから、その美学というか描く方向がわかっているけど、それを知らない人が伊福部さんの曲を聴いたら、ただシンプルに書いていると思われるんじゃないかと。スコアを見るとものすごくみっちりと書いてあるのに、音だけ聴くとただ何か一本線で書いてあるような感じに聞こえる。
―伊福部先生の「管絃楽法」で勉強されたのですよね。
吉松 伊福部さんの若い頃は、ゴジラの作曲家と言われるのを嫌がってたそうですけど、ある時から積極的に受け入れるようになった。それこそ僕が現代音楽撲滅と言っていた頃は、伊福部さんの音楽は完全無視されていたんですよ。だけどやっぱり伊福部さんの音楽って、演奏会をやったりCD出すと売れるものだから、ファンは途切れずにいたんだろうな。 そんな中で「管絃楽法」という本だけは聖書みたいな存在だったわけです。
―伊福部先生の管絃楽法の絃の字は・・・
吉松 あれは雅楽の絃の字なんですよ。僕は高校の時に、読んだあの本の影響でコンクールで最初に出した時に表紙で落とされた。普通、ドイツ語とかフランス語で書くのに、日本語で「管絃楽のための」と書いちゃったものだから。
―今だったらそっちの方が恰好いいのにと思いますね。
吉松 僕もそう思いますよ。
―先生の作品の曲名は特徴的なものが多いのですが、どのようにして決まるのですか。
吉松 16~7 歳の頃から「タイトルノート」というのを作っていたんです。科学用語や鳥の名前、星の名前など音楽的なイメージを刺激する言葉をとにかく収集していました。それをシャッフルして組合せ、タイトルを作っていました。どれとどれを使おうかというのは思い付きですね。イメージがわかるようなわからないような、そんなポジションが、曲を作っていて一番面白いと思うのです。
「朱鷺に寄せる哀歌」や「オリオンマシーン」は、いつか使おうと思って取っておきました。さらに、そうやって生まれた曲が孤立しないように、必ず「これは鳥のシリーズのここだ」とか「動物のシリーズのここだ」という風に、全ての作品がはまるように考えていたんです。今でもそのノートはあります。
―「星」と「鳥」と「動物」ですね。
吉松 最初が星で、そこからだんだん下がっていって、星~天使~鳥~動物~人間~大地、というグレードで順番に作っていったのです。鳥のシリーズを始めたときにデビューして、その頃たくさん書いたので「鳥」関係の曲が多くなってしまいましたが。確かに一番イメージが作りやすいですね。
―鳥というのは、ご自分のことを重ね合わせているのですか。
吉松 いろいろあります。日本人は白い鳥を見ると魂みたいなイメージがあるでしょう。だから最初に「朱鷺に寄せる哀歌」を書いた時は淡く儚い透明な鳥のイメージでした。でも「デジタルバード」という室内楽曲を書いた時は、バッグス・バニーというアニメに、砂漠を高速で走るニワトリがいて、あの動きが面白くてプレストで鳥の曲を書けないかと思ったのです。
でも、おかげでその後、白いきれいな鳥という発想と、漫画みたいなポップな鳥という発想を合体させるのに相当苦労しました。アレグロとレントの両方を技術的に鳥で表現できるようになったのが「鳥たちの時代」という曲で、そこから様々な早さと性格の楽章を全部合体出来るようになったら、シンフォニーにしようと思っていました。
まさに、卵がヒナになり、翼を広げるまでの自分自身が成長する過程ですね。
―鳥もいろいろな種類がありますよね。ダチョウから、ハチドリまで…。
吉松 そうですね。最初の交響曲の「カムイチカプ」というのは、シマフクロウという大きな鳥のことなんです。一方「チカプ」という曲は小さな鳥が群れているイメージで、当然ながら鳴き方や飛び方から翼の動かし方まで持っているテンポが違うんですよ。鳥を核にしてプレストからレントまでの振幅が表現できるというのは、面白いと思います。
「朱鷺に寄せる哀歌」が最初に再演されたのはメキシコだったんですよ。で、朱鷺はどういうものかと聞かれ、大きな鳥で・・と答えたら、ああ、コンドルねと言われて。彼らにとっては死にかけた人の上をコンドルが飛んでいるっていうイメージなんです。音のセンスは国によっても文化によっても全然違う。
日本でも、新潟には昔は朱鷺がたくさんいて、田んぼにいると追い払う「鳥追い唄」があるぐらいだった。でも朱鷺に寄せる哀歌を書いた時には、絶滅しそうでかわいそう、という感覚。これも時代かなあと。
―若い頃に書かれた作品に、思い入れはおありですか?
吉松 若い頃の曲を聴くと、むかし書いたラブレターを人前で読まれてしまうみたいな、そういう感じがあります。「朱鷺に寄せる哀歌」なんかは、なんだかピュアすぎて聴いていてどこか恥ずかしいです。
―とても良い曲だと思うのですが。
吉松 むかし書いた曲は、今だったらこうするのに、と書き直したくなる気持ちと、よくこんなのを書いたよな、と呆れる気持ちと両方あります。でも、そのときの若い自分は一生懸命やってたんだから、後になって手を加えてしまうのは悪いなという気がします。
―ブルックナーのように何度も改訂している人もいますね。
吉松 気持ちは分かるんですけど、それを始めると収拾つかなくなってしまう。一旦作品が世に出たら聴き手の気持ちも加わりますし。シベリウスのヴァイオリン協奏曲や交響曲第5番で、本人が世に出すなと言っていた原典版が最近聴けるようになったけど、面白い部分もあるし、これは書き直したかったんだろうなっていう部分もある。でも、聴き手としては複雑ですね。
僕も書き直すことはありますよ。でも、CDになって出版もされてしまったら、いくら作曲者でも勝手に書き直せないじゃないですか。あ、でも「鳥のシンフォニア」はまだCDになってないから書き直せるかな。
―先生の作品にはジャズ、ロック、アニメなどが出ていますね。
吉松 最近「ファイナルファンタジー」の音楽を書かれた植松伸夫さんとお話ししたときに、僕は最初に惹かれた曲がベートーヴェンの「運命」で、これがきっかけでクラシックの作曲家になろうと決めたという話をしたんです。で、その後に惹かれた曲はと聞かれ、ビル・エバンスのピアノの音が良くてと答えたら、じゃあジャズをやられたんですかと言う。いや、学生の頃はプログレッシブ・ロックをやっていてと答えたら、ずいぶん雑食ですねと言われてしまいました。でも僕の中では、それが同じ線の中にあったんですよね。
―多くの管弦楽作品を藤岡幸夫さんが振っていて、信頼関係がおありと思いますが、いろいろな指揮者に振ってもらいたいというお考えはありますか。
吉松 それはあります。出来れば生きているうちに。楽譜だけじゃ伝わらないことって多いですから。僕が指揮者にいつも言うのは「楽譜通りにきれいにやるな」ということなんです。そう言うと、誤解されそうですが、要するに、楽譜に書いてある音を均質に間違いなく弾くだけなら機械でも出来る。盛り上がるところとか、ロックンロールみたいなところとか、楽譜には書きようがないものを表現するのが人間でしょう。楽譜に書いてあることしか演奏しない、というんじゃ音楽にならない。そこでまず喧嘩するんです。
例えばクラシックのオケはAllegroを、「安全に走れる最大限のスピード」と捉えている。でも僕は、安全でなく空中分解ギリギリでも良いから、アクセルを踏み込んで欲しいと思うんです。きれいで安全なそんな演奏を聴きたい訳じゃない。そう言うと、アインザッツが合っていないような演奏を録音したり人に聴かせられないと言われるんですけど、作曲家の最終権限でやってもらっちゃうんです。おかげで凄く険悪な状況になったこと一度や二度じゃありません。
でも僕が死んだ後、またゼロから丁寧に弾かれちゃうんだろうな、とは思いますね。1 回それで喧嘩して、あいつはそういう演奏を前提にして書いているんだなというのがわかって初めて伝わるわけでしょう。
―藤岡さんはわかっておられるのですね。
吉松 彼は僕がどこで怒るか知っているから。例えば、AllegroMoltoって書いてあるのに、安全運転のスピードで演奏したり、ホルンやトランペットで音が出にくい高い音をピッコロトランペットとかを隠し持ってきれいに吹いちゃうと、怒るんです。出せない音を必死になって顔真っ赤にして吹くのが欲しくてわざわざ高い音を書いているのに。きれいに吹いちゃったら全然ぶち壊しだろう、と。まあ、困った作曲家だな、とは思ってるんでしょうけど。だから、そういうポイントで怒るのを知っていると、そういうもんだというのが伝わる。伝わってないと、楽譜に書いてあることを全てきれいに演奏するだけの中身の無い音楽になっちゃうでしょう。
―なるほどそれで金管楽器はきついのですね。
吉松 僕の作品は金管がきついので、イギリスでCD録音したときは「ヨシマツシフト」とか言って倍管使っていたんですよね。ホルン6 パートなら 12 本、トランペット 3 パートなら 6本。ティンパニも2人いました。
特にホルンには評判悪くて、「ヨシマツさん、管楽器は息をしないと吹けないんです。知ってますか?」とか「こんな高い音ホントは出せないんです、やめてください」とか、いつも言われてました。でも金管は、当たり前に吹ける音域を当たり前に使うと緊張感がなさ過ぎてダメなんです。それで演奏者にはきついんですけど、ちょっと高めの音でピークを作ってもらう。ところがある時、「あれ、随分上手く吹けてるな」と思ったら、ピッコロトランペット隠し持ってる。
サキソフォンやフルートなど管楽器の曲を書くと、初演の時は必ずと言っていいほど「これは絶対吹けない」とお墨付きもらうんですが、15年くらいたつと普通にコンクールなどで学生が吹くようになる。だから「吹けない」って言われても、気にしちゃダメですね。チャイコフスキーだってラフマニノフだって、当時は人間が弾けるとは思われなかったのに、今は普通に学生が弾くでしょ。
左手のピアニストになられた舘野泉さんにも、最初は凄く難しい曲を書いてしまったんです。でも、「これは弾けない」と言われて「じゃあ書き直しましょうか」と言ったら「いいです」。それで百回くらい弾いていたら弾けるようになって「いやあ、良いリハビリになった」と言われました。人間の能力に限界はないんですね。
―アインザッツを合わせないような指揮がよいのでしょうか。
吉松 そういうわけではないんですけど、どこまで内容に迫っているかですよね。プロだと3日間とか1週間とかで本番やるけれども、アマチュアだと半年とか1年とかずっと同じ曲を延々と練習して、もう見ないで弾けるくらいだけど、じゃあちゃんと弾けているかというとそういうわけではない。でも、完璧に弾けて音が合っているというだけではない音楽が存在する。ショスタコーヴィチやブルックナーなんかは特にそう感じますね。
だから、僕が「練習見てください」と言われた時に一番言うのは、「楽譜通り弾くな」ということなんです。「選りに選って作曲家がそんなこと言うなんて」と驚かれますが、必ず言いますね。「なんで楽譜通り弾いてるんですか」って。
―とても共感できます。
吉松 問題は、それをどう取るかですよ。でたらめ弾いていいよって言うことじゃない。要するに楽譜に固執するあまり、ここで何をやりたいのかっていう音楽の本体が飛んでしまっている場合が多いわけです。
例えばドレミファソラシドっていうフレーズが楽譜に書いてあったとしても、ドのベロシティ(強弱を表す数値)が 1.0 だとしたら、レは 0.9、ミは 4.3 というように楽譜に書けない暗黙のイントネーションが楽派や作曲家によってあるんです。それを「楽譜にそう書いてある(そうとしか書いていない)から」という理由で均一に演奏してしまったら、スウィングもグルーヴも何にもなくなっちゃう。
そういうことは、どう説明しても分からないというレベルのこともあるけれど、意外と作曲家のひとことで「あ、そうか」と分かることもあるんです。だから作曲家の言葉は聞いた方がいい。言うことを聞くかどうかは別としてね。
―私たちは現役の作曲家の作品を演奏したいのです。
吉松 ええ、なるべく生きてる間にやったほうがいいですよ。例えば武満さんのスコアでは、3連符と5連と7連のパッセージが同時に出て来たりするんです。それをリハーサルで、3連の2拍目と5連の3拍目ではどっちが先に出るべきか、なんて計算してずーっと何時間も練習してたら、武満さんが現れて「ああ、こんなの合わなくていいんですよ」と一言言っておしまいになったんですって。要するにあれは「縦の線に合わせない」という前提で書いてあるわけで、ぴったり 1/5、1/7 のところに音を出して欲しいということではない。でも、そんなこと楽譜からだけでは分からないですよ。どんな綿密に書かれた楽譜も、音楽をすべて伝えることは出来ませんから。
―楽譜は世界共通の記号になっていますけど、時代によっても想いも違うでしょうし。作曲家によっても違うでしょうね。
吉松 例えば、文字で「われわれはうちゅうじんだ」って書いてあったら、僕らは「我々は宇宙人だ」って自然にアクセントを普通に付けて読むでしょ。だけど日本語を全然知らない人が読むと「ワレワレハウチュウジンダ」になる。書かれた文字(音符)はちゃんと再現しているけど、意味(音楽)は伝えていない。音楽も言語もどこにアクセントがついて、どこにイントネーションが付くっていうのは暗黙のうちにあるわけです。バッハにはバッハの、武満さんには武満さんのがあるわけ。だからその作曲家のイントネーションとか、それこそボキャブラリーとか、身に纏っているモノを聞き取り理解して欲しいですよね。それによって世界が全然変わることもあると思うしね。
―先生に練習に来ていただける日を楽しみにしています。
吉松 「楽譜通り弾くな」って最初に言おうかな。
2016年8月21日
聴き手・構成:大原久子(ホルン)