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チャイコフスキー: 幻想序曲「ロメオとジュリエット」

中島 甲人(クラリネット)


 シェイクスピアを初めて読んだのは、19歳の夏のこと。冷房がよく効いた大学の図書館で、森永のビターチョコレートをぼりぼりと食べながら読んだのが、シェイクスピアとの出逢いであった。(記憶が鮮明なのは、チョコレートで本を汚してしまい、その罪を司書さんに告白したからである。ちょっぴり、叱られた。)
 聴衆の皆様には、楽曲の音楽的理解だけでなく、とある19歳の日本人青年がそうであったように、シェイクスピアが紡いだ言葉の世界を堪能して頂きたく、譜例と共に、そのあらすじをご紹介したいと思う。

「ロメオとジュリエット」のあらすじ
 舞台は、イタリア、花の都ヴェローナ。モンタギュー家の一人息子ロメオは、愛するロザラインへの恋が叶わず、思い詰めている。そんな彼を哀れみ、ロメオの友人であるベンヴォーリオは、他の美しい人を見ることを勧め、キャピュレット家の仮面舞踏会にロメオを誘う。  それが、天運の始まりであった。キャピュレット家に到着し、ロメオはひとりの佳人に出逢う。名は、ジュリエット。ロメオは、ジュリエットを一目見た時には、もう、昔のロメオではなかった。

  “ ああ、あの人の美しさで、松明はさらに明るく燃えている!
   ほかの女に立ち交じっているその姿は、純白の鳩がカラスの群れに舞い降りたよう。”

 ロザラインへの恋が、本当の恋ではなかったように、ジュリエットの美しさに心奪われたロメオは、舞踏会が終わったのを見計らって、彼女に近づき、その前に跪くと、愛の言葉を囁き、唇をそっとジュリエットの頬に置いたのであった。  しかし、彼らの恋には残酷な運命が待ち構えていた。彼らの生家であるモンタギュー家とキャピュレット家はヴェローナを二分する宿敵であったのである。

  “ 私のただひとつの恋が、ただひとつの憎しみから生まれるなんて。
   この世に産声を上げたときから、この恋は許されるものではなかったのね。”

 ロメオは、嘆いた。その運命を呪った。そして、決心をした。生家が宿敵同士であろうと、私の心は、ジュリエットに捧げるのだ。敵の家だとて、構うものか。ロメオは、キャピュレット家の高い石垣をひらりと越えて、庭の茂みを進むと、二階の窓から柔らかい光が漏れているのを見つけた。それは、バルコニーに佇む、ジュリエットその人であった。

  “ おお、ロメオ、ロメオ、どうしてあなたはロメオなの?
   憎い敵はあなたの名前だけ。名前になんの意味があるというの?
   ロメオ、どうか、その名前だけを捨てて。
   その名の代わりに、わたしのすべてを受け取って。”

 チャイコフスキーの曲は、ここからはじまる。ああ、憎い。バルコニーのシーンを書かないなんて。しかし、名曲であるのは、変わらない。ここからは、譜例も共に紹介したい。

 バルコニー越しに、愛を誓い合ったロメオとジュリエット。ロメオはすぐさま修道僧ロレンスの元に足を運ぶと、結婚をさせてほしいと嘆願する。

 修道僧ロレンスは、ロザラインを愛していたロメオの恋の心変わりに驚きながらも、長らく続いた両家の確執が、彼らの結婚によって愛に変わるかもしれないと考え、結婚することを認め、人知れず、式を挙げたのであった。  式を挙げ、ふたりの愛は深くなったが、両家の確執も、また深かった。ロメオは式が行われたその日の内に、両家の争いに巻き込まれてしまう。

 争いは激しさを増し、(管楽器による強い打音は剣が交わる音を表している。)とうとうロメオはジュリエットのいとこであるティボルトを殺害してしまい、ヴェローナを追放されることとなる。
 そんな悲劇が起きれども、ロメオとジュリエットの愛は変わらない。追放される前夜に、ふたりは忍び逢い、お互いの愛を確かめながら、その不運を嘆くのであった。

  “ 夜よ、どうか明けないでおくれ。
   朝になれば、私は行かねばならない。
   ああ、光が。あれは、太陽がもたらす妬み深い光だ。
   立ち去って生きるべきか、留まって死ぬべきか。”
  “ いいえ、違う。あの明るさは太陽のものではないわ、絶対に。
   だからそばにいて。”
  “ 君がそう言うならば、喜んで死のう。死よ、来るがいい!”
  “ でも、駄目、ああ行って、もう明るくなってしまう。朝が来てしまった。”
  “明るくなればなるほど、僕らの心は暗くなる。”

 愛し合いながらも、引き裂かれてしまったふたり。修道僧ロレンスは、そんなふたりのために一計を案じる。それは、42時間だけ仮死状態となる薬をジュリエットに飲ませて、葬儀を行った後に仮死状態から蘇生をして、ロメオのもとに出奔させるという計画であった。
 不安を感じながらも、仮死薬を飲み、その鼓動が止まったジュリエット。その死を知り、キャピュレット家の人々は、悲嘆に暮れ、早すぎる死を運んだ死神への怒りを口々に叫んだ。ただひとり、その真意を知っている、ロレンスを除いては。
 静かな夜。厳粛な葬儀が行われ、ジュリエットは美しい花に囲まれた墓に横たわっている。そこに1人の男が訪れた。ロメオである。ロメオは驚き、嘆き、嗚咽し、絶望した。なぜか。ロメオは、ロレンスの計画を知らなかったのである。不幸にも計画を知らせる届けが、行き違って届かなかったのである。もう、愛するジュリエットは、この世にいない。ジュリエットが本当に死んでしまったと思い込んだロメオは、この世にいる理由はないと、毒薬が入った杯を飲み干し、その命に自ら終止符を打つ。(各主題が交錯し、音楽は激しくなり、叫びとも言えるような鋭い一音が、ロメオの死を表している。)

  “ああ、恋人よ、私の妻よ。
   息の根を吸い取った死神も、君の美しさには勝てないのだ。
   どうして、君はまだ美しいんだ?
   姿形をもたぬ死神は君に恋をし、君を愛人として、永遠に闇の中に囲い込もうとしているのか?
   そうはさせるものか。わたしが、いつまでも君のそばにいよう。
   薬屋よ、お前を信用していいな。愛するジュリエットのために。
   ああ、こうして口づけをしながら、私は死ぬ。”

 時は、残酷なり。ジュリエットは、起きた。ロメオが死んだあとに。愛とは、死か。それとも、死とは、愛なのか。ロメオと同じく、愛する人を失ったジュリエットは、静かに短剣を胸に突き立てるのであった。(ティンパニの一音が、ジュリエットの死を表している。)

  “ 愛する人の手に握られた、この杯。この毒が、愛する人の死を招いたのだわ。
   ああ、意地悪、すっかり飲み干して、一滴も残してくれなかったのね。
   その唇にキスを。まだすこし、付いているかもしれない。
   あれは人の声? 急がないといけない!
   ああ、嬉しい、ロメオの短剣がここに。
   あなたの鞘は、わたしの胸。
   ここで錆びついて、わたしを死なせて”

 曲は落ち着き、心臓の鼓動のようなティンパニの打音から、葬送行進曲が始まる。弦楽器による第二主題が憂いを帯びながら響き渡り、管楽器がコラールのような天上の音楽を演奏して、曲は終りを迎える。

 以上が、あらすじと、簡単な譜例を用いた楽曲解説である。ここで、ひとつ疑問がある。ジュリエットが死に、葬送行進曲が流れ、天国の調べのような美しい曲想が流れる。天に召されたふたりは、結ばれたのだろうか。それとも……

 音楽は、言葉がないのが幸せである。その結末は聴衆の皆様のご想像に任せたい。

初  演: 1870年3月4日、ニコライ・ルービンシュテイン

指揮ロシア音楽協会モスクワ支部第8回交響楽演奏会にて(ただし初稿版)

楽器編成: ピッコロ、フルート2、オーボエ2、コールアングレ、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、シンバル、大太鼓、ハープ、弦五部

参考文献: シェイクスピア(松岡和子訳)『ロミオとジュリエット』ちくま文庫 1996年
川端康成『川端康成全集第19巻』新潮社 1999年
松岡和子『深読みシェイクスピア』新潮社 2011年
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