ホルスト:組曲「惑星」
イギリスの作曲家グスターヴ・ホルストの代表作。
イギリス音楽ではあるが、その枠を超えて広く親しまれている作品である。それは親しみやすい旋律と大編成オーケストラによる変化に富んだ曲想、そしてタイトルのユニークさによるものであろう。『惑星』という曲名に超自然的なイメージを膨らませる人もいるのではないだろうか。
初演時には広く聴衆に受け入れられたこの曲も、同時代の革新的な作品(例えばドビュッシー『海』やストラヴィンスキー『春の祭典』など)と比較され芸術的価値が低いと見なされたためか、しばらくはイギリス音楽の一代表作と認識されていたにすぎなかった。今日の高い知名度は1961年頃にヘルベルト・フォン・カラヤンが演奏会で取り上げレコーディングも行ったことがきっかけだと言われている。
■ホルストについて
ホルスト(Gustav Theodore von Holst 1874年9月21日生-1934年5月25日没)は、イングランドのグロスターシャー州チェルトナム(イギリスの保養地として知られている。)で生まれ、ロンドン王立音楽院で学んだ。オーケストラのトロンボーン奏者だったこともある。学生時代に同郷の作曲家ヴォーン・ウィリアムズと親交を深め、それは生涯を通じて続いた。1905年から亡くなるまでロンドン近郊にあるセントポール女学校の音楽教師を務めるなどの教育活動に時間を割いていたので、作曲はもっぱら週末であったようだ。愛娘イモージェン・ホルスト(1907-1984 作曲家、指揮者、音楽評論家)によると「日曜日にピクニックに行く感覚でサンドイッチを持って一緒に出かけ、学校の音楽室で作曲を行っていた」そうだ。
またホルストは好奇心の旺盛な人間だったようで、民謡に興味を持ち、これが彼の作品に影響を与えていることは否めない。また言葉と音楽の一体化(中世の詩などを用いた合唱曲)にも取り組み、インド哲学やサンスクリット(梵語)にも興味を持った。これが占星術、天文学へもつながっているのだろう。社会主義にも関心を持ち、ハマースミス社会主義聖歌隊の指揮者になったことが伴侶イザベル・ハリソンとの出会いのきっかけとなったそうだ。これらの好奇心からいろいろと吸収したものが『惑星』にも凝縮されているような気がする。
■ホルストの作品と惑星の作曲
ホルストの作品は旋律の美しさが特徴だと思う。
ここに力強さ、色彩感などが加わり音楽の魅力を高めている。そしてどのような編成(大オーケストラ、合唱曲など)でも音楽が非常に明確である。
『惑星』にもこの魅力は詰まっているが、他の作品からよりはっきりとホルストの魅力は感じられる。『吹奏楽のための第1組曲・第2組曲』『セントポール組曲』は今や演奏会の主要なレパートリーとなっているし、他にも『サマセット狂詩曲』『ムーアサイド組曲』『ハマースミス』『ブルック・グリーン組曲』(弦楽合奏のとても美しい曲)などの魅力的な作品がある。ちょっとユニークなところでは日本のダンサーから委嘱された『日本組曲』という作品。海外から見た日本をイメージした感じ(和楽器などを用いているわけではないが)で五木の子守唄などを取り入れた魅力的な作品だ(作品番号32、惑星と同時期の作曲)。作品数は他の作曲家に比べて決して多くないかもしれないが、『惑星』以外の作品にもホルストの素敵な世界が広がっており、この機会に耳を傾けて頂くのも良いかもしれない。
さて本日演奏する組曲『惑星』であるが、ホルストが作曲に取りかかる前の1913年頃に興味を持った占星術がきっかけになっている。19世紀の占星術家アラン・レオの影響を強く受けたそうだ。レオの占星術マニュアル「統合の技法」にある各惑星のタイトルがホルストのそれと共通している。このタイトルはローマ神話の神とも共通する部分はあるが天王星と海王星は内容に相違がある(天王星=ウラノス=天空神≠魔術師、海王星=ネプチューン=海神≠神秘)。
しかしホルスト自身は初演時に「この作品は表題音楽ではなく、神話の神とも関係ない。手引きとしては各曲のサブタイトルが広義に解釈されれば充分」と言っている。占星術との関係とこの発言の意図するところはどういうことだろうか。おそらくインスピレーションはもらったが、そこから曲に対するイメージをぐっと広げていったということではないだろうか。「戦い~」「平和~」「快楽~」などに対して…。「木星が快楽、喜びを表すだけではなく人間の祝祭にもつながり、土星は老いてしかし高みに到達すること」などホルストが意図した奥深い表現が込められているような気がする。
…とまあ作曲の背景にはいろいろとあるようだが、お客様には大編成オーケストラによる音の饗宴を聴いたままにお楽しみ頂ければ良いのではないかと思う。例えば火星からはスペースファンタジー映画音楽的なイメージを持たれる方もいらっしゃるかもしれないし…。
■組曲『惑星』について
1914年5月から作曲に着手、1917年頃に完成。最初は2台のピアノのために作曲された。その後オーケストレーションがなされていくが、ホルストによる指示にもとづき弟子たちにより筆記完成されている曲が多い。これはホルストが17歳で右手を神経炎に冒され筆記も困難を極めた為、回りの人に代筆をしてもらったようだ。ちなみにスウェーデン人の父親からピアノを学んでいたが、ピアニストへの道もこのために断念している。
『惑星』は4管編成の大オーケストラの作品となっており、バスフルート、バスオーボエ、テナーテューバといった特殊管楽器、チェレスタ、ハープ2本、オルガン、さらに海王星では女性合唱も加わる。なお、作曲者はスコアにバスフルートと表記しているが、実際にはアルトフルートを指している。
地球を除く7つの惑星がタイトルとなっている。ほぼ太陽に近い順になっているが火星と水星が入れ替わっているのは、西洋占星術における黄道12宮と守護惑星の関係に基づく(筆頭の牡羊座の守護惑星が火星、以下、牡牛座=金星、双子座=水星など)とも、音楽構成上の理由(始まりが急緩~)とも、あるいは戦争(第1次世界大戦)がホルストにインパクトを与えたため、とも推測されているようだ。
1. 火星~戦争をもたらす者~
Mars, the Bringer of War
「ダダダ・ダン・ダン・ダダ・ダン」という5拍子のリズムが曲を支配する。冒頭は木製マレットのティンパニ、ハープ2台、コルレーニョ(弓の木の部分で弦をたたく)奏法の弦楽器群でこのリズムが始まるが、クライマックスでは全オーケストラにより圧倒的なリズムが奏される。このリズムにのって管楽器が不気味な旋律を奏でる。リズムが変わりテナーテューバによる軍神ラッパ風旋律(トランペットが受け応える)が印象的。第1次世界大戦開戦を暗示させる音楽とも言える。
2. 金星~平和をもたらす者~
Venus, the Bringer of Peace
曲は一転、動から静へ別世界となる。編成も小さくホルン以外の金管楽器は沈黙する。冒頭はホルンの旋律と木管楽器の和音により美しい世界が創出され、ヴァイオリン・ソロが愛の女神を象徴するかのような旋律を奏でる。組曲の中で最も美しい作品である。小編成ながらもチェレスタとハープ2本が有効に使われ、音のイメージの広がりが感じられる。
3. 水星~翼をもった使者~
Mercury, the Winged Messenger
スケルツォ風の作品。8分の6拍子の中に各楽器が交互にパッセージを奏しつなげていく。翼の生えた天使が縦横無尽に飛び跳ねる姿を彷彿とさせる軽快な曲。(占星術では「神の翼あるメッセンジャー」と位置付けられ火星と金星の間を繋ぐ役割だそうだ。)ここでもチェレスタが効果的に使用されている。オーケストラの腕の見せ所とも言える作品(言い換えれば難曲?)である。組曲中最後に作曲された。
4. 木星~快楽をもたらす者~
Jupiter, the Bringer of Jollity
組曲の中で一番有名な作品。序奏と3つの舞曲・旋律で構成されるが、ホルンが各旋律で中心となっている。弦楽器の細かい音にのったシンコペーションの序奏に続き躍動感あふれる旋律がリズム隊に乗って奏され、3拍子となり1拍目の和音にのって快楽的な音楽、そしてAndante maestosoの壮麗な旋律へと続く。再現部でこれらが繰り返されて高揚のうちに曲が終わる。中間部Andante maestosoの旋律はホルスト自身により「I Vow to Thee, MyCountory(私は祖国に誓う)」という歌曲としても編曲されており、故ダイアナ元皇太子妃の葬儀でも歌われた。また日本の歌手・平原綾香が「Jupiter」としてリリース、大ヒットとなった。
5. 土星~老いをもたらす者~
Saturn, the Bringer of Old Age
組曲の中で最も演奏時間が長い作品(約10分)。タイトルと冒頭の印象から地味なイメージだが、ダイナミックスや曲想の変化がとても大きく、木星とともに組曲の中核を成す作品といえる。冒頭はフルートとハープのシンコペーション和音にのりコントラバスが老境を感じさせる旋律を奏する。低弦のピッツィカートにのった金管楽器のコラールがゆっくりとしかし力強い歩みを感じさせる。最後は老いて高みに到達するような恍惚感に溢れる美しいエンディング。何かをやり遂げた境地だろうか。この惑星に突入して燃え尽きたカッシーニのように…。ホルストが組曲中で最も愛着を持った作品とも言われている。
6. 天王星~魔術師~ Uranus, the Magician
個性的な作品が並ぶ組曲『惑星』の中でも強烈な個性を持つのがこの天王星ではないだろうか。冒頭ソ(G)、ミ♭(Es=S)、ラ(A)、シ(H)の4つの音がトロンボーン群に呈示され、さらにティンパニに含まれるファ(F=V)を加えて、ホルストの名前(Gustav-- Holst)を表すという説もあるようです。ホルストのホロスコープ(占星術の星図)が天王星を暗示しているとも。ファゴットに始まる怪しいリズムが盛り上がり、ホルン、木管楽器、弦楽器が諧謔的な旋律を恥ずかしげもなく強奏、そして冒頭トロンボーンの4音による速いリズムがヴィオラ、木管楽器、ハープなどに出てマーチが奏されるが、オルガンのグリッサンドという珍しい終止を迎え、金管楽器の和音のあと静かに曲が終わる。フランス作曲家デュカスの『魔法使いの弟子』とともに魔術を描いた代表作である。
7. 海王星~神秘なる者~ Neptune, the Mystic
この組曲が作られた時に太陽系で最も遠い惑星であった海王星。神秘性をたたえ曲も和声構成を含め幻想的イメージである。フルートを中心とした木管楽器群が神秘の世界へ導く。金管楽器のコラールにのったチェレスタ、ハープ、高弦のアルペジオが印象的。そしてチェロから木管楽器に引き継がれるパッセージに導かれるように舞台外の女性合唱が加わる。クラリネットからヴァイオリンへ旋律が引き継がれ、女性合唱のヴォカリーズ(歌詞のない歌唱法)の中、神秘性を湛えたまま静かに曲は終わる。
『惑星』が作曲された後の1930年に太陽系9番目の惑星・冥王星が発見された。ホルスト自身も晩年に冥王星の作曲に取り掛かったようだが病のために実現しなかったそうだ。その後イギリス作曲家コリン・マシューズが『冥王星、再生する者』を作曲、冥王星付の惑星が普及していくこととなる。新響も前回『惑星』を演奏した第172回演奏会(2001年1月)でこの冥王星付の演奏を検討した(実際は冥王星抜きのホルストのオリジナルで演奏)。そして、その後2006年の国際天文学連合総会で冥王星が準惑星に降格?されてしまったので、今ではホルストの作品が実際の惑星と一致することとなった。時代の変化を感じさせる。余談だが新響の前回本番当日が大雪で交通もズタズタだったにも関わらず、900人以上のお客様にご来場頂いたのは感謝感激であった。今回も(前半の邦人作品ともども)大勢のお客様に音楽をお楽しみ頂ければこの上ない喜びである。
初 演:
1918年9月29日、エイドリアン・ボールト指揮
ニュー・クイーンズ・ホール管弦楽団(試演・全曲)
1919年2月27日、エイドリアン・ボールト指揮
ニュー・クイーンズ・ホール管弦楽団(金星、海王星を除く5曲のみ)
1919年12月22日、グスターヴ・ホルスト指揮(金星、水星、木星の3曲のみ)
1920年11月15日、アルバート・コーツ指揮 ロンドン交響楽団(全曲)
楽器編成: フルート4(3番はピッコロ、4番はピッコロとバスフルート持ち替え)、オーボエ3(3番はバスオーボエ持ち替え)、コールアングレ、クラリネット3、バスクラリネット、ファゴット3、コントラファゴット、ホルン6、トランペット4、トロンボーン3、テナーテューバ、バステューバ、ティンパニ(奏者2人)、小太鼓、大太鼓、シンバル、トライアングル、タンブリン、タムタム、鐘(テューブラーベル)、木琴、グロッケンシュピール、チェレスタ、ハープ2、オルガン、女性合唱(6声部で2群に分かれる。舞台裏)、弦五部
参考文献
マイケル・トレンド(木邨和彦訳)『イギリス音楽の復興 音の詩人たち、エルガーからブリテンへ』旺史社 2003年
山尾敦史『ビートルズに負けない近代・現代英国音楽入門』音楽之友社 1998年
ニコラス・キャンピオン(鏡リュウジ監訳 宇佐和通・水野友美子訳)『世界史と西洋占星術』柏書房 2012年
鏡リュウジ『占星術の文化誌』原書房 2017年
『(ミニチュアスコア)OGT232 ホルスト組曲「惑星」』音楽之友社 2000年
『最新名曲解説全集 第6巻 管弦楽曲Ⅲ』音楽之友社 1980年
『クラシック名曲ガイド② 管弦楽曲』音楽之友社 1994年
岸辺成雄編『音楽大事典 5 へ~ワ』平凡社 1983年