レスピーギ:交響詩「ローマの噴水」
イタリアの作曲家レスピーギの代表作といえば、ローマの風物や行事を題材にした3つの交響詩「ローマの噴水」(1916)、「ローマの松」(1924)、「ローマの祭り」(1928)があげられる。「ローマの噴水」は、一般的に「ローマ三部作」と呼ばれるこれらの3つの交響詩シリーズの第1作目にあたる。
レスピーギは1913年にローマのサンタ・チェチーリア音楽院の作曲科教授となり、ローマに移住した。ローマの風物はレスピーギの心を強くとらえ、1916年にまず「ローマの噴水」を書きはじめ、同年秋に完成した。スコア冒頭の作曲家自身による序文には次のような説明がある。
ローマの4つの噴水で、その特徴が周囲の風物と最もよく調和している時刻、あるいは眺める人にとってその美しさが、最も印象深く出る時刻に注目して受けた感情と幻想に、表現を与えようとした。
ローマを歩くと噴水や給水場の多さに驚くが、その起源をたどると古代ローマ帝国までさかのぼる。「すべての道はローマに通ず」ということわざは有名だが、ローマ人の真の偉大さはインフラの整備にあった。それは街道をはじめ、上下水道、城壁、各種の公共建築(広場、劇場、円形闘技場、競技場、公共浴場)など、多岐にわたっている。
レスピーギのローマ三部作は、かつてのローマ帝国の輝かしい栄光を音楽で綴ったようにも思える。「ローマの噴水」では水道の終着点である噴水を、「ローマの祭り」では巨大な円形競技場や広場を、そして「ローマの松」では街道の女王と呼ばれたアッピア街道を取り上げている。その根幹をなしているのは392年にローマ帝国の正式な国教となったキリスト教で、三部作の随所に聖歌や鐘の音を聴くことができる。
「ローマの噴水」では作曲者の序文にあるように、数あるローマの噴水の中から4つを選び、夜明けから夕暮れまでの情景を音楽で描写している。そしてこの4つの情景は途切れることなく、続けて演奏される。
ちなみに第1曲の舞台となったジュリア谷を出発点として、第4曲のメディチ荘の噴水まで、ローマの旧市街を時計回りに歩いて巡ることができる。実際に歩いてみると作曲者の選んだ情景と時刻とが、まことに絶妙な組み合わせであることに驚かされる。これからレスピーギが選んだ4つの噴水を巡ってみよう。
なお各楽章には作曲家自身による詳細な序文が記されているので、それぞれの解説の冒頭に記しておく。
第1曲「夜明けのジュリア谷の噴水」
交響詩の第1曲はジュリア谷の噴水から霊感を受けたもので、牛の群れが過ぎ去り、ローマの夜明けにたちこめた霧の中に消えてゆくという、牧歌的な情景を描いている。
ボルゲーゼ公園の中にあるボルゲーゼ荘(現在のボルゲーゼ美術館)からパリオリの丘の間に位置するジュリア谷の噴水と夜明けの光景が表現されているが、具体的にどこの噴水かは特定されていない。まずここからローマの一日が始まる。
第2曲「朝のトリトンの噴水」
全管弦楽のトリルの上でホルンが突然フォルティッシモで鳴り響くと、第2曲の「トリトンの噴水」が始まる。その響きは喜びにあふれた叫び声のようであり、ナイヤード(水の精)とトリトン(半人半魚の海の神)が群れをなして走りより、互いに追いかけあい、水しぶきの中で放縦な踊りを踊ろうとする。
古代ローマの水道から引いた給水場や泉水をはじめ、広場や教会、建造物を含めた都市全体を劇的に変えたのは、17世紀のバロック美術の巨匠ベルニーニである。古代遺跡が残るひなびた古都ローマは、彼の手によって絢爛豪華な装飾にあふれる美の都に変貌していった。
ローマ旧市街のバルベリーニ広場にあるトリトンの噴水は、このベルニーニの作品で1643年に完成した。ギリシャ神話のポセイドンの息子であるトリトンが、4頭のイルカに支えられた大きな貝の上に乗り、空に向かって高々とほら貝を吹いている。
第3曲「昼のトレヴィの噴水」
次に管弦楽の波動の上に厳粛な旋律が現れる。これは「昼のトレヴィの噴水」である。主題は木管楽器から金管楽器へと移り、勝利に満ちてくる。ファンファーレが鳴り響く。光り輝く水面の上に、ポセイドンの馬車が海馬に引かれて、人魚とトリトンの行列を従えて通り過ぎる。この行列は、弱音器をつけたトランペットが遠くからふたたび響く間に遠ざかってゆく。
一般的にトレヴィの泉と呼ばれているこの噴水は、バルベリーニ広場からトリトン通りを経てパンテオンに向かう旧市街の中心にある。途中石畳の細い路地を抜けると、突如として視界が開け、壮大な噴水が現れる。
ヴィルゴ水道から水を引いて造られた泉水が起源で、ローマ教皇クレメンス12世により建築家ニコラ・サルヴィの設計で改造され、1762年に完成した。噴水はポーリ宮殿の壁と一体となったデザインで、中央に海馬とトリトンを従えたポセイドンが立ち、両脇に女神たちを従えている。
第4曲「黄昏のメディチ荘の噴水」
第4曲の「メディチ荘の噴水」は、もの悲しい主題で始まる。この主題は、静かな水音の上で響くかのようである。夕暮れの郷愁のひとときである。大気は晩鐘の響き、鳥のさえずり、木々のざわめきなどに満ちている。その後、すべてが夜のしじまに静かに消えてゆく。
トレヴィの噴水からスペイン広場を目指す。映画「ローマの休日」でオードリー・ヘプバーン扮するアン王女がジェラートを食べたスペイン階段の上には、二つの鐘楼を持つフランス・ゴシック様式の教会が建っており、今でもフランス人神父によるフランス語のミサが行われている。メディチ荘はその隣に位置する。高台にあるメディチ荘からはローマ市街が一望できる。また、庭園は出発地点のボルゲーゼ公園と隣接しているので、ちょうど一周したことになる。
メディチ荘は現在フランスの国有資産となっていて、在ローマ・フランス・アカデミーが1803年から使用している。それ以来、ローマ賞受賞者がここに留学し、音楽の分野では大賞を受賞したドビュッシーが1885年から1887年にかけて住んでいた。建物の表記もフランス語で書かれており、このエリア全体がローマの中のフランスといった雰囲気を醸し出している。この第4曲もレスピーギ自身が影響を受けたドビュッシーの印象主義の影響を色濃く感じる。
夜明け、朝、昼と噴水とともに過ぎて行ったローマの一日も黄昏時をむかえ、もうすぐ終わろうとしている。遠くで教会の鐘が鳴り、小鳥の歌や葉擦れの音とともに曲は静かに消えていく。
初 演:1917年3月11日、ローマ アウグステオ楽堂 アントニオ・グァルニエリ指揮による
楽器編成: フルート2、ピッコロ、オーボエ2、コールアングレ、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、トライアングル、シンバル、鉄琴、鐘、ハープ2、チェレスタ、ピアノ、オルガン(任意)、弦五部
参考文献
『ニューグローヴ世界音楽大事典』講談社 全21巻+別巻2巻 1993 ~ 95年
『最新名曲解説全集6 管弦楽曲III』音楽之友社 1980年
『ミニチュア・スコア レスピーギ 交響詩 ローマの噴水』音楽之友社 1992年
塩野七生『ローマ人の物語(10)すべての道はローマに通ず』新潮社 2001年
藤原武『ローマの道遍歴と散策─道・水道・橋─』筑摩書房 1988年