レスピーギ:交響詩「ローマの祭り」
■第1曲 「Circenses(チルチェンセス)」
猛獣どもは二日も前から食物を与えられなかったばかりか、凶暴性と飢えをいやが上にもつのらせようとする配慮から、目の前に血のしたたる肉の塊を見せびらかされていた。(中略)ネロは、クニクルム(地下道)への扉を開けと合図をした。それを見ると観衆はたちまちしずまった。獅子を入れてある場所の格子戸がきしむ音がきこえた。獅子は一頭また一頭と、大きな頭にたてがみをひるがえした淡黄色の巨体を砂場へ運んだ。そのうち、ある一頭が子供を両手にだいているひとりのキリスト教徒のそばへ寄っていった。
子供は身をふるわせて泣き叫びながら必死に父親の首にすがりついた。父親はせめて一瞬間でも命をのばしてやろうと思ったのか、子供を首から引き離して、わきにひざまずいている者たちの手に渡そうとした。ところがその叫びとその動作が、獅子をいら立たせた。突然、短い、するどい唸り声をあげたかと思うと、獅子は前足の一撃で子供を押しつぶし、父親の頭を口にくわえてまたたく間に噛みくだいてしまった。(シェンキェーヴィチ(木村彰一訳)『クオ・ワディス』岩波文庫 1995年より)
本日の最後を飾る「ローマの祭り」は、いきなり切って落とすように、古代ローマの血なまぐさい公開処刑の場面からはじまります。「チルチェンセス」は「サーカス」と同義のイタリア語で、ここでは皇帝ネロ(紀元37年~ 67年)が民衆の歓心を買うために開催した、キリスト教徒虐殺の見世物のことをいいます。数々の文学書や歴史書、映画、芝居で取り上げられている、この、世にも残虐な場面を、レスピーギはわずか4分ほどの楽曲の中で見事に描き切っています。
コロッセウムの内外で荒々しく吹き鳴らされるファンファーレ(ステージ上4人、ステージ外9人のトラッペット奏者にご注目ください)、ライオンの檻の扉がきしむ音、次第に高く裏返っていくキリスト教徒たちの聖歌の歌声、観客の熱狂。古代の情景が、音楽の力だけで生々しくよみがえります。
■時間を旅する「ローマの祭り」の構成
「ローマの祭り」は、古代から中世、近世、そして現代へと、時間を旅して4つの祭りを見物する、壮麗な歴史探訪アトラクションです。伝統的な4楽章から成る交響曲の形を受け継ぐ面もあり、それぞれに独立した主題を持つ楽曲が、急─緩─緩─急の順で配置されています。
4つの楽曲は一続きに演奏されます。そのつなぎめも見事なのですが、反面、曲の切れ間が少しわかりにくいとも言えます。また、第1曲があまりにも衝撃的で、音量も強烈なので、その後に続く音楽は幾分地味な感じがするかもしれません。
ここで眠くなってしまわないように、第2曲以降の魅力を、レスピーギ自身が書いた解説を手掛かりにして語ってまいりましょう。
■第2曲「Giubileo(五十年祭)」
巡礼者達が祈りながら、街道沿いにゆっくりやってくる。ついに、モンテ・マリオの頂上から、渇望する目と切望する魂にとって永遠の都が現れる。「ローマだ!ローマだ!」。歓喜の讃歌が突然起こり、教会はそれに答えて鐘を鳴り響かせる。
「五十年祭」は西暦1300年に始まった、ローマ・カトリック聖堂の扉が50年に一度開かれて特別な赦しが与えられる「聖年」の行事です。当初は50年に一度、その後は25年に一度となり、加えて、「特別聖年」が開催されます。最近では2015年の12月から約1年間、特別聖年により「聖年の扉」が開かれ、世界中からの巡礼者がこの扉をくぐるために長い列に並びました。
第2曲で描かれる中世の巡礼たちも、遠方からローマを目指してはるばると歩いてきたのでしょう。疲れきった歩みの足取りを伴奏にして、木管楽器が渋い音色で、古い聖歌の旋律を奏でます。
■モンテ・マリオの頂上でオルガンが鳴る
長い歩みの後に、巡礼たちはついに、ローマで一番高いモンテ・マリオの丘にたどり着きます。巡礼たちが都を一望して「ローマだ!ローマだ」と歓喜する瞬間の音楽が感動的です。伴奏はつんのめるようなシンコペーションになり、譜例2の聖歌が輝かしい長調の旋律に変容して、オルガンとトロンボーン他によって高らかに奏されます。
「ローマの祭り」でオルガンが鳴るのはほんの数か所ですが、いずれも、「ここぞ!」というクライマックスで効果的に登場します。第1曲ではキリスト教徒の最期の歌声がかき消える瞬間、第2曲でも、この「ローマだ!ローマだ!」の場面で、フットベダルで鳴らす低音を含む重厚な和音が鳴り渡ります。演奏会場と一体のパイプオルガンがうなる重低音を、たっぷりとお楽しみください。
■第3曲「L'Ottobrata(十月祭)」
ローマの諸城(カステッリ・ロマーニ)での十月祭は、葡萄で覆われ、狩りのひびき、鐘の音、愛の歌にあふれている。その内に、柔らかい夕暮れの中にロマンティックなセレナードが起ってくる。
カステッリ・ロマーニはローマから25kmほど隔たった美しい丘陵地帯にある14の町の総称で、貴族たちが城を建てた別荘地です。葡萄の名産地でもあり、神聖ローマ帝国のカール5世(1500 ~ 1558年)が、この地でワイン造りを命じました。
「十月祭」は秋の葡萄の収穫祭です。現代も、毎年10月第1週に開催される「マリーノの葡萄祭り」では、ルネサンス期の装束でパレードが行われ、「町の噴水からワインがあふれ出す」という夢のようなイベントが開催されます。
第3曲の魅力は、いかにもイタリアらしい、伸びやかで情感あふれる旋律の美しさです。鈴をつけて走る馬の軽快なリズムに乗って演奏されるヴァイオリンの旋律は、上機嫌の伊達男がとびっきり明るいテノールで歌いながら、田園風景の中を颯爽と駆ける様子をイメージさせます。
後半でソロ・ヴァイオリンとチェロが奏でる甘美なセレナードも、この曲の聴きどころです。この歌を誘い出すために、マンドリンが特別出演して、優しい愛の調べを奏でます。マンドリンの音量に寄り添う弱音のオーケストラのアンサンブルを、耳を澄ませてお聴きください。
■第4曲「La Befana(主顕祭)」
ナヴォナ広場での主顕祭の前夜。特徴あるトランペットのリズムが狂乱の喧騒を支配している。騒音はふくれあがり、次から次へと、田舎風の動機、サルタレロのカデンツァ、小屋の手回しオルガンの節、物売りの呼び声、酩酊した人の耳障りな歌声、「ローマ人のお通り!」のストルネッロ(イタリア語の都々逸のようなもの)などが流れてくる。
クラリネットの頓狂な祭囃子で始まる最後の祭りは、現代の楽しいクリスマス市です。噴水の側にメリーゴーランドが設置され、屋台で色とりどりのお菓子が売られ、バルーン売りや即興マジシャン、大道芸人が秘術を尽くすナヴォナ広場のクリスマス市は、現在も12月1日から主顕祭の1月6日まで毎日、朝から深夜まで開催されます。
■10人の打楽器による祭囃子
第4曲には数多くの魅惑的な旋律がめまぐるしく現れ、惜しげもなく消えていきます。クラリネットが吹くサルタレロのカデンツァは、「sguaiato(下品に)」と書き込まれ、既に酒気帯びです。少し後に、トロンボーンが似たような旋律を吹こうとしますが、こちらは完全に酩酊していて、断片を繰り返すのみであえなく沈没します。
いよいよ夜も更けた大詰めでは、大編成のオーケストラがfffのユニゾンで開放的な旋律を奏し、これを10人の打楽器奏者が一斉に楽器を鳴らして伴奏します。まさに「どんちゃん騒ぎ」で、この「どんちゃん」のクレッシェンドが、祭りを最高潮に導きます。
■初演はトスカニーニ&ニューヨーク・フィル
「ローマの祭り」は1929年、ニューヨークでアルトゥーロ・トスカニーニの指揮により初演され、大成功をおさめました。3部作の中で〈祭り〉だけが、イタリアではなく米国で初演されたわけです。レスピーギより12歳年上で、「劇場の魔術師」として既に世界的な名声を得ていた同郷の先輩が積極的に取り上げたことで、この曲の知名度は高まり、全世界で不動の人気を獲得しました。一方でレスピーギは、本当はこの曲を自分の指揮で初演したかったらしい、とも伝えられています。
その思いを込めてというべきか、レスピーギはスコアに、クレッシェンドや強弱、ニュアンス、テンポについて、実に細やかな指示を書き込んでいます。どんちゃん騒ぎの舞台裏には綿密な設計図があるわけです。一部には「演奏不能!」と抗議したくなる、無謀な速さの指示もみられます。
マエストロ矢崎は平然と、「本番は(練習よりも)もっとテンポを上げます!」とおっしゃっています。どこまで盛り上がるのか、新響はどこまでついていけるのか? 聴衆のみなさまも、ぜひともご一緒に盛り上がって、祭りを成功に導いてください。
初 演: 1929年2月21日、ニューヨーク・カーネギーホール アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団
楽器編成: フルート3(ピッコロ持ち替え)、オーボエ2、コールアングレ、小クラリネット、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット4、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、タンブリン、ラチェット(ガラガラ)、鈴、小太鼓、中太鼓、トライアングル、シンバル、大太鼓、シンバル付き大太鼓、タムタム、グロッケンシュピール、鐘、木琴、タヴォレッタ(板)2、ハープ、ピアノ(4手連弾)、オルガン、場外のブッキーナ(トランペット)3、マンドリン、弦五部
参考文献
門馬直美『最新名曲解説全集 管弦楽Ⅲ』音楽之友社 1980年
山田治生『トスカニーニ 大指揮者の生涯とその時代』アルファべータブックス 2009年
シェンキェーヴィチ(木村彰一訳)『クオ・ワディス』岩波文庫 1995年