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コルンゴルト:劇的序曲

庄司 響平(ヴァイオリン)

■不遇の天才
 モーツァルトの再来と謳われた後期ロマン派最後の天才は、しかし時代の波に翻弄され、失意のうちに没した。その人生を、『劇的序曲』を作曲した14歳までに重点を置き紹介したい。
 1897年5月29日、エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトはオーストリア=ハンガリー帝国のブリエン(現在のチェコ南東の都市ブルノ)で生まれ、4歳の時にウィーンに移り住んだ。帝国主義の終盤、社会情勢の混乱の中、植民地から吸い上げた富を利用して、当時のウィーンの人々は享楽的・退廃的な文化生活を愉しんだ。芸術、音楽、学問など諸分野は著しい高まりをみせ、世紀末ウィーンと称される。
 エーリヒの父、ユリウス・コルンゴルトが息子の音楽に与えた影響は計り知れない。当時有力な批評家であり前衛音楽・無調音楽などを嫌悪していたユリウスは、幼少から才能を発揮したエーリヒをそれらから徹底的に遠ざけ、慎重に育成した。エーリヒが11歳の時に作曲したバレエ音楽「雪だるま」は、師であるツェムリンスキーがオーケストレーションを担当し、1910年に初演された。楽しげなワルツの情景描写力、流暢で官能的なメロディラインは子供のそれではなく、人々はエーリヒを神童と評した。
 その一方で、あまりに子供離れした音楽により、本当はユリウスやツェムリンスキーが作曲したのではないかというゴーストライター疑惑、さらにはヴォルフガングというミドルネーム自体出来すぎでエーリヒが成長してから後付けされたのではないかという難癖まで、エーリヒは苛烈な批判や中傷にさらされた。
 これはエーリヒの才能に対する単なる嫉妬だけではなく、舌鋒鋭い批評家であった父への恨みも含まれていたのだろう。息子の才能を誰よりも大切にしていた父の負の影響は、皮肉なことにその後のエーリヒの人生に常に付きまとうことになる。
 14歳の夏休みの間、エーリヒはピアノ付きの部屋に閉じこもり、「劇的序曲」の作曲に着手した。名指揮者ニキシュの依頼によりエーリヒにとって初の管弦楽曲として作曲されたこの曲は、バイタリティーに溢れ力強く、爛熟して艶やかである。12月4日にニキシュの指揮により初演され、成功を収めた。
 代表作の一つであるオペラ「死の都」の初演は、1920年、エーリヒが23歳の時であった。大喝采で迎えられ、後期ロマン派の作曲家として確固たる名声を手にしたエーリヒであったが、この頃からユリウスとの亀裂が顕在化する。息子の成功に伴い、ユリウスの批評の関心は「対象の音楽家がエーリヒをどのように扱っているか」だけになっており、当時の音楽家たちはユリウスの批評を恐れてエーリヒの作品を度々演奏するようになった。エーリヒは自分の作品が無理解のまま演奏される屈辱と、自分の一番の支持者であったはずの敬愛する父との間で苦悩する。父との対立はエーリヒの結婚に際して深刻化し、両者の仲は一層冷え込んでゆく。結局のところ、子離れできない父は天才を自分の手の届く範囲から放したくなかったのである。
 1926年に初演された自信作のオペラ「ヘリアーネの奇蹟」の大失敗により挫折を味わったエーリヒは、その後娯楽音楽や劇場音楽に転向する。ナチス・ドイツの台頭により、ユダヤ系であったエーリヒは1934年アメリカに渡り、映画音楽の製作に注力する。1936年には「風雲児アドヴァース」、1938年には「ロビン・フッドの冒険」でアカデミー賞を受賞し、後世の映画音楽に絶大な影響を与えた。かの有名な「スター・ウォーズ」のテーマ音楽も、エーリヒが作曲を担当した映画「Kings Row」の音楽を聴けば明らかなように、エーリヒ抜きにして生まれ得なかった。
 第二次世界大戦後、エーリヒはウィーンに戻り、再び純音楽に復帰しようとするも、2度目の挫折を味わうことになる。第二次世界大戦のイデオロギー対立は音楽の世界も無縁ではなく、伝統的な和声を超えた全く新しい前衛的な音楽がもてはやされ、ロマンチックなエーリヒの音楽は完全に時代遅れだと唾棄された。失意のうちにアメリカに戻り、2曲目の交響曲を作曲中だった1957年、脳出血で死去。ウィーンの表舞台に返り咲くことはなかった。
 後年のエーリヒは好んで次のようなジョークをよく言ったそうだ。「私は作曲家になりたかったわけじゃない。父を喜ばせたかっただけ」
 モーツァルトと同じく早熟な天才であり、過干渉・過保護な父の期待に応えるべく作曲を行ったエーリヒは、己の内なる音楽を熟成させ、生涯を通じてそれを表現した。その魅力は、時代ごとの価値観に迎合することなく、ジャンルを超えて自らの音楽を追求した点にあるのではないか。

■「劇的序曲」について
 題名の「劇的」は、「ドラマチックな」序曲というより「劇場の」序曲を意味するが、後に劇場音楽に転向するエーリヒを図らずも暗示するものとなっている。
 全体はソナタ形式であり、弦楽器の神秘的な序奏部から現れた主題(譜例1)が全曲を貫いて、調性や趣を変えながら随所で繰り返される。

 3連符の高まりを受けて、主題の変形であるロ長調の提示部が管弦合わせて華々しく鳴り響く。決然たるメロディの中に妖しげな半音階が混在し、独特な曲調を呈する。
 続く弦楽器のワルツは、他の作曲家の影響を受けつつも14歳のエーリヒ独自の爛熟を見てとれる。優雅なハープの手法は師ツェムリンスキー譲りのものであり、リヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」を思わせるフレーズ(譜例2)が登場する。

 Più mosso(より速く)の変拍子に始まる快活な中間部の後、主題の音の高低が逆転したようなクラリネットのソロ(譜例3)が奏でられる。その印象的な旋律に導かれ、短い混沌を経て、倍速の序奏部及び提示部が再現される。

 終盤は主題の変形を様々な楽器が受け継ぎ、きらびやかな終幕を迎える。

初演:1911年12月14日、アルトゥール・ニキシュ指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
楽器編成: フルート2、ピッコロ、オーボエ2、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、シンバル、トライアングル、木琴、ハープ、弦五部

参考文献
早崎隆志『コルンゴルトとその時代:“現代"に翻弄された天才作曲家』みすず書房 1998年
柴田南雄・遠山一行総監修『ニューグローヴ世界音楽大辞典』講談社 1994年
Jessica Duchen, Erich Wolfgang Korngold, Phaidon Press1996
参考Web
『Erich Wolfgang Korngold Society』http://www.korngold-society.org

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