グラズノフ:演奏会用ワルツ第1番
第242回演奏会の幕開けを飾るのは、グラズノフの小品である。軽やかで優美なこの佳曲は、チャイコフスキーの名曲をお届けする前にふさわしい前菜となるだろう。
■グラズノフの半生
グラズノフは1865年にサンクトペテルブルクで生まれた。父は出版業を営み、母はピアニストであった。彼は10歳からピアノを学び、11歳で作曲を始める。優れた聴覚と記憶力に恵まれた、才気あふれる少年であった。
1879年にバラキレフと出会い、作曲を師事。バラキレフは「ロシア五人組」の指導者的役割を果たした人物で、グラズノフの早熟な才能を見抜き、彼をリムスキー=コルサコフに紹介した。
グラズノフは2年間、リムスキー=コルサコフから和声と作曲の技法を教わり、弦楽四重奏曲と交響曲をそれぞれ1曲ずつ完成させる。交響曲第1番を作曲したのは弱冠16歳のとき。バラキレフが指揮を務めた初演は大成功を収めた。
若くして注目の的となったグラズノフは、豪商のベリャーエフというパトロンを得る。ベリャーエフはグラズノフの熱烈なファンとなり、彼の作品を優先的に演奏させるために交響曲演奏会を発足させたり、彼の作品を出版するためにライプツィヒにベリャーエフ出版社を設立したりした。この出版社を通して彼の作品は西欧でも知られるようになる。
1890年代には、交響曲第3番から第5番の3曲、弦楽四重奏曲を2曲、そしてバレエ「四季」「ライモンダ」を作曲する。創作意欲が盛んなこの時期に、本日演奏する「演奏会用ワルツ第1番」も書かれた。作曲されたのは1893年、彼が28歳の時であり、この曲は母エレーヌ・グラズノフに捧げられている。
その後、グラズノフは1899年にサンクトペテルブルク音楽院の教授となり、さらに1905年には院長を務めた。
彼は、殊にバレエ音楽について、ロシアで最も優れた作曲家としてチャイコフスキーに次ぐ地位を確立している。
■演奏会用ワルツ第1番について ※譜例準備中
グラズノフはワルツの名手である。彼の3つのバレエ曲「ライモンダ」「四季」「愛のはかり事」には多くの優美なワルツがある。
「演奏会用ワルツ第1番」はあくまでも踊りのためではないワルツとして作曲された。(注)翌年には、第2番も作曲されている。ゆったりと美しい旋律が曲を導いていくのが特長だろう。
この曲は複合三部形式で、序奏とコーダが付いている。主部のテーマはヴィオラとクラリネットの優しい音色で提示される。
ひとしきり歌いあげたところで、続けて木管楽器主体の悲哀を帯びた旋律が引き継ぐ。しっとりとした一抹の不安の告白からぬけだし、冒頭のテーマに戻ってくる。
フルートが誘う中間部では、主部とは対照的な形のテーマが提示される。大きな3拍子でゆっくりと下降した後、気持ちがこみ上げるように駆け上がる。
このテーマの盛り上がりがはじけると、寂寥(せきりょう)感漂うクラリネットのデュオがはじまる。そして、ヴァイオリンやフルートがそれを受け継ぎ、また明るい中間部のテーマへ回帰。
再度主部のテーマに戻り、中間部のテーマの変形やヴァイオリンの軽快なモチーフが相まってコーダに突入。コーダは活気にあふれ大団円を迎える。
「演奏会用ワルツ第1番」は、チャイコフスキーからロシアバレエ音楽の系譜を受け継いだグラズノフが残した佳曲のうちの1つである。色彩溢れる夢うつつの世界を、堪能していただければ幸いである。
(注)この曲は「演奏会用」ワルツであるが、後世バレエ作品に引用されている。1956年に振付師のフレデリック・アシュトンがグラズノフの作品を組み合わせて「誕生日の贈り物(Birthday Offering)」という一幕もののバレエ作品を作ったが、その際に、この曲が採用されている。バレエに馴染み深い方はどこかで聞いたことがあるかもしれない。
初演: 1893年12月、サンクトペテルブルク、リムスキー=コルサコフ指揮
楽器編成: ピッコロ、フルート2、オーボエ2、クラリネット3、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、シンバル、大太鼓、小太鼓、トライアングル、グロッケンシュピール、ハープ、弦五部
参考文献
ジェームズ・バクスト(森田稔訳)『ロシア・ソヴィエト音楽史』音楽之友社 1971年
柴田南雄/遠山一行総監修『ニューグローヴ世界音楽大事典』講談社 1994年
音楽之友社編『名曲ガイド・シリーズ③管弦楽曲①』音楽之友社 1984年
「楽曲視聴 NHK交響楽団」
https://www.nhkso.or.jp/library/sampleclip/music_box.php?id=93&iframe=true&width=840
(2018年6月1日アクセス)