ベルリオーズ:劇的交響曲「ロメオとジュリエット」より
今回の演奏会で扱う曲の共通点は、すべてウィリアム・シェイクスピアの「ロメオとジュリエット」を原作としていることである。各曲目解説の前に、まずこのシェイクスピアの「ロメオとジュリエット」について簡単に触れておきたい。
イングランドの劇作家であるウィリアム・シェイクスピアによって1595年前後に初演された「ロメオとジュリエット」。まずはこの作品のあらすじを簡単に振り返ってみる。
舞台は、14世紀のイタリア、ヴェローナ。当時のヴェローナは、神聖ローマ帝国とローマ教皇の対立の影響を受け、支配層が皇帝派と教皇派に別れていた。物語の中心となる両家、モンタギュー家とキャピュレット家もこの対立ゆえに、抗争を繰り返していた。
モンタギュー家の1人息子であるロメオは年上の女性ロザラインへ恋心を抱き、その叶わぬ恋に日々悩んでいた。そのような最中友人に誘われ、キャピュレット家のパーティーに忍び込み、そこでキャピュレット家の1人娘のジュリエットと運命的な出会いを果たす。2人は互いに惹かれ合い、たちまち恋に落ちた。夜更けにキャピュレット家の庭に忍び込んだロメオは、バルコニー越しにジュリエットと互いの愛を確かめ合い、翌日再び会うことを誓う。翌日修道士ローレンスのもと、2人は密かに結婚の誓いを交わした。この2人の愛が両家の対立に終止符をうつことをローレンスは心から願っていたのである。
しかしその直後、広場で友人達が争っている最中、親友のマキューシオがキャピュレット夫人の甥ティボルトに殺されてしまう。親友を殺された怒りからロメオは、ティボルトと決闘を行い、殺してしまう。このことにより、ヴェローナの大公はロメオに街からの追放を命じる。従兄弟を殺された悲しみやロメオと離れ離れになってしまう辛さに苦しんでいるジュリエットに、キャピュレットは親戚のパリスと結婚することを命じ、ジュリエットをさらに追い詰めることとなる。
ジュリエットは藁わらにも縋すがる思いで修道士ローレンスに助けを求める。ローレンスは彼女とロメオを添わせるために、ジュリエットに仮死薬を使った計画を立てる。しかし、この計画を手紙でロメオに伝えようとするものの、手紙がロメオの元に届く前に、ロメオは自身の下僕からジュリエットが自殺したと聞いてしまう。ロメオはすぐさまジュリエットのもとに向かい、仮死薬で眠っている彼女が本当に死んでしまったと思い込み、その後を追おうとその場で毒薬を飲んで息をひきとる。その後仮死状態から目を覚ましたジュリエットは目の前で亡くなっているロメオを見て、あとを追うように短剣で自ら命を絶つ。
最愛の娘と息子が純粋な愛を求めたものの、両家の対立がゆえに、2人の尊い命を失うこととなった事実は、両家を和解の道へと導いていく。
現代における「ロメオとジュリエット」は、純粋な恋愛、恋愛悲劇等、ともすればロメオとジュリエットの哀れな叶わぬ恋物語という部分が強調されがちではあるが、物語の最後に大公が述べたことも忘れてはいけない。「両家の対立という無意味な人間の憎しみが、互いに愛し合い、互いに滅ぼし合うという罰を受ける結果をもたらした」からである。
この物語がこれほどまでに印象深い悲劇となったのは、その宿命性や運命性を受け手に強く感じさせたからであろう。特段個性的に描かれてはいない2人の若者が、本人たちの力の及ばない運命の狂いに巻き込まれ、自ら命を絶ってしまう。単なる悲劇ではなく、この宿命性と2人の抒情的な恋愛の雰囲気は、死という悲しみと一方で美しいともとれる死の結末により物語を私達の中に色濃く印象付けるのではないだろうか。シェイクスピアは、この運命や宿命といった要素を作品の中に数多くちりばめており、さらにそこに劇的要素を加えることで、その悲劇性をより強めているのである。こうしたさまざまな要素により、「ロメオとジュリエット」は初演から今日まで変わらず多くの人の心に響く作品となったのだろう。
ベルリオーズと「ロメオとジュリエット」
「ロメオとジュリエット」といえば、プロコフィエフやチャイコフスキーの作品を先に思い浮かべる人が多いのではないだろうか。私自身も今回この曲目解説のために調べてみるまで、ベルリオーズの「ロメオとジュリエット」がこれほどまでに印象深い壮大な作品であるということは知らなかった。
フランスに生まれ、パリ音楽院にてオペラと作曲を学んだベルリオーズ。彼の最初の交響曲は「幻想交響曲」である。ベートーヴェンから影響を受けて、個人の情熱や苦難を取り入れた自叙伝的作品とされる。次いで2番目に作曲された交響曲は「イタリアのハロルド」。この作品も彼個人がイタリアの旅行の中で得たものの回想が表現されている。そして3番目に作曲された交響曲が「ロメオとジュリエット」である。それまでの個人の感情や経験に基づく交響曲とは趣向を変えて、シェイクスピアの作品に秘められた想いを自身の音楽で表現することを試みた。
ベルリオーズがこのシェイクスピアの劇的な作品に感銘を受けたのは、作品自体の力の他に、後に彼の妻となるハリエット・スミスソンの影響がある。彼女の演じる多くのシェイクスピア作品に刺激を受けて、ベルリオーズは演劇音楽の創作を本格化しようと心に決め、詩人であるエミール・デシャンとともに1827年から1830年にかけて多くの作品を創り出すこととなる。この間に作曲された「レリオ、あるいは生への復帰」「クレオパトラの死」などに含まれるさまざまなパッセージは、「幻想交響曲」や「ロメオとジュリエット」の中にも共通した要素を見ることができる。
ベルリオーズの「ロメオとジュリエット」の作品化を決定づけたのは、ベッリーニの「カプレーティとモンテッキ(イタリア語表記の両家名)」である。この作品に非常に感銘を受けたベルリオーズは、財政難に苦しみながらもパガニーニから多額の寄付を受けたことで、この壮大な作品「ロメオとジュリエット」を仕上げることができた。
ベルリオーズのこだわり
ベルリオーズは、ベートーヴェンの第九交響曲にならって、この作品を合唱付きの交響曲にした。二重の合唱部分は、モンタギュー家とキャピュレット家両家の対立を表し、物語の中で重要な人物となる修道士ローレンスやマキューシオなどを独唱としている。また、この交響曲で特徴的なのは充実した管弦楽の響きで、これを合唱と合わせることで、ロメオとジュリエットの繊細な愛を表現しようとした。
さてこの交響曲の中には、あの有名なバルコニーのシーンがロメオとジュリエットの愛のデュエットとしては作られていない。ここにも実はベルリオーズのこだわりが隠されている。この作品はオペラではなく、あくまで交響曲として作ったものであり、2人の若者の純粋な愛は、歌がなくとも管弦楽の響きが既に表現している、むしろ歌を抜きにした音楽だけでしかこの愛を表現することはできないと考えたがゆえに、作品の半分以上が管弦楽のみで構成されているのではないだろうか。
さらにベルリオーズのこだわりが見て取れるのは、その作品の終わり方にある。ロメオとジュリエットの死で作品を終えるのではなく、修道士ローレンスによる語りにしているのである。両家が対立し続けるところを、ローレンスが仲裁に入る形で合唱を書き、思いやりと和解の誓いを両家へと導く場面を創った。これもシェイクスピアの作品から読み取れるメッセージを忠実に再現しようとしたからなのではないか。
このほかにも、舞台における合唱の位置、両家の立ち位置、合唱の入退場のタイミング、ソリストが着る衣装の色、ホルンやシンバルに見て取れる細かな楽器の指示など細部にいたるまでこだわりをもち、ベルリオーズがこの作品に対していかに情熱を注ぎこんでいたかが伝わってくる。
今回私達が演奏するのは、この偉大な作品のうち、管弦楽のみで演奏される一部分である。しかしベルリオーズがこの作品にどれほどの想いをかけたのか、全体を通して表現しようとしたことは何か、楽譜上の音符1つ1つからそうした想いをくみ取り、私達の演奏にベルリオーズの想いをのせて皆様にお届けできれば幸いである。
初演:1839年、パリのコンセルバトワールにて、ベルリオーズ自身の指揮による。
楽器編成(全曲の場合):ピッコロ、フルート2、オーボエ2(1人はコールアングレ持ち替え)、クラリネット2、ファゴット4、ホルン4、トランペット2、コルネット2、トロンボーン3、オフィクレイド(またはテューバ)、ティンパニ2対、大太鼓、シンバル、アンティーク・シンバル、トライアングル2、タンブリン2、ハープ2、弦五部(第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン各15以上、ヴィオラ10以上、チェロ14以上、コントラバス9以上)、アルト独唱、バス独唱、合唱84人以上
参考文献:
Hector Berlioz[Roméo et Juliette, Symphonie dramatique. Op.17 Hol. 73]edit. D. Kern Holoman, Bärenreiter. 2018
中野好夫『ロミオとジュリエット』新潮社 2017年
W.デームリング(池上純一訳)『ベルリオーズとその時代』西村書店 1993年
フランコ・ゼフィレッリ監督・脚本[Romeo and Juliet]1968年