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ドヴォルザーク:交響曲第7番 ニ短調

前田 翠(ヴィオラ)

ドヴォルザークの交響曲
 アントニーン・レオポルト・ドヴォルザーク(Antonín Leopold Dvořák 1841-1904)は生涯に9曲の交響曲を書いている。
 この有名な作曲家の姓は、日本語ではドヴォルザーク、ドボルザーク、ドボルジャーク等と表記が一定していないが、最近ではドボジャークと書かれることも多い。これはドヴォルザークの母語であるチェコ語の「ř」の音を日本語の音に正確に移すことが困難なことによる。(rの上のvはハーチェクという記号で一部の子音や母音について様々な音をあらわす。WBCチェコチームのユニフォームの胸元に「ČESKO」と記されていたのを見た人も多いと思うが、「C」の上についているのも同じ。)
 「ř」の発音は、スラヴ語学の泰斗千野栄一の名著「チェコ語の入門」の説明によると、「Řはチェコ語の特徴的な音で、巻き舌のル(r)の音を調音点を狭めるようにし、なるべく前のほうで発音するときでます。」とのことなので、是非お試しあれ。(主に子音を出すときに呼気を妨げる位置:筆者注)ただし、チェコでも子供にとってはこの発音は難しいらしく、できない場合は学校で特別に居残り練習をさせられるとのことなので、日本語話者の我々が出来なくても全く気にすることはない。筆者の耳には、「ドヴォジャーク」がチェコ語ネイティブの発音に比較的近いように聞こえるが(これだとDとvの間に母音oが入っているように見えてしまうのが残念ではあるが)、所詮音韻体系の異なる別言語同士で正確に音を移すことはできないので、以下、ドヴォルザークで通すこととする。ちなみに、「á」でaの上についている記号はチャールカと呼ばれる記号で、母音の上について長母音「’」を表す。

 1865年に書かれた第1番から、最後の交響曲第9番「新世界より」が作曲された1893年に至る28年間に、創作活動の節目に、9つの交響曲が書かれている。ベートーヴェン、ブルックナー、マーラー等と同じ9曲ではあるが、これら3人の作曲家の場合、1番、3番等の番号の若い作品も世界中のオーケストラの通常のレパートリーになっており、どの作品も比較的偏りなく取り上げられているが、ドヴォルザークの場合はやや事情が異なっている。もっぱら演奏されるのは最後の2曲の9番「新世界より」、8番で、あとはたまに本日のように7番が取り上げられるだけで、5番、6番が演奏される場合は小さな事件になり、1番から4番の生演奏に接したことがある人はチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の楽団員以外にはほとんどいないのではないかといった状況になっている。
8番、9番の演奏頻度が高いのは、この2曲はドヴォルザークのみならず古今東西のあらゆる交響曲のなかでも傑出した作品なのでもっともな面はあるが、本日の7番をはじめ、ブラームスの交響曲第2番を彷彿とさせるニ長調交響曲第6番や、「ワーグナー」という名で呼ばれることもある変ホ長調交響曲第3番など、もっと頻繁に演奏されてよいのではないかと思う。
 古楽演奏者でモダンオーケストラの指揮者でもあったニコラウス・アーノンクールによれば、入念な準備と十分なリハーサルが必要な割にはうまくいかないため指揮者が避ける交響曲がいくつかあって、ベートーヴェンの第4番、シューベルトの第4番等と並んでドヴォルザーク7番もそのような曲とみなされているとのことである。
なお、交響曲第7番はかつて第2番と呼ばれていたことがあり、新世界交響曲も古いLPレコードのジャケット等に交響曲第5番と記されているものがあるが、これは作曲者の生前に出版された交響曲が現在の5番から9番までの5曲のみで、しかも出版社が必ずしも作曲順ではない番号を割り振ったことによる。新旧番号の対比は次の通り。旧番号→現行番号:1→6 ニ長調 作品60(B.112)、2→7 ニ短調 作品70(B.141)、3→5 へ長調 作品76(B.54)、4→8 ト長調 作品88(B.163)、5→9 ホ短調 作品95(B.178)「新世界より」。
 1893年の新世界交響曲を最後に交響曲は手がけておらず、晩年はオペラの作曲に注力したドヴォルザークであるが、1896年から1897年にかけて管弦楽作品では5曲の交響詩を作曲した。そのうち4曲は民族的バラードに基づく一連の作品で、1曲はグスタフ・マーラーの指揮で初演された、リヒャルト・シュトラウスを想起させる「英雄」をタイトルに含む作品である。これらの作品もドヴォルザーク晩年の円熟した管弦楽の書法に裏打ちされたいずれ劣らぬ素晴らしい作品であるが、やはり日本では演奏される機会が少ないのは大変残念である。是非とも一聴をお勧めする。なお、新交響楽団では第247回演奏会(2019年10月13日 指揮/寺岡清高)にて全5曲を取り上げている。

交響曲第7番 ニ短調
 交響曲第7番には少し先輩のヨハネス・ブラームス(1833-1897)の影響、特にドヴォルザークが作曲の直前に初演に立ち会ったその第3交響曲(ヘ長調 作品90)からの影響が強くみられることは夙(つと)に指摘されているが、この両者の関係は、第7番作曲の10年ほど前にさかのぼることができる。ドヴォルザークは1874年からウィーンの文部省の奨学金に応募、数年にわたり給付を受けているが、その選考に際してはブラームスが強く後押しをしていたことが知られている。また応募に際し提出された「モラヴィア二重唱曲集 作品20 B.50」に深く感銘を受けたブラームスはこれをドイツの有名な音楽出版社であるジムロック社に紹介し、それ以降ドヴォルザークの作品は同社から出版されることになる。
 引き続き「スラヴ舞曲集第1集 作品46 B.78」「ヴァイオリン協奏曲イ短調 作品53 B.108」「交響曲第6番ニ長調 作品60 B.112」等の名作が次々に出版されていった。これはそれまでチェコの中では知られていたものの、まだ無名であったドヴォルザークが国際的に知られることのきっかけとなった。このようにブラームスの知己を得たドヴォルザークの作品は、ヨーゼフ・ヨアヒム、ハンス・リヒターなど、ブラームスとの関係が深い著名演奏家たちの取り上げるところとなり、次第にヨーロッパ大陸を超えてイギリスでも知られるようになっていった。
 ドヴォルザークは1883年に、ロンドン・フィルハーモニック協会(現ロイヤル・フィルハーモニック協会)の招待を受け、翌1984年に初めてロンドンを訪れ、自作の指揮を行ったが、これが大変な評判を呼び、その結果、ドヴォルザークはフィルハーモニック協会の名誉会員に推薦され、新たな交響曲の作曲依頼を受けることとなった。前述したように同じころブラームスの交響曲第3番を聞いて創作意欲がたかまっていたドヴォルザークは、1884年12月13日から翌年3月17日のわずか3か月の間にこの交響曲第7番を仕上げ、すぐに再度ロンドンを訪れ1885年4月22日に聖ジェイムズホールで自身の指揮で初演を行った。この演奏会は大成功で、初演から間もなくハンス・リヒター、ハンス・フォン・ビューロー、アルトゥール・ニキシュといったドイツ系の指揮者たちがこの曲を演奏したが、これは交響曲作曲家ドヴォルザークの名声を広めることとなった。イギリスでは「ボヘミアのブラームス」とまで呼ばれるようになるが、ドヴォルザークはこの後も2回訪英しており、1891年にはケンブリッジ大学より名誉博士号を授与されている。
 ちなみに第8番のト長調交響曲が、最近では少なくなったものの「イギリス」というニックネームで呼ばれることがあるが、これは、本来のドヴォルザーク作品の出版社であるジムロック社が作品に十分な対価を払おうとしなかったことから、例外的にイギリスの出版社であるノヴェロ社から楽譜が出版されたことによるもので、「イギリス」の名を冠するならば、上記の作曲経緯などに照らせば、第7番こそその名に相応しいといえるのではないか。
 なお、作品番号と並んで記されている「B.141」は、チェコの作曲家・音楽学者ヤルミル・ブルクハウザー(1921-1997)が作成したドヴォルザークの年代順の作品目録による番号で(モーツァルト作品のケッヘル番号(KV)、シューベルト作品のドイッチュ番号(D)に相当)、作品番号のないものも多く、作品番号自体必ずしも作曲年代順とはなっていないドヴォルザーク作品の整理に大いに役立つものとなっている(最後の作品である歌劇「アルミーダ」はB.206)。

第1楽章 Allegro maestoso ニ短調 8分の6拍子 ソナタ形式
 ティンパニのトレモロに乗って、低弦により緊張感を孕んだ陰鬱なニ短調の第一主題が提示される。交響曲第7番は直前に作曲された、プラハの国民劇場再開の式典のために書かれた、チェコの宗教改革者で民族的英雄でもあるヤン・フスを称える「劇的序曲『フス教徒』」(作品67 B.132)とも深く関係しているが、第一主題の提示に続き9度の跳躍を伴う劇的な「フス教徒」の主題に基づく動機が現れる。第二主題は対照的に穏やかな変ロ長調で示されるが、これも「フス教徒」で使われている中世チェコの聖歌に基づくもの。展開部は徹底して提示部の素材が繰り返し使われ、短縮された再現部を経てコーダに至る。

第2楽章 Poco adagio ヘ長調 4分の4拍子 三部形式
 激しく反抗的な第1楽章とは対照的な、ブラームスの交響曲第3番の緩徐楽章を思わせるクラリネットの穏やかなヘ長調のテーマはどこか諦めに似た感じを持っている。中間部はホルンの美しい独奏により始まりヘ短調の全楽器による強奏に達するが、続く木管楽器と少人数の弦楽器によるアンサンブルは室内楽を思わせる美しい箇所。現在演奏されるものは、初稿より4分の1ほど短縮されている。

第3楽章 Scherzo: Vivace – Poco meno mosso ニ短調 4分の6拍子 三部形式
 スケルツォのタイトルが付されているが、主部は4分の6拍子の対位旋律と2分の3拍子のアクセントをもつメロディーが交錯するチェコの民族舞曲「フリアント」。ドヴォルザークは前の交響曲第6番の第3楽章にもフリアントを用いているが、7番のほうがより一層洗練されていて、ドヴォルザークの全交響曲のなかでも屈指の楽章の1つ。中間部はテンポをやや落としてト長調の主題がカノンのように楽器を変えて重ねられていく。フリアントの再現は、第1楽章のように短縮されて代わりに長めのコーダが付されている。

第4楽章 Finale: Allegro ニ短調 2分の2拍子 ソナタ形式
 クラリネット、ホルン、チェロによるオクターブの跳躍と増二度音程を含む解決しない不穏な動きに続きヴァイオリン、クラリネットによるコラール風の重苦しい第一主題が提示されるが、これらはいずれもやはり「フス教徒」に関連している。第二主題は重厚陰鬱な第一主題とは対照的に、イ長調のどこか懐かしさを感じさせるチェコ民謡風の旋律がチェロによって提示される。この楽章にもやや長めのコーダが付いているが、コーダの最初に、弦楽器がユニゾンの低音で付点のついた音形を奏するのに対して、全木管楽器が喧しく増二度を含む音程の分散和音を上行―下行する箇所は、オーケストラのスコアが目に浮かぶようで印象的。最後はMolto maestoso(きわめて荘厳に)となり第一主題の前半部が変形されて最後6小節で長調に転じ、全楽器によるニ長調の和音の強奏で終わる。

初演:1885年4月22日 作曲者自身の指揮によるロンドン・フィルハーモニック協会の演奏会(於ロンドン 聖ジェイムズホール)

楽器編成:フルート2 (2番はピッコロ持ち替え)、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、弦五部

参考文献:
Honolka Kurt, Dvořák Haus Publishing, 2005
内藤久子『ドヴォルジャーク』音楽之友社 2004年
Bärenreiter 版スコア(Jonathan Del Mar校訂TP507)Jan Smacznyによる序文
「This music gets under my skin」 Nicolaus Hartnoncourt in conversation with Monika Mertl on Dvořák and the nature of Czech music (ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団とのCDライナーノーツ Teldec 39884-21278-2)
千野栄一/ズデンカ『チェコ語の入門』白水社 1971年

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