指揮者 中田延亮氏に聞く
今回の演奏会で初めて中田延亮氏をお迎えするにあたり、インタビューを行いました。音楽との出会い、演奏会へ向けた期待、指揮者としてのポリシーなど、興味深いお話をたくさん伺えましたので、どうぞご一読ください。
人生の方向を変えた「エグモント」の衝撃
■まず、音楽やオーケストラとの出会いからお話を始めさせていただきましょう。
子供の頃、ピアノを習っていた時期もあったのですが、あまり好きになれずに、やめてしまいました。音楽との本格的な出会いということになると、京都の中高一貫校に入学してオーケストラ部に入ったことがスタートになります。最初、楽器はチェロをやりたかったのですが、新入生の枠がすでに埋まっているという理由で断られ、連れて行かれたのがコントラバスの部屋。それが、その後ずっと自分の相棒となる楽器との出会いでした。
それから数か月後、地道な個人練習やパート練習を経て合奏に参加することができたのですが、初めてオーケストラの中で音を出した時のことは忘れられません。練習していた曲は、ベートーヴェンの「エグモント」序曲。冒頭、全奏でドーンという音が鳴るのですが、その音が出た瞬間、「俺たち、なんかすごいことをやってる」みたいな感動に震えました。まさに、その後の一生を変えてしまうような衝撃的な経験で、それから完全に音楽とオーケストラにハマってしまったわけです。
親が医師だったこともあり、色々と悩んだ結果、筑波大学の医学専門学群に入学しましたが、音楽家になるという道を諦めていたわけではありません。大学のオーケストラで活動していく中で、たまに同年代の音大生たちに出会うことがありましたが、音楽のことだけ考えて、それに打ち込める環境にいる人たちが羨ましくてしかたがない。音楽をちゃんと勉強したいという気持ちがどうにも抑えられなくなり、親を拝み倒して、筑波大学に籍を置いたまま桐朋学園のソリスト・ディプロマコースに通うことになりました。
■コントラバス奏者から指揮者へ向かわれた理由、ヨーロッパで活動され始めた経緯などをお聞かせください。
自分は音楽を演奏することが大好きで、コントラバスはその重要な手段であるものの、楽器そのものが好きでたまらないという感じではありませんでした。また、ある時スコアを見ながら思ったのは、「自分はこの曲がこんなに好きなのに、コントラバスのパート、いうなればスコアの1段分しか演奏できないのか」ということ。曲の全体に関わるには、オーケストラを指揮するしかないと思い至り、コントラバスの演奏と指揮活動を並行していく形になったのです。
奏者としては、新日本フィルハーモニーに首席として入団することができましたが、海外で勉強して帰国した同僚たちと接するうちに、今度はヨーロッパで音楽を一から勉強し直したいという気持ちが沸々と湧いてきました。またこれが抑えられなくなり、オーケストラに1年間の休みをもらってウィーンに行くのですが、いざ行ってみると、プレイヤーとしても指揮者としても、勉強すべきことが多すぎる。「こっちに腰を落ち着けてじっくり勉強しないとダメだ」と痛感し、新日本フィルを辞めて、滞在許可証と生活費を得るために定職を探すことにしました。
そんな時に、運よくバレンシアに新設される州立歌劇場のオーディションにコントラバス奏者として合格し、それからスペインに活動の拠点を置くことになったのです。
スペインの作曲家たちと伊福部 昭の底流に共通する「何か」を見つけたい
■今回の初共演を我々もとても楽しみにしていますが、 演奏会に向けて、どのような思いや期待をお持ちですか。
プログラムについては、自分の考えとオーケストラ側の希望を擦り合わせながら最終的にこの3曲に決まりました。スペインの二人の作曲家も伊福部先生も、ヨーロッパのクラシック音楽の中心や本流といえる場所から少し距離を置いた所にいたわけですが、中心とのつながりを持ちながら、自分の音を紡ぎ、オーケストレーションを磨いていったように思います。もちろん、 曲想やリズムの感じ方など、まったく違う部分が多いのですが、一緒に演奏することで、作曲家としての底流にある共通点や親和性のようなものを見つけていけるのではないか、と期待しています。
次に新交響楽団というオーケストラについては、長い年月しっかりとした活動を続けられていることが素晴らしいと感じています。世の中の状況は常に変わりますし、それはメンバーである皆さん一人ひとりにもいえることでしょう。たくさんの人が集まって初めて活動できるオーケストラが安定的な活動を続けるのは大変なことですし、長い時間を積み重ねて自分たちの歴史を創られてきたことはリスペクトに値します。特に邦人作品の演奏活動に関しては、伊福部先生をはじめとした多くの作曲家の作品が世の中に認知され、愛好されていくプロセスに大きな貢献をしてきたのではないか、という印象を持っています。
今回の「シンフォニア・タプカーラ」についても、この曲を最も多く演奏しているのは新響だと聞いています。きっと、曲に対するたくさんの思い出があり、イメージが醸成されているでしょう。ある部分では私の考えに近いものがあると思いますが、ある部分ではまったく違うかもしれません。それをリハーサルという過程で融和させていって、我々なりの答えを出していきたいですね。そういう過程を踏めることが、とても楽しみです。
■スペインの二人の作曲家について、またスペインの風土や国民性などについて、少しご紹介いただけますか。
まず、ファリャはスペイン全土で高く評価されている国民的作曲家といっていいでしょう。一方、トゥリーナは、彼の作品が持っている音楽的な重要さに比べて、ややマイナーな作曲家として位置づけられているように感じます。しかし、この二人はとても仲がよく、強い絆で結ばれていたようです。1900年代初めのスペインのオーケストラ音楽を共に築き上げていった戦友といっていいかもしれません。これは勝手な想像ですが、もしこの演奏会をファリャが空の上から眺めていたとしたら、自分の曲とトゥリーナの曲が異国の地で一緒に演奏されることを、とても喜んでいるのではないでしょうか。
スペインには15年間住んでいて、いまだに「行く」というより「帰る」という感じがする国です。風土に関していえば、とにかく天気がいい。私も仕事のことなどで悩んでいた時期がありましたが、部屋の中で鬱々としていても、外に出てカフェのテラスでコーヒーなんか飲んだりすると、もう5分後には、「まあ、いいか。色々と不安もあるけど、空は青いし、いま自分が生きていることにイエスと言おう」みたいな気分になるんです。
私がバレンシアに住み始めた時期は、リーマンショックの影響でスペインも不景気のどん底に陥っていました。しかし、そんな時でも街ゆく人々はにこやかで、街には笑顔が溢れていました。悲しいことや苦しいことはあるかもしれないけど、どういう環境であれ、自分がいま生きていることを積極的に肯定して、幸せに生きる。そういう心の持ちようをスペインで学んだように思います。住んで本当によかったと思っていますし、またいつか「帰りたい」と願っています。
音楽と社会のより良いつながり方を求めて
■いま指揮者として大切にされていることや、これからの活動についてのお考えなどをお聞かせください。
いまの自分として、指揮者という仕事の面白さや醍醐味を一言で表すとしたら、「コミュニケーション」という言葉に集約されるかもしれません。何かの曲を勉強していて、その素晴らしさに心打たれることはしばしばですが、実際に音にすることで、素晴らしさをオーケストラとも、お客様とも分かち合うことができます。そうやって、曲とオーケストラと聴衆をつなぐ、人とつながることに指揮者という仕事の本質を感じています。
それから、オーケストラとの距離感という面では、自分とオーケストラを含めて「我々」という意識を常に持っています。一人ひとりのプレイヤーは、ピアノの1つの鍵盤ではありません。それぞれに人生があって、一人の人間としてオーケストラという集団に身を置いています。演奏会をやるということは、指揮者とオーケストラが互いにリスクを取り合って前に進む冒険のようなものでしょう。開演時間が来て一緒にステージに上がれば、もう一蓮托生です。途中で多少の怪我があったとしても、みんなで一緒にゴールして、満ち足りた気持ちで聴衆の拍手に答礼したい。そういう指揮者でありたいですね。
最後に今後のことについての思いを少しお話ししましょう。我々はコロナ禍の中で音楽活動が「不要不急」という言葉で括られるという切ない思いをしました。その経験を経て、これからの社会に対して音楽がどのようにあるべきか、どうすればより良いつながり方ができるのか、そこで自分には何ができるのか、それを考え続けています。そのために何か新しい活動や、指揮者としての新しい在り方が必要になった時、それに積極的に向かって行ける勇気を持ちたいと思っています。
取材・原稿制作:田川 接也(ファゴット)