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ショスタコーヴィチ:バレエ組曲「黄金時代」Op.22a

倉田 京弥(トランペット)

1.芥川也寸志とショスタコーヴィチの出会い
 新響が創設される2年前の1954年、ソ連の芸術をこよなく愛していた芥川也寸志は自作のスコアを携えて国交のなかったソヴィエト連邦へ密入国した。現代なら大きな社会問題になりかねない29歳の若者の大胆な行動は、なんとソヴィエト政府から歓待を受け、敬愛するショスタコーヴィチやハチャトゥリアンらと親交を結び凱旋帰国することとなる。
 その時ショスタコーヴィチは、スターリン賞第1席やソ連人民芸術家の表彰を受けるなど、ソ連を代表する大作曲家となっていた。しかし、芥川が受けた印象は偉大で英雄的なイメージとは正反対に、絶えず周囲を気にする神経質で気の弱い感じだったという。
 それは無理もないことで、彼が30歳の時に大好評を博していたオペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」が、共産党機関紙『プラウダ』により批判され、さらに42歳の時には作品の内容が、社会主義リアリズム(社会主義を賞賛し、人民に革命意識を持たせるべく教育する目的を持った芸術)に合致していないというジダーノフ批判を浴び、レニングラード音楽院やモスクワ音楽院の教授職を解任されるなど作曲家生命の危機に陥っていたのである。
 芥川に出会ったその時期は、スターリンを讃えたオラトリオ「森の歌」などの発表によりやっと社会的に復活を遂げた頃であり、オドオドした態度は偉大な作曲家という称号を得ながらもソ連という国で芸術家として生き抜くためには仕方のなかったことなのかもしれない。


2.若き日のショスタコーヴィチ
 ショスタコーヴィチの父ドミトリィは度量衡検査所の技師であったが音楽好きで、音楽院でピアノを学んだ母ソフィアの伴奏でよく歌を楽しんだという。
 そんな家庭環境に生まれたショスタコーヴィチは、9歳からピアノを始めたものの当初は商業学校へ通っていたが、いち早く彼の音楽的才能に気づいた母は11歳で音楽学校に入学させた。
 彼はピアノのレッスンの傍ら作曲もはじめ、13歳で初のオーケストラ作品を作曲し、19歳で交響曲第1番を発表するなど、音楽院長であったグラズノフが「モーツァルト的才能」と絶賛するほどの天才ぶりだった。
 さらに、1927年、20歳の時にはピアニストとして第1回ショパン国際ピアノコンクールにソ連代表として派遣され、その後も、交響曲第2番、第3番などの大曲を立て続けに発表するなど、20代前半にしてすでにソ連を代表する音楽家として順風満帆な道を歩んでいた。その後すぐに作曲家生命が危ぶまれることになることも知らずに。


3.バレエ音楽の依頼
 1920年代の終わり、ソ連の劇場では古いレパートリーを更新する傾向が現れ、1929年レニングラード国立劇場は「ソ連の生活を称賛する新しいバレエ」の台本コンクールを開催し、映画監督A.イワノフスキーの「ディナミアーダ」(黄金時代)が入選した。
 それまでのロシアバレエは、民話やおとぎ話を主題とする抒情的なものが多かったが、この台本は、勇敢なソ連のサッカーチームとそれを妨害しようとする西側のブルジョワ(ファシスト)の対峙という現代的な内容であった。
 音楽は、すでに有名な作曲家であり、3つの交響曲やオペラ、数多くの器楽作品や映画音楽を作曲していた23歳のショスタコーヴィチに依頼された。彼は公式審判員の資格を持つほどの熱烈なサッカーファンでもあったため、サッカーを台本にした内容に戸惑ったものの夢中になって仕事に取り組んだという。


4.バレエ組曲「黄金時代」
 新しいバレエ「黄金時代」は、ロシアバレエを見慣れていた人々を大いに驚かせた。
 体操、アクロバットなどの奇妙な動きやボクシング、トランプ、サッカーなどのシーンがあったほか、カンカン、フォックストロット、タンゴ、タップダンスなど西洋音楽が盛り込まれ、お祭り騒ぎのようなバレエだった。
 「黄金時代」は、観客には大いに受けたものの、ブルジョア風の気取った歩き方や振付けのけばけばしさが批判の対象となり、2年間でたった18回上演したのみで幕を閉じることとなった。
 ストーリーは、1920 年代のヨーロッパの政治的および文化的状況を風刺的に描いたもので、ソ連のサッカーチームが西側の都市で開催された産業博覧会「黄金時代」に招待され、労働者たちに人気となるが、西側のファシストたちは彼らに八百長試合を持ちかけたり警察による嫌がらせをしたり邪悪な陰謀をめぐらす。ミュージックホールでの奇妙な踊りやスポーツ競技の光景などを織り込みながら、黒人のボクサーや地元の労働者たちとソ連サッカーチームは正しい思想に基づいて友情を築き、最後は、地元の労働者がファシストたちを打倒して、バレエは労働者とサッカーチームの力強い団結のダンスで終わる。
 もともとバレエ音楽「黄金時代」は、37曲から構成される2時間余りの曲だったが、全曲版の演奏に先立って、作曲者自らその中の「序曲」「アダージョ」「ポルカ」「舞踏」の4曲をバレエ組曲「黄金時代」(作品22a)として再編し、初演した。


第1曲 序曲
 幕が上がる前の序曲と、博覧会の見物客の入場。ショスタコーヴィチの典型的な作風である早いテンポのフーガと目まぐるしく変わるワルツやマーチにより、博覧会場の活気やさまざまなアトラクションが表されている。まるで映画音楽のような情景描写がショスタコーヴィチらしい。

第2曲 アダージョ
 ファシストの美人ダンサー、ジーヴァが男たちを誘って舞う妖艶で官能的な踊り。ソプラノサックス、ヴァイオリン、フルートのソロが、いかがわしさたっぷりの頽廃した色っぽさを描写している。カデンツァを含む長大なバリトンのソロは、歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」のベッドシーンの音楽を思い起こさせる。


第3曲 ポルカ
 ミュージックホールでの余興として披露される踊りの一つ。一向に進まない1927年のジュネーヴ海軍軍縮会議を風刺した踊りで、「間違った音によるポルカ」との異名を持ち、常に調子はずれの音が混じっているのが特徴的。「平和の天使」と名付けられている。


第4曲 舞踏
 ソ連サッカーチームのキャプテンを誘惑しようと妖艶なダンスを踊るが、健全なソ連サッカーチームのメンバーは健康的で陽気な踊りを踊る。ハルモニウム(足踏みオルガン)と弦楽器によって団結した労働者とサッカーチームの踊りが元気なシンコペーションで奏でられる。



黄金時代初演の際のポスター(サンクトペテルブルク演劇音楽芸術博物館提供)



歌姫(ジーヴァ)とファシストのダンス(サンクトペテルブルク演劇音楽芸術博物館提供)


組曲版初演:
1930年3月19日  レニングラードにて アレクサンドル・ガウク指揮 レニングラード・フィルハーモニー交響楽団


楽器編成:
フルート、ピッコロ、オーボエ、コールアングレ、クラリネット、Esクラリネット、バスクラリネット、ソプラノサクソフォン、ファゴット、コントラファゴット、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、バリトン、テューバ、ティンパニ、大太鼓、小太鼓、シンバル、タンブリン、タムタム、トライアングル、ウッドブロック、木琴、ハルモニウム、弦五部 


参考文献:
レフ・グリゴーリエフ、ヤーコフ・プラデーク『ショスタコーヴィチ自伝』ラドガ出版所 1983年
ドミートリイ&リュドミラ・ソレルチンスキイ(若林健吉訳)『ショスタコーヴィチの生涯』新時代社1984年
森田 稔『ショスタコーヴィチ大研究』よりⅠ生涯とその時代 春秋社 1994年
千葉 潤『作曲家◎人と作品 ショスタコーヴィチ』音楽之友社 2005年
梅津 紀雄『ショスタコーヴィチとロシア革命 ― 作曲家の生涯と創作をめぐる神話と現実 ―』総合文化研究所年報 第18号 2011年
亀山郁夫×吉松隆『ショスタコーヴィチの謎と仕掛け』岩波書店WEBマガジン「たねをまく」
森田 稔 ONTOMO作曲家辞典 ショスタコーヴィチの生涯と主要作品」


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