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シュレーカー:あるドラマへの前奏曲

山口 裕之(ホルン)

■埋もれてしまった作曲家、フランツ・シュレーカー
 フランツ・シュレーカーの作品は、オペラを中心に、このところ少しずつ演奏される機会が増えているが、それでもシュレーカーは、現在、誰でも知っているような作曲家というわけではない。しかし、シュレーカーが名声の頂点にあった1910年前後から1920年代前半にかけてのウィーン、ベルリン等では、彼のオペラはリヒャルト・シュトラウスに次いで数多く上演されるほどの人気だった。
 1878年に生まれたシュレーカーは、4歳年上のシェーンベルクやフランツ・シュミットと同じ時代にウィーンで、またその後ベルリンで活躍した作曲家である。「グレの歌」のウィーン初演(1913年)を指揮したのもシュレーカーであった。同じ年のうちに本日演奏する「あるドラマへの前奏曲」が作曲され、翌1914年の2月に、フェリックス・ヴァインガルトナーの指揮、ウィーン・フィルのコンサートで初演されている。そのことだけをとっても、1912年にオペラ「遥かなる響き」(フランクフルトで初演)で大きな成功を収めていたシュレーカーが、ウィーンの音楽界でどれほどの地位にあったかを如実に示すものであったといえるだろう。その実力を買われて、1920年にはベルリン音楽アカデミー(現在のベルリン芸術大学)の校長に就任している。
 そのように20世紀初頭のウィーンとベルリンで活躍し、高い評価を受けていたシュレーカーが、なぜいまでは一般的にあまり知られることのない作曲家になってしまったのだろうか。一つには、オペラを中心に活躍してきた作曲家にとって、20世紀に入って新作オペラの発表という意味が、19世紀のように市民の娯楽として広く期待されるようなものから変質してきたということもあるだろう。とくに第一次世界大戦以降、都市大衆社会が求めるものが大きく変化し、伝統的な音楽とあらたな音楽の潮流のせめぎ合いの中で、自分自身の芸術の立ち位置を強烈に示すことが困難になっていた。しかしそれとともに、ユダヤ人であったシュレーカーにとって大きな打撃となったのは、ナチスによって彼の音楽が「退廃芸術(音楽)」とされたことである。そのためにシュレーカーは音楽の表舞台からいったん姿を消すことになり、それが後世のシュレーカーの受容にとって障害となり続けた。
 ナチスのいう「退廃芸術(entartete Kunst)」というのは、デカダンスの芸術ということではなく、ドイツ民族の人種的な優越性を掲げる人種理論から、モダニズムの芸術、社会主義的な思想をもつ芸術、ユダヤ人による芸術等を否定するために公的に用いられていた言葉だった。美術の分野では、「退廃芸術」とされた表現主義、シュルレアリスム、キュビスムなども、今日では誰もがこの時代の傑出した芸術の潮流として認めている。音楽でも、例えばシェーンベルク、ヒンデミット、ストラヴィンスキーなど、「退廃音楽」というナチスのレッテルとは無関係に、音楽史のうちに不動の地位を獲得している作曲家もいる。しかし、シュレーカーにとっては、このことは後の時代の受容にとって大きく作用することになった。時代の流れからすると、シュレーカーはかなり運の悪い作曲家といえるかもしれない。作曲家として実力が認められたときに第一次世界大戦が始まり、20世紀初頭(とりわけ戦後のワイマール時代)にはあらたな音楽の潮流に翻弄され、そしてナチスの「退廃音楽」というレッテルによる否定のさなか1934年にこの世を去って、その後、長い間そのまま顧みられることがなかったからである。しかし、生前のシュレーカーの名声はダテではない。いま、彼のオペラ等の作品をあらためて聴くと、シュレーカーがいかに傑出した作曲家であったかということを強く感じざるを得ない。


■オペラ「烙印を押された者たち」の「前奏曲」
 「あるドラマへの前奏曲」は、第一次世界大戦後の1918年になって初演された彼のオペラ「烙印を押された者たち」のための「前奏曲」という位置づけの作品である。しかし、オペラで用いられている前奏曲は、この「あるドラマへの前奏曲」そのものではない。この作品は、オペラの実際の前奏曲として使われている部分を含みながらも、それをはるかに拡大した形式を備える独立した管弦楽曲となっている。時間で言えば、オペラの前奏曲よりも3倍の長さをもつ。
 「あるドラマへの前奏曲」は1913年に作曲が完成しているが、オペラが作曲されたのは1913年から1915年にかけてである。シュレーカー自身による台本(リブレット)は1911年かそれ以前には書かれており(そもそものきっかけは、ツェムリンスキーが「醜い男の悲劇」を自分のために書いて欲しいという依頼であったようだ)、主要登場人物や場面のための音楽上の主題は、この「前奏曲」の作曲の時点でかなりの程度出来上がっていたにせよ、ともかくオペラそのものはそのあとになって完成されている。この「前奏曲」が「あるドラマ」のためのものとされているのは、オペラができていないこの時点では、あくまでも自分が書いた「戯曲(ドラマ)」のためのものであるという意味合いがまずあるだろう。それとともに、実際のオペラの前奏曲そのものとはならないという含みを、「あるドラマへの前奏曲」というタイトルのうちにもたせていたのではないかとも想像される。ちなみに、シュレーカーは自分のオペラの台本は、ヴァーグナーのようにすべて自分自身で書いており、その意味でも彼のオペラ創作は、オペラ史の中でも特別の位置を占めているといえる。
 オペラがまだ発表される前にその「前奏曲」をウィーン・フィルの演奏会で初演するという状況にも興味深いものがある。上流階級の社交の場でもある新作オペラ発表に先立つこの「前奏曲」の披露は、今でいえば、新作映画を公開する前に作成されるトレーラーのような宣伝効果をもつものであったかもしれない。たしかにこの「前奏曲」では、まさに映画の「予告編」のように、オペラの話の筋の展開とは無関係に、印象的な主題が散りばめられ、独自の配置を与えられて構成されている。
 前奏曲や序曲は、オペラの内容を予示するものとして、オペラの中のさまざまな主題を用いることが多い。「あるドラマへの前奏曲」も、できあがったオペラ「烙印を押された者たち」を聴くと、主要登場人物の主題や特徴的な場面の音楽がそこに縮約されていることがわかる。しかし、それとともに、この曲は、独立した管弦楽曲として独自の形式性を備えたある種の絶対音楽のような作品として作り上げられていることが、一般的な「前奏曲」とは大きく異なる。さて、そのオペラ「烙印を押された者たち」の中身だが、次のようなかなり強烈な内容のものである。


■オペラ「烙印を押された者たち」のあらすじ
 イタリア北西部の港湾都市ジェノヴァ。町の有力な貴族の一人であるアルヴィアーノは、美と女性への強い憧れから、自らの財産をつぎこんで海に浮かぶ島を、噴水や彫刻を備えたすばらしい庭園「楽園(エリュージウム)」に作り上げている。だが、彼自身は背中が曲がり醜い容姿であるため、女性からは離れ、その島に足を踏み入れることもない。実は、この島の地下の広間には、性的狂乱(オルギア)のための洞窟(グロッタ)が作られており、貴族の友人たちはジェノヴァ市民の娘たちを誘拐してはそこに閉じ込めていた。この「楽園」は、もともとアルヴィアーノが考え出したものではあるが、彼は友人たちの目にあまる行状に我慢できず、この豪華な島をジェノヴァ市民に寄贈しようとする。悪事の露見を恐れる貴族たちは思いとどまらせようとするが、アルヴィアーノの考えは変わらない。相談している貴族たちのところに、美男子の貴族タマーレが遅れてやってくる。彼は、途中ですれちがった淑女を一目見て、恋の虜となっている。
 島の寄贈の意向を受けて、ジェノヴァ市長が娘のカルロッタを連れてアルヴィアーノの邸宅にやってくる。このカルロッタこそ、タマーレが一目惚れした女性であり、彼は情熱を込めて愛を伝えようとするが、カルロッタは手玉に取るように言葉を交わしながらも、タマーレをまるで相手にしない。アルヴィアーノの邸宅での食事のあと、カルロッタはアルヴィアーノと二人だけになったときに、自分は絵を描いており、とりわけ魂を描こうとしているのだと語る。そして、実はそれまでにすでにアルヴィアーノの絵を途中まで描いており、欠けている顔と眼を完成するために自分のアトリエに来てほしいと願う。最初は障がい者である自分をからかっていると憤っていたアルヴィアーノも、本気だとわかり承諾する。(第1幕)
 タマーレは、街で一番の有力者であるアドルノ公爵にカルロッタへの求婚の助力を求め、アドルノもそれに力を貸すことになる。タマーレは、求婚を断られた場合も、カルロッタを力でものにすると言う。
 一方、カルロッタは自分のアトリエでアルヴィアーノと二人きりになり彼の絵を描いている。カルロッタの話から、彼女は心臓を患っていること、そのために愛(官能の力)を抑えているということも明らかになるが、カルロッタは自分が描いているアルヴィアーノに対する愛の言葉を口にし、はじめはなかなかそれが理解できないアルヴィアーノもついにそれを受け入れて、二人の情熱はたかまる。しかし、それでもアルヴィアーノは最後の一歩を踏み出すことができない。(第2幕)
 「楽園」が開放されて、市民が島にやってくる。「楽園」は、古代ギリシアを思わせる牧神(パン)やバッカスの巫女など異教的でエロティックな雰囲気に満ち、信心深いまじめなキリスト教徒の市民たちにとっては受け入れ難いものに溢れている。市長とともにやってきたアルヴィアーノは、婚約したカルロッタの姿が見当たらないため落ち着かない。島を市に寄贈するということは、アルヴィアーノ自身の罪(地下洞窟のアイディア)を露呈させることにもなるが、自分自身は悪行に関わっていないので市民と市長の理解は得られると思っている。カルロッタは、絵を完成させて以来、自分に必要なものはアルヴィアーノからすでに与えられたと感じ、彼に以前のような魅力をみてとれない。彼女はそんな自分を忌まわしい存在だと感じている。島での祝祭の興奮の中で、タマーレはそのようなカルロッタをつかまえる。カルロッタは、タマーレに惹きつけられるように、二人だけの場所を求める。
 一方、アルヴィアーノのところには、タマーレの計略による告発で司法警察がやってくるが、島の寄贈により英雄視されているアルヴィアーノに対する市民の信頼は揺るがない。アルヴィアーノは、司法警察とのやり取りで事の次第を察し、市民を引き連れて地下の洞窟に向かう。カルロッタは意識を失ってベッドに横たわっており、その横にとらえられたタマーレがいる。カルロッタが自らの意志で身体を捧げたというタマーレの言葉をアルヴィアーノは「嘘だ」と否定しようとし、タマーレの言葉によって激情にかられたアルヴィアーノはタマーレを刺し殺す。タマーレの叫びで意識を取り戻したカルロッタに、アルヴィアーノは「愛する人よ」と声をかけるが、カルロッタはそれを退け、タマーレの名前を呼びながら息絶える。アルヴィアーノはそれを聞き、狂ったように呆然とした言葉を発しながら去ってゆく。(第3幕)


■作品の構成
 「あるドラマへの前奏曲」は、オペラ「烙印を押された者たち」の登場人物や物語の設定を表現する音楽であるとともに、実は全体がソナタ形式のような構成を備えた音楽として作り上げられている。
作品の冒頭、神秘的で繊細な伴奏音形(2台のハープ、ピアノ、チェレスタ、ヴァイオリンが二つの異なる調性で奏でる)にのって、ヴィオラ、チェロ、バスクラリネットによる瞑想的な旋律が始まる。この音楽は、オペラでは第2幕後半で、カルロッタがアルヴィアーノに愛を告白した後、彼に催眠術をかけるかのように語りかけ、絵の制作に没頭するときに使われている。二人とも、肉体的な制約にはばまれた、強い憧れと愛欲の力を暗く秘めている人物であり、その抑えられた強い感情が、付点を伴う跳躍の音形や、続くホルンの強奏(アルヴィアーノの主題)によって繰り返し表現されている。この部分が全体の導入部となっている。
 続いて、突然アレグロ・ヴィヴァーチェの早いテンポとなり、ここからがソナタ形式の提示部にあたる部分となる。最初の少しばかりおどけたような、しかし華やかな音楽は、オペラでは第3幕で楽園島がジェノヴァ市民たちにも公開され、そこで異教的な仮装行列による祝祭が繰り広げられている場面で使われているものである。そのあと、シンバルも伴う非常に晴れやかで情熱的な音楽となる。これは、輝かしく生命力に満ち溢れた若い美男子の貴族タマーレの主題である。これがいったん収束するところまでが、オペラの実際の前奏曲として用いられた部分にほぼあたり、そしてまた、この作品にとっては提示部の終結するところとなる。
 引き続き、展開部にあたる部分がはじまるが、ここでは提示部で現れた主題の展開だけではなく、あらたな不気味な音楽も現れる。ここは、第3幕の終盤、アルヴィアーノがジェノヴァ市民を地下洞窟に案内する舞台転換で用いられているスペクタクル的な音楽である。そこには、アルヴィアーノの暗い情熱の主題も絡み合っている。
このあと再びアレグロ・ヴィヴァーチェの音楽が始まり、ここからが「再現部」となる。かなりの程度、「提示部」と対応した音楽のあと、冒頭の主題が現れるコーダとなり、全曲が静かに締めくくられる。


初演:1914年2月8日、ウィーン楽友協会大ホール、フェリックス・ヴァインガルトナー指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団


楽器編成:
ピッコロ、フルート3、オーボエ3、コールアングレ、クラリネット4(4番はE♭クラリネット持ち替え)、バスクラリネット、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン6、トランペット4、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ(奏者2人)、シンバル、シンバル付き大太鼓、小太鼓、トライアングル、タンブリン、カスタネット、グロッケンシュピール、木琴、タムタム(銅鑼)、低音の鐘(テューブラーベル)、ハープ2、チェレスタ、ピアノ、弦五部


主要参考文献:
Christopher Hailey, Franz Schreker 1878-1934: Eine kulturgeschicht-
 liche Biographie. Böhlau, 2015.
David Klein, „Die Schönheit sei Beute des Starken“. Franz Schrekers
 Oper „Die Gezeichneten“. Are Musik Verlag, 2010.
Rudolf Stephan, „Zu Franz Schrekers Vorspiel zu einem Drama“, in: Otto Kolleritsch (Hrsg.), Franz Schreker. Am Beginn der neuen Musik,
 Universal Edition, 1978.
Th. W. アドルノ(岡田暁生・藤井俊之訳)『アドルノ音楽論集 幻
 想曲風に』法政大学出版局、2018年


*シュレーカーを研究している声楽家・田辺とおる氏との対話、論文から、多くの教示・気づきを得た。また、多くの貴重な文献についても協力いただいた。

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