ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ
「親当てクイズ」が物語るもの
1911年5月9日、パリ8区ラ・ボエシ通りにあるコンサートホール「サル・ガヴォー」で開かれたさる会合で、8曲からなる15分ほどの新作ピアノ曲が発表された。ワルツ集「高雅で感傷的なワルツ」が生を享けた瞬間だったが、作曲者名は「X」とされて演奏後にそれを当てる趣向が採られた。生まれたての子の顔を見て父親を当てろということだ。あまり良い趣味ではない(笑)。この会は「独立音楽協会」といい、ラヴェルが前年に組織したもの。その時の第1回演奏会ではピアノ連弾曲「マ・メール・ロワ」が同じホールで初演されている。当然彼と彼の作品にはなじみの深い人々が——批評家や演奏家も含め——当日集まっていた。が、そうしたメンバーを以ってしてもこの「親当てクイズ」の成績は芳しいものではなく、ラヴェルの作品と言い当てたのは諸説あるが半数前後。サティやコダーイの名まで挙がって、演奏者のルイ・オベールをして失望も憤慨もさせた(ラヴェル本人の反応は記録されていない。サティは自分の名が出たことを知って立腹し、意趣返しの作品を後に発表した)。
この結果を意外に思うかも知れない。が、同時代作曲家の最新作を受け入れる機会の少ない現在の基準で捉えては、事の本質も見誤りかねない。いま我々はこの作曲者の生涯を俯瞰し、全作品を知ることで彼の作風やその変遷を念頭に全てを判断できる立場にある。もしこのワルツ集を初めて耳にしたとしても、一聴して「ラヴェルの作品だ」と判断できる可能性は高かろう。初演に居合わせた100年以上前の人々と同じ意識の次元に立つことは難しいのだ。例えばこのワルツの中には彼の代表作のひとつである「ラ・ヴァルス」を思わせる動機が現れる。未知の作品の作曲者を導き出す大きなヒントになり得る要素に違いない。だが、この大規模なワルツが完成するのは1920年。9年後のことで、ラヴェルにとってさえ未知というべき情報なのである。生きている限り、人は自己の置かれた時空に限定された、過去からいま現在まで以上の何ものをも経験出来ない。1911年5月時点で「高雅で感傷的なワルツ」を聴いた人々に与えられた判断材料はそれまでに創造された作品の情報しかあり得ず、しかも同時代に生きる作曲家たちが、これまでとは一転した作風をにわかに打出してくる可能性も想定しなければなるまい。となればこのクイズは結構な難問に思えてくるのだが如何であろうか?
バレエ隆盛のパリで
この作品を書いた時点でラヴェルは36歳。ディアギレフ率いるバレエ団(バレエ・リュス=ロシアバレエ)の為に「ダフニスとクロエ」の仕上げに追われていた。前年に上演する計画がディアギレフとの意見の齟齬によって改作を余儀なくされていたためである。更には「マ・メール・ロワ」もバレエ用管弦楽版に改編するという多忙の渦中にいた。1910年から1913年までの4年間だけでもこのバレエ団は、ストラヴィンスキーの三大バレエとラヴェルの大作のような、20世紀を代表する作品を次々に毎年上演している盛況を示しており、「ペトルーシカ」が上演されたのは例の親当てクイズから僅か1か月後。当時のパリに於けるバレエ隆盛の空気を想像するのは難しくない。
「サル・ガヴォー」で初演を聴いたバレリーナ、ナターシャ・トルハノーヴァ(キーウ出身という)の委嘱によって、ワルツ集がバレエ音楽として管弦楽曲に改編される運びとなったのもその反映と見るべきであろう。ラヴェルはこのオーケストレーションを初演翌日から僅か2週間ほどで完了させる。更にそれに飽き足らず、「アデライード、または花言葉」と題して自らバレエの台本を書く頑張りを見せる。ラヴェルにとっても例が無いが、その意図はいまわからない。このバレエは翌1912年4月22日にトルハノーヴァが主宰するバレエ団によって上演されたが、指揮は作曲者自身が行っている。これが前述した「ダフニスとクロエ」上演の僅か2か月前。「手あたり次第」にバレエの興行が行われていた印象で、またその為の音楽がどれほど渇望されていたかを垣間見る思いがする。
さて、ラヴェルがその折にものしたその台本だが作品への理解の為、以下に曲ごとの情景とストーリー概要を示しておこう。
高級娼婦のアデライードを巡る、なじみの「男爵」と新参者のロレダンとの、花言葉を介した恋の駆引きがテーマ。花言葉がストーリー展開のキイとなっているが、同じ花に関するそれにも、正反対ともとれるような複数の内容を含む場合がある。ここではストーリーの展開に沿った意味の花言葉を選んで示すことにする。
1820年前後のパリにあるアデライードの館が舞台。ステージの背景には窓があり夜の庭を望む。舞台両袖には様々な花を活けた花瓶が円卓上に置かれる。
1:Modéré(中庸の速さで)*オランダ水仙⇒花言葉は危険な快楽
館での夜会。踊る男女や会話を愉しむ人々など大勢が集う。その間を巡った後アデライードはオランダ水仙の香を嗅ぎ、胸に吸い込む。
2:Assez lent(充分に遅く)*きんぽうげ⇒名誉
客のひとりである陰気な印象の男ロレダンが、アデライードにきんぽうげの花を捧げる。愛情を示された彼女は妖艶な姿態を彼に見せ、男女の駆引きが展開される。
3:Modéré( 中庸の速さで )
彼女はきんぽうげの花びらを1枚ずつちぎって花占いを行い、ロレダンの愛情の真摯さを知る。ロレダンも同様の占いをすると反対の結果。アデライードはいま一度やり直しをロレダンに求める。今度は望みどおりの見立てとなる。
4:Assez animé(充分活発に)
花占いの結果を受け、アデライードとロレダンは親密に踊る。そこに男爵が入って来る。彼女は動揺を露わにする。
5:Presque lent(ほぼゆったりと)*ひまわり⇒貴方を幸せにしよう
男爵はこの娼婦にひまわりの花束と、ダイヤを散りばめた首飾りを贈る。
6:Vif(活発に)
男爵がアデライードに示した姿勢にロレダンは絶望し、アデライードに翻意を迫るが拒絶される。
7:Moins vif(活発過ぎずに)
男爵は退出前にワルツを踊ることを彼女に申し入れるが、アデライードは拒絶し、当てつけるようにロレダンを誘う。最初は及び腰のロレダンも最後はアデライードの誘惑に屈し受け容れる。
8:Épilogue: lent(終曲 緩やかに)*アカシア⇒友情 *白い芥子⇒忘却 *赤い薔薇⇒貴方を愛する
宴は果てて客はみな退場。3人だけが残る。そこで男爵は再びアデライードに迫るが、彼女はアカシア(お友達でいましょうの意)を男爵に手渡す。ロレダンには白い芥子の花を示す。男爵は立ち去り、一方のロレダンは悲嘆にくれて「忘却」を示す花を受け取らずに退出。
その後アデライードはバルコニーに出て再び水仙の香りを吸う。そこにロレダンがよじ登ってやってくる。彼はアデライードに駆け寄るとその足元に伏して拳銃を自分のこめかみに押し当て、彼女への想いのたけを示す。
アデライードは微笑んで胸元から赤い薔薇を取り出す。意に気づくロレダン。二人は抱擁し合い、静寂の中でこの短い物語は終わる。
本質の変容か?
ラヴェルがこの作品を創作するに当たって念頭に置いていたのは、シューベルトが遺したピアノのためのワル ツ集だった。この夭逝した作曲家は仲間の集う場で即興的に短いワルツ(ウィーン発祥のレントラーというべきだろうが)を弾くことを常としていた。そうした結果として彼の遺した作品集に「感傷的なワルツ集“Valses sentimentales”」(D 779 1823-1825年)や「高雅なワルツ集“Valses nobles”」(作品77 D 969 1824年)と題されたものが含まれている。「高雅で感傷的なワルツ」という曲名の由来はここにあり、且つシューベルトの作品のモチーフに基づいた展開を示している部分も見受けられる。とすれば、この偉大なる先達の作品に対するオマージュ(敬意)とさえ言えるのではあるまいか。
だがこれがバレエ音楽としてストーリーが付帯された時点で、その性格は大きく変貌したように思えてしまう。歌曲に譬えれば詞(詩)が先にあってそれに合致するメロディを創るのに対し、この場合はある意図を以って既に出来上がった旋律に、本来関係性のない詞を当てはめる形にあるということだ。いわば作品の「転用」であり、もはやシューベルトとの関連は希薄な上にも希薄である。とすれば「高雅で感傷的なワルツ」の曲名はあくまで当初のピアノ作品に対して付されたものであって、その後の改編によって生み出された管弦楽作品名としては作曲者本人が改めて題した「アデライード、または花言葉」こそが本来ふさわしいように思えてくる。
実は初演時の曲名には「アデライード」の副題がつけられてはいる。これを以って作曲者が当初より既にバレエ音楽へのストーリー展開を構想していたとの見方もあるようだが、それがどの程度の具体性を伴っていたかは全く不明。副題は所詮副題に過ぎぬ。事実ラヴェルが遺した他のバレエのための作品は「ダフニスとクロエ」のように台本に沿って当初より作曲されるか、もしくは「マ・メール・ロワ」のごとくそもそもストーリー性を以って創作された音楽に合わせてバレエの振付が行われており、この曲のような曖昧さを含む例はほかに無い。
管弦楽で聴くこの作品が、こうした異例と変容の果てにいま我々の前にあるという事実を、或いは心にとめおくべきなのかもしれない。
初 演:1912年4月22日 作曲者指揮 シャトレ座(パリ)
管弦楽のみ1924年2月15日 ピエール・モントゥー指揮サル・デュ・カジノ・ド・パリ
楽器編成:フルート2、オーボエ2、コールアングレ、クラリネット2、
ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、
テューバ、ティンパニ、トライアングル、小太鼓、タンブリン、シンバル、大太鼓、グロッケンシュピール、チェレスタ、ハープ2、弦五部
主な参考文献
平島正郎『音楽大事典』「ラヴェル」の項 平凡社 1983年
三善晃/石島正博『ラヴェルピアノ作品全集』第3巻 全音楽譜出版社 2007年
真田千絵「M.ラヴェルの『高雅で感傷的なワルツ』の研究
『こども教育宝仙大学紀要』2012年
野平多美「優雅で感傷的なワルツ」スコア解説 全音楽譜出版社 2024年
「高雅で感傷的なワルツ」Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki
「音楽図鑑Clssic 高雅で感傷的なワルツ」https://www.asahi- net.or.jp/~qa8f-kik/Ravel/Analyze/08_Valses_ nobles_et _sentimentales/index.html(アクセス日はすべて2024年2月15日)