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オネゲル:交響曲第3番「典礼風」

山口 奏子(オーボエ)

世界中で次々と憂慮すべき事態が起きている今、「Dona nobis pacem(ドナ・ノービス・パーチェム;我らに平和を与えたまえ)」という祈りの言葉は、切迫感を持って我々に迫ってくる。

オネゲルは、1945年1月から1946年4月にかけて書いた交響曲第3番「典礼風」第3楽章の副題として、この言葉を採用した。
交響曲自体の副題であるLiturgiqueは「典礼風」または「礼拝」とも訳される。キリスト教の儀礼で用いる音楽をモチーフにしているように思われるかもしれないが、オネゲルは、この形容詞を「交響曲の宗教的性格を表すために用いた」と語っている。また、各楽章にはいずれもカトリックのミサで用いられる典礼文に関係する副題(Dona nobis pacem含む)が与えられているが、これも彼自身の“個人的な感情を表す考え”であり、それぞれの音楽が典礼を直接的に表しているわけではない。
自ら記したプログラム・ノート(1948年)で、「私の交響曲はドラマであり、3人の実在の、または象徴的なキャラクターが登場するとも言えよう。不幸、幸福と人である。これらは永遠のテーマだ」と解説しているとおり、本作品では、巧みでドラマ性のある構成や旋律により、彼が同時代の聴衆と共有したかった感情や考えが、副題がもたらすイメージとともに鮮やかに表されている。

■オネゲルの交響曲
劇的詩篇「ダヴィデ王」をはじめとする大規模声楽曲や「パシフィック231」「ラグビー」などの管弦楽作品で成功を収めたこともあってか、オネゲルの全部で5つの交響曲は、音楽史上、彼の作品として残念ながらあまり注目されないジャンルとなっている。しかし本人は、交響曲について「最も厳粛で厳正」な、真剣に取り組むべきものと捉えていた。そして、中でも第3番は自らの能力が最高潮にあった時の自信作とする、彼自身のお気に入りの作品といわれている。
オペラやオラトリオ、映画音楽などの作曲を通じた舞台芸術への深い造詣、また同時代の作曲家や指揮者ら様々な芸術家との親交を経た後となる、創作活動の最終段階に作曲されたことからも、交響曲がオネゲルにとっての一種の到達点であったと思われる。
5つの交響曲は第1番から第5番まで順に1930年、1941年、1946年、1946年、1950年に作曲(完成年)されており、いずれも3つの楽章で構成される。自身の交響曲に「絶対的な均衡」を備えた構築性を求めたオネゲルは、常に中心となる第2楽章から作曲を開始したという。なお、交響曲は全て委嘱作品である。

■聴衆への視線
オネゲルは、「私は20世紀の人間だ。生きている言語を話す」と語り、作曲にあたって、その音楽が同時代の一般大衆に受け入れられることと、音楽通の人々にもその価値が評価されることの両方を重視した。そして、美しい旋律線や転調、主題の重なり合いといった音楽的要素を通して、聴き手と「普通の人間らしい考え」を共有しようと考えていた。
テクニカルには、当時の音楽界にあった十二音技法のような難解で“独断的な”作曲技法には異を唱え、無調性や不協和音をむしろ柔軟に取り入れながらも中心音が聞き取れる(人間の耳が本能的に知覚できる)部分を確保した。そして、豊かで、流れのある線としての強さや個性を備えた旋律を多層的に組み合わせ、ドラマ性とともに伝統的な構造や均衡のとれた構造も大切にした。
確かに、本交響曲第3番でも、不協和とも感じられる層の厚い音の重なりの中に、力強い旋律が組み込まれている。

■楽章解説
1948年と1950年に書かれたオネゲル自身によるプログラム・ノートや、オネゲルが遺した文書(1954年)などに本作品に関する記述があるので、やや長くなるが、やはり作曲者本人の言葉として、ここで紹介したい。引用箇所を太字で示す。

第1楽章 DIES IRAE(ディエス・イーレー;怒りの日)Allegro marcato

 神の怒りに直面した人類のおののきを描写したかった。むなしく宿命の残酷な網から逃れようとする迫害された未開な集団の粗野で永遠の感情を運命の枝に委ねたかった。怒りの日!(1948年)

 力の爆発とすべてを破壊する憎悪は瓦礫と廃墟以外何も残さない。(1950年)

基本的にはソナタ形式といわれる。「提示部 − 再現部 − 終結部」という構成で、明らかな展開部を欠くが、再現部に展開的な性質が見られる。
冒頭は低音から始まる弦楽器により奏される「人類の騒動の主題」。続いて管楽器がけたたましく警笛を鳴らす。種々の暴力の主題が続く中、高音楽器が、2分の2拍子の拍の上で実質的に4分の7拍子や4分の6拍子のフレーズを奏で、混乱をもたらす(演奏者も混乱…)。さらに墜落や不安を想起させる主題が繰り返され、「ヴェールで覆われた鳥の主題」とされる、不安を感じさせる旋律が長く続く。そして「人類の騒動」が再び現れ、暴力の主題をはじめとする既出の主題が代わる代わる展開的に示され高揚する。
楽章の最後は、「鳥の主題」がトロンボーンとテューバのユニゾン、そしてフルートとコールアングレにより演奏され、徐々に鎮まっていく。
なお、「鳥の主題」は、雰囲気を変えながらもこの後の楽章全てに現れるため、同一の要素で各楽章に統一性を持たせる「循環形式」を採っているといわれる。
*「怒りの日」は死者のためのミサ(レクイエム)で歌われる(唱えられる)典礼文。


第2楽章 DE PROFUNDIS CLAMAVI(デ・プロフンディス・クラマヴィ;深き淵より我は叫びぬ) Adagio
この交響曲発想の核となる主題が、創作の当初からDe profundis clamaviの言葉とともに形作られたという。

 第2楽章は神に見捨てられた人の苦しみの瞑想(1948年)

 より高い力へ腕を伸ばし、魂の奥では未だ純粋で高潔なものを捧げようと願う嘆願(1950年)

 人類に残っている純粋さ、明晰さ、信頼などのすべては我々が我々を超越していると感じる力に向かう。その力とは神、多分、又は我々の一人一人が魂の秘密の深奥に情熱と共に持っているものである。(1954年)

これも基本的にはソナタ形式で、「導入部 − 提示部 − 展開部 − 再現部 − コーダ部」となっている。抒情的で苦悩や憂いを表す旋律がゆったりとした3拍子に乗せて様々に提示され重なってゆく。楽章の中頃で主題であるDe profundis clamaviの主題が低音楽器によって登場し、絡まりながら次第に高音楽器まで引き継がれる。
最後は平和の約束を象徴する「鳥の主題」がはっきりとフルートにより奏され、「死に絶えた煙る都市、夜が明ける、汚れを知らぬ鳥が喜びに満ちて廃虚の上をさえずる」(1948年)。
*「深き淵より我は叫びぬ」は旧約聖書詩篇130にある言葉。死者のためのミサ曲にこれを含むものがある。


第3楽章 DONA NOBIS PACEM(ドナ・ノービス・パーチェム;我らに平和を与えたまえ) Andante - Adagio

 絶望は悪しき忠告者である。(中略)第3楽章の最初で私が表現したかったのは、まさに集団的な愚かさの台頭である。私は重々しい行進を想像し、そのために故意に馬鹿げた主題を考え出し、バス・クラリネットに最初に奏でさせることにした。(1948年)

 交響曲は、友愛の精神と相互的な愛の中では人生はいかなるものになり得るかというユートピアの喚起で締めくくられる。(1950年)

 世界で馬鹿げた物事が発生するのを避けることはできない:国粋主義、軍国主義、官僚主義、政府、関税、諸税、戦争など人類が人類を迫害し、品位を下げ、ロボットにしてしまうために発明した全てのものである。最終的に、“我らに平安を与えたまえ”というこの絶望の叫びに駆り立てる恐るべき愚かさである。そして、それは人生がどうあり得るかについての短い瞑想で終わっている:穏やかさ、愛、喜び-鳥の歌、自然、平和。(1954年)

この楽章は前半の提示部に続き、後半の展開部からコラールと鳥の主題によるコーダ部で締めくくられる。
はじめに馬鹿げた「ロボット化の主題」がバスクラリネットとコントラバスにより提示される。両者の旋律の動きは上下逆になって音型がアーチの形を描く。ホルンが「暴動の主題」で被害者の反抗意識で暴動が組織される様を示す。大きな叫び(Dona nobis pacem)、高所から墜ちて行くようなクロマティックな木管楽器とピアノの音型が繰り返され、暴動が激しくなる。
最後は「忍耐の限界であるかのように、ついに平和への願いが無秩序の恐怖に打ち勝ったかのように」(1948年)、優しくゆったりと静かなコラールが流れる。そしてフルートによる「鳥の主題」が、バイオリンソロの「深き淵より我は叫びぬの主題」を挟んで最後のピッコロによる「鳥の主題」に受け渡され、また「深き淵…の主題」がかすかに姿を見せ、静かに、続きを予感させるような和音で曲を閉じる。
*「我らに平和を与えたまえ」はミサで必ず歌われる(唱えられる)典礼文。ハ長調。

■楽譜表記について
オネゲルはスコアの記譜において移調楽器を実音(in C)で記し、読みやすくしている。また、強弱記号はスコア全体の中の一箇所(弦楽器の段の上)にのみ記載し、オーケストラ全体の強弱を示している。マーラーのように楽器ごとに強弱が細かく(しかも異なる強弱を)指定されないため、演奏時に、うっかりつられて pp を f で演奏してしまうようなことは起きにくいが、重なり合う旋律の中でどのようにバランスを取るのか、演奏する側にとってはむしろ難易度が高いようにも思われる。

初 演:
1946年8月17日 スイス・チューリヒにて シャルル・ミュンシュ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団
*スイスのプロ・ヘルヴェティア労働協会から委嘱を受け作曲、シャルル・ミュンシュに献呈された。

楽器編成:
フルート3(3番はピッコロ持ち替え)、オーボエ2、コールアングレ、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、大太鼓、中太鼓、シンバル、トライアングル、タムタム、ピアノ、弦五部

参考文献:
生島美紀子解説「オネゲル 交響曲第3番《典礼風交響曲》」全音楽譜出版社 2019年
生島美紀子「音楽のリパーカッションを求めて アルチュール・オネゲル《交響曲第3番 典礼風》創作」行路社 2007年
「名曲事典」音楽之友社 1969年
Richard Whitehouse記CD解説「Arthur HONEGGER Symphony No.3 ‘Liturgique’/ Pacific 231 / Pastorale d'été /Rugby; New Zealand Symphony Orchestra, Takuo Yuasa」NAXOS
英語版Wikipedia 「Officium Defunctorum (Victoria)」 https://en.wikipedia.org/wiki/Officium_Defunctorum_(Victoria)(アクセス日は2024年5月27日)

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