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ヤナーチェク: 歌劇「利口な女狐の物語」組曲

岡田 充子(フルート)

ヤナーチェクは「シンフォニエッタ」や「タラス・ブーリバ」で有名だが、「利口な女狐の物語」はそれほどでもないかもしれない。1923年に完成してブルノで初演されたあと長く演奏されていなかったが、1970年代にチェコ以外でも演奏されてから次第に知られるようになり、21世紀になってからもっと演奏されるようになっていった。可愛い動物や虫たちが出てくるお話であり、子供たちにも人気だが、その内容はむしろ大人向けであり、ヤナーチェクの死生観も表している。
ヤナーチェクは1854年にチェコのモラヴィア地方のフクヴァルディという村で生まれた。チェコはスメタナ、ドヴォルザークの出身地ボヘミアとモラヴィアの二つの地域があるが、ボヘミアがドイツ、オーストリアのような西洋文化の影響を強く受けているのに対してモラヴィアは田園地帯が広がり自然が豊かで民族的な文化が強い地域である。
11歳からモラヴィアの中心都市ブルノで教育を受けた後、プラハのオルガン学校でも学んだ。さらに1879年から1880年にかけてライプツィヒとウィーンでも学んでいる。その後、教員や合唱指揮者をし、1881年にブルノにオルガン学校を創設して校長になった。それまでは合唱曲くらいしか作曲していなかったが、1884年頃からオペラの作曲も始めた。その頃からモラヴィアの民謡の収集も始め、作曲家というよりはむしろ民謡の研究家として知られていた。1904年にオペラ「イエヌーファ」を初演し、1916年に上演された改訂版が大好評で、ようやく作曲家として成功を収めるようになった。そして1917年に38歳年下の、夫と子供のいる若い女性カミラ・ステスロヴァと出会った。妻との関係はずっと冷え切っていた上子供たちを早くに亡くしたヤナーチェクにとって彼女は強い愛の対象となった。亡くなるまでの11年間に700通もの手紙を送っていたが、その間にその感情を音楽に変えて彼のもっとも重要な作品が作られた。「利口な女狐の物語」はこの期間の1923年に完成した。

自然や動物(虫たちも)を愛していたヤナーチェクは、1897年頃から動植物や風の音などの自然の中で聞いた音を音楽として書き留めるようになった。1921年には生まれ故郷フクヴァルディの別荘を買い取り、多くの動物を飼ったり森や田園の散策をしたりした。また国民オペラの特長として民族の伝承や伝説を取り入れる、民族特有の旋律やリズムを使う、母国語を使うということがあるがヤナーチェクは次第に国民オペラから少し離れ、初めに言葉ありきでチェコ語のイントネーションに合わせて音楽を付けたり、自然や動物の音を使っていったので、曲中時々不思議なメロディや響きが聞こえる。

オペラ「利口な女狐の物語」は3幕からなっている。主人公の女狐ビストロウシカ(Bystrouška)の名前はチェコ語のbystrý(抜け目ない、頭が良い、利口なという意味)から来ている。

■第1幕
第1場:
森の峡谷に動物や虫たちがいるが、そこに森番がやってきて居眠りする。彼の血を吸った蚊を捕まえようとしたカエルに子狐のビストロウシカが手を出すと、カエルは森番の上に落ちて森番は目を覚ます。森番は子狐を見つけて捕まえ家に連れ帰る。

第2場:
森番の家でビストロウシカは、自分にいたずらした森番の子供にかみつき縛られる。飼われている雌鶏たちに「女も虐げられて働く時代は終わった」と演説するが相手にされず、鶏たちを殺して逃げだす。
被抑圧者に共感し、ロシアに傾倒していたヤナーチェクは当然その頃出てきた共産主義的な思想にも触れていたと思うが、この演説する颯爽とした女性像はカミラのイメージを重ねたのかもしれない。

■第2幕
第1場:
森に戻ったビストロウシカは穴熊の巣穴を見つけ、穴熊をうまくだまして追い出し自分の住処にする。

第2場:
村の居酒屋で校長や神父が森番とトランプをしながら、テリンカという女への校長の片思いや女狐の話をする。

第3場:
森の中を3人が帰る途中ビストロウシカがテリンカの振りをして校長をからかう。森番がビストロウシカに気づき発砲するが当たらない。

第4場:
ビストロウシカは美しい雄狐に出会い恋に落ちて結婚する。

■第3幕
第1場:
行商人が森番に、校長の思い人テリンカと結婚すると話す。行商人は死んだウサギを見つけ罠を仕掛けるが、ビストロウシカが気づき、子供たちに気を付けるように言う。行商人が狐たちを捕まえようとするが、ビストロウシカがおとりになり、その間に子供たちが行商人の持ってきた鶏を食べてしまう。しかし怒った行商人が撃った弾に当たり、ビストロウシカは死んでしまう。

第2場:
村の居酒屋で校長はテリンカが今日結婚すると嘆き、森番が慰めて自分たちも年を取ったと言う。

第3場:
森番は帰り道、森の中で眠ってしまい夢を見る。目を覚ますとビストロウシカそっくりの子狐に気づき「お母さんにそっくりだ」と言って捕まえようとするが、捕まえたのはカエルだった。「またお前か!」と言うとカエルは「それはぼくのおじいちゃんだよ。その話は聞いているよ」と言う。

この物語は、モラヴィアの地方の新聞に連載されていた絵と物語を、ヤナーチェクが自分で台本を書きオペラにしたもので、原作では第2幕の結婚式で終わっていて、第3幕はヤナーチェクが自分で創作した部分である。オペラの最初では人間の言葉を動物たちはわかるが、動物の言葉を人間は理解できない。しかし最後の場面で森番は、カエルの言うことがわかり、人も動物も生まれては死んでいき、またその子供たちの世代へと続いていくという輪廻転生のような考えを理解して感銘を受ける。ここにヤナーチェクの永遠に続く生命の連続に対する畏敬の念がこめられているようだ。ヤナーチェクはこの第3幕第3場の最後の部分の音楽を自分の葬儀で流してほしいと希望し、実際に演奏された。

本日はよく取り上げられるターリヒ編曲の組曲前半とイーレク編曲の一部カット版を続けて演奏する。ターリヒ版はほとんど第1幕の途中までしか入っていないが、イーレク版は第1幕第2場から最後までのオーケストラのみの部分が中心になっていて、合わせて聞くとこのオペラのだいたいの音楽がお聴きいただけると思う。
この組曲は心和むのどかな田園風景や森とそこに暮らす生き物たちの描写が中心になっているが、そのため静かで澄み切った音や少人数での繊細なアンサンブルが多く、演奏する側にとってはとても難しい。美しい情景や生き生きとした動物や虫たちの動きを思い浮かべて聴いていただければ幸いである。


初演:
1924年11月6日 ブルノ国民劇場にて フランチシェク・ノイマン指揮 オタ・ズイーテク演出

楽器編成:
フルート4(3、4番はピッコロ持ち替え)、オーボエ2、コールアングレ、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット3(3番はコントラファゴット持ち替え)、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、木琴、グロッケンシュピール、トライアングル、タムタム、シンバル、大太鼓、チェレスタ、ハープ、弦五部

参考文献:
石井不二雄記レコード解説「Leoš Janáček Příhody lišky Bystroušky Lucia Popp・Eva Randova ・Dalibor Jedlicka Vienna Philharmonic Orch. Sir Charles Mackerras」London
イーアン・ホースブルグ(和田旦・加藤弘和訳)「ヤナーチェク - 人と作品」泰流社 1985年
長木誠司「オペラの20世紀 夢のまたゆめへ」平凡社 2015年 
Wikipedia「利口な女狐の物語」「レオシュ・ヤナーチェク」
https://ja.wikipedia.org/wiki/利口な女狐の物語
https://ja.wikipedia.org/wiki/レオシュ・ヤナーチェク
「都響スペシャル(6/29)」
https://www.tmso.or.jp/j/concert/detail/detail.php?id=3783
「Leoš Janáček」
https://www.vitava.rozhlas.cz
「Vilka pod Babí hůrou. Památník Leoše Janáčka v Hukvaldech」
https://www.classicpraha.cz/radio/porady/slavna-auditoria/vilka-pod-babi-hurou-pamatnik-leose-janacka-v-hukvaldech/
(アクセス日:2024年7月29日)

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