指揮者 城谷正博氏に聞く
新国立劇場で「ウィリアム・テル」の新制作公演が間近に迫っていた11月下旬、リハーサルでお忙しい中、初台にて城谷さんにお話を伺うことができました。
音楽、オペラとの出会い
あんまり昔から話すと長くなっちゃうんですけどね(笑)。ピアノはずっとやっていました。中学・高校では吹奏楽でクラリネットを吹いていて、高校2年生のときには吹奏楽部で学生指揮者もやりました。中学のときに、後輩(作曲家の川島素晴さん)からメシアンの「トゥランガリーラ交響曲」のスコアを見せられ、以来メシアンにはまってしまって、よく「メシアン風」のフーガなどを書いていました。
マーラーも好きですね。中学3年の頃、ちょうどマーラーの交響曲第7番のスコアが出版されました。授業中なんかも夢中で読んでいましたね。第6番のスコアはなかなか出版されなかったんですよ。待たされたこともあり、その後は第6番にもはまりましたね。
習っていたピアノの先生にモティーフを与えられて即興で作曲し、譜面に起こすということをレッスンでやっていて、そういうことが好きだったこともあり、大学では作曲科に入学しました。特に作曲家になりたかった訳ではなく、教員になろうと思っていました。
大学時代、作曲科の同僚の新作初演などを指揮することも多く、そのとき「人と一緒に音楽をやるほうが性に合っているな」と思って、大学4年生のときに、佐藤功太郎先生に指揮を習い始め、後に指揮科に再入学しました。
佐藤先生のアシスタントとして様々な曲に取り組む中で、二期会の「魔笛」のプロダクションに入ったことがオペラへのきっかけでした。22歳のときでした。そこからはオペラにどっぷり浸かっています。 1997年に新国立劇場ができて、佐藤先生が翌年「ヘンゼルとグレーテル」を取り上げたときにアシスタントとして同行したことで、新国立劇場とのご縁ができました。 ワーグナーとの出会いは、1996年に大野和士さんが二期会で「ワルキューレ」を振ったときにアシスタントとして付いたときに感化されたことがきっかけです。
飯守先生の思い出
2000年に東京シティフィルでコンサート・オペラをやったときに、飯守先生からアシスタントとして指名していただいたことがきっかけですが、これまでの佐藤先生の指揮とは真逆で本当にびっくりしました。「ラインの黄金」第1場のラインの乙女のアンサンブル稽古を担当し、しっかりとリズムやハーモニーなどを合わせてから飯守先生の練習に臨んだところ、「合いすぎています!」と言われ、カルチャーショックでしたね。「合っていてはいけない。でも合ってなくちゃいけない」と。オーケストラでも実際に前奏を聴いたとき、クラリネットのたゆたうリズムとチェロの動きが合わないけれども、大きく広がる立体感に本当に感銘を受け、そういう世界観を知りました。そこからは「飯守狂」ですね。また、飯守先生はとても繊細な方でした。オペラの現場でも歌手と呼吸が合わなくて喧嘩のようになることもよくありました。そんなとき、飯守先生は結構落ち込まれるんですよね。練習の録音を聴いて反省されることも。本当に熱心で繊細な方でした。
今回の演奏では飯守先生のライトモティーフの表出方法、裏拍に対するこだわりなど、独特の味わいも取り入れつつ、アンサンブルの良さなどの自分なりの路線も加えていきたいと思っています。
作品への想い
−— 「わ」の会の設立のきっかけは「ジークフリート」今回の「ジークフリート」は、新響のコンサートのために城谷さんが特別に編成してくださいました。
「ジークフリート」は私自身もすごく思い入れのある作品です。2011年、ワーグナー協会の例会で「ジークフリート」の第1幕を上演すべく準備していました。3月20日に公演する予定だったのですが、震災により中止になってしまいました。地震が発生したとき、この公演の練習中だったのです。後に代替公演を行うことができて、これが「わ」の会の発端となりました。ですから「わ」の会は「ジークフリート」から始まったんです。その頃から「ジークフリート」は大好きでしたね。この公演には片寄さんも出演されています。
2017年に新国立劇場で飯守先生が「ジークフリート」を取り上げたときにも関わりました。また、オーケストラをエレクトーンに置き換えた「ジークフリート」抜粋も上演したことがあります。宮崎などでも公演し、その時には升島さんもミーメ役で出演されましたよ。エレクトーン版のリハーサルのときにはステファン・グールドも来ていたのですが、その音色に驚いていましたね。エレクトーンは日本が発祥で、ヨーロッパではあまり見かけることがないのでしょうね。
このように、「ジークフリート」とは事あるごとに関わっています。そういうこともあり、今回「ジークフリート」を提案いただけたのはとても嬉しいですね。
抜粋箇所のこだわり
—− 「ジークフリート」はエンターテインメントとして楽しんでもらいたい第1幕の抜粋はまさにエレクトーン版で升島さんと一緒にやったときと同じ箇所です。
エレクトーン版のときは、第3幕は「ブリュンヒルデの目覚め」の箇所から始めました。今回抜粋箇所を検討するにあたって最初は、第3幕全部をやりたいと思っていたんです。前奏の部分の飯守先生の指揮を見て、普通に振っているだけなのにものすごい音楽が出てきていてショックを受けたこともあって、冒頭部分からやりたいなと思っていました。でも第3幕全部やると80分くらいかかるんですよね。コンサートですので、少し抜粋が必要かなと思いました。オーケストラでやるなら、第3場の前の炎をくぐる場面からやりたいなと思い、この場面から始めることにしました。ですので、第1幕と第3幕の抜粋箇所はすんなり決まりました。
さて、第2幕はどうしようかなと悩みました。私は、いわゆる「森のささやき」のオーケストラ版が、2管編成に縮小していることもあって好きではないのです。今回せっかくフル編成で取り上げることができるので、全曲からの抜粋にしたいと思いました。コールアングレを使った葦笛の場面など、ジークフリートのたどった足跡をそのまま取り上げて、場面を紹介するために字幕の助けも借りながら、お客さまにエンターテインメントとして楽しんでもらいたいと思っています。第1幕の剣を創る過程なんかも楽しいですよね。
深すぎて夜も眠れないライトモティーフ
ところで、第3幕は難しいですね。2009年に「ラインの黄金」を取り上げた時にも、知ってはいたけど、深く理解できていなかったなと思い、そこからがっちり取り組んだのです。男女の心情の機微などを様々なライトモティーフを用いて表現していますからね。そのものずばりではないものもあります。突然、大蛇のテーマが出てきたりするのも、「怖いもの」の象徴として使われています。「私の目が怖くないの?」と挑発している訳ですね。
ワーグナーはライトモティーフを様々に変形・派生させて作ります。例えば、6度の音程で共通していながら表す対象は異なっているなどです。恐らくワーグナーも綿密な設計をして、ライトモティーフを用いた物語を構成していると思います。深すぎてこれを研究していると本当に夜も眠れないですね。
ローゲがすべてを支配している!?
今回「ニーベルングの指環」を取り上げるにあたって、こだわりたいところは、「ラインの黄金」に出てくるローゲが、実はこの物語の「黒幕」だというところです。ローゲは「ラインの黄金」の最後で「こんな神々に付き合うのはごめんだ、俺のやることを見てろ!」と言って姿を消してからは、音楽でしか出て来ませんが、「神々の黄昏」の最後で神々の世界を焼き尽し、指環を乙女たちのもとに返す目的も達成してしまいます。全世界を俯瞰して見ているのはローゲだと思います。
森の小鳥は機密情報をいっぱいしゃべるんですよね。洞窟に行けば宝がある。それを盗めば世界の支配者になれる。どうしてこんなに機密情報を知っているのか不思議なのですが、この小鳥はローゲだと思います。ローゲが「黒幕」として裏でいろいろ操っているのです。
第3幕の炎をくぐる場面に「ラインの乙女」のテーマや小鳥のテーマが出てきます。一見、何の脈絡もないように思えて謎なのですが、乙女は指環を返してもらいたい、ローゲはその目的を達成したい、そしてローゲの炎、このように考えることができると思います。ロキ(※北欧神話に出てくるいたずら好きの神で、炎を司る。 「ニーベルングの指環」ではローゲに当たる)は神話の中で小鳥に化けるという箇所があります。そういったところからも合点がいきますね。 「ジークフリート牧歌」の部分も、一度長調でやさしく微笑みますが、短調になりますね。優しく諭して距離をとろうとするブリュンヒルデのジークフリートに対する心理作戦でしょう。しかしジークフリートの激しい押しに根負けするという流れですね。そして二人が結ばれようとするとき、ジークフリートが「馬鹿な私は怖れを忘れた」と歌う場面があります。ここに小鳥のテーマが出てくるのですが、なぜここで小鳥のテーマが?と不思議なのです。しかし、物語としては、ここでジークフリートが覚えた「怖れ」を再び忘れさせ、「神々の黄昏」へとつながらなければならない訳ですので、(ローゲの分身である)小鳥のスパイスによって「怖れ」を忘れさせていると解釈できます。一見かわいい小鳥にしか見えないというところが、ローゲの策略ですね。
コンサートに向けて期待するところ
今回のコンサートでは、なんと最初の練習から城谷さんにご指導いただきました。最初の練習から私が行くのは普通ではなかったのですね。
でも、オペラ上演を除いて、こんなプログラムを組めるオーケストラはなかなかないですよ。ですからもちろん期待はしています。ただ、まだ1回練習しただけですので、いまのところはニュートラルな気持ちです。今後の練習の過程で皆さんと一緒にどういう表現ができるか探っていきたいと思っています。指揮者とオーケストラって、やはり相性がありますからね。オペラの仕事が多くなって、アマチュアのオーケストラを振るのは本当に久しぶりなんですよ。アマチュアの良いところとして、練習期間が多く取れますから、その中で模索することができると思いますね。
目指すサウンドを追求したい
最近の新響の演奏会もいくつか聴かせてもらっているので、新響の良いところ、課題と思われるところなど、自分なりに分かってきているつもりです。例えば低弦から出て広がっていくサウンドを作りたいなと思っています。飯守先生も「コントラバス手当をつけますからお願いします!」っていうくらい、常に低弦から音楽を創るように仰ってましたね。バイロイトでは伝統的にコントラバスは左右に分かれて演奏するんですよね。合わせにくいのですが、全体を包み込むような音の広がりがあります。それだけ低弦は重要なのです。
あとはバランスですね。会場によってはオーケストラが鳴りすぎて歌とのバランスが崩れることがあるので、バランスにはこだわりたいと思っています。これも長年オペラの現場で培ってきた経験を活かしたいと思います。
エネルギッシュな練習に感動しました。今後もぜひ新響を振っていただきたいと思っています。
それにしても、今回こんなプログラムを提案してもらえて、自分のライフワークとしている作品をこのような形で実現できて、とにかく楽しみです。
「わ」の会で部分的に取り上げた経験や、飯守先生とのワーグナー演奏の経験なども活かしつつ、いろいろな抜粋の方法で、お客さまに楽しんでいただけるプログラム作りなどができると思います。「パルジファル」などの他のワーグナー作品も取り上げたいですね。
メシアンもやりたいですね。「トゥランガリーラ交響曲」について語れと言われれば5時間くらい語れますよ(笑)。アンドレ・ジョリヴェ(フランスの作曲家)の交響曲も好きなのでやりたいです。かっこいいんですよ。日本でまったく演奏されないのでムーブメントを起こしたりしたいですね。
本日はお忙しい中、またリハーサルでお疲れのところ、ありがとうございました。
2024.11.18 初台にて