芥川也寸志 語録
芥川也寸志が過去に様々な場所で残した言葉を下記にまとめました。新交響楽団が大切にしてきたことと、これからも変わらずに守り続けていきたい思いがここにあります。
プロとはある特別の才能をもった、ある特別の訓練を経た、ある特別の人間のことだろうから、音楽がそんな特別なもののために存在するなどということは、到底考えることはできない。
あえて言えば、音楽はみんなのものであり、“みんな”を代表するものこそ、アマチュアと言ってよいであろう。この意味から言えばアマチュアこそ、音楽の本道である。 ― 私はいつも、アマチュアを「素晴らしきもの」の代名詞にしたい位に思っている。ただひたすらに愛することの出来る人たち、それが素晴しくないはずがない。私がいつも、新交響楽団の肩書に、小さくアマチュア・オーケストラといれるように頼んでいるのは、それを忘れないようにするために、そして、大勢の方々にそれを分かって頂きたいためにである。
― 私が新交響楽団とともに、30年を過ごすことが出来たのは、私の人生においてかけがえもなく、素晴しいことの一つであった。これからも新交響楽団は、今と同じように美しく、愛に満ちあふれた素晴らしい存在であってほしい。
(1986年11月)
― 下手でいいのではなく、やはり、断じてうまくなくてはいけない
あるいは、うまくならなくてはいけない
あるいは、うまくなろうとしなくてはいけない
(1961年4月)
― 努力を怠ったら、このオーケストラはよくなりっこないのです。十人の中の一人でもそういう団員がいたら、あとの九人の人たちの足をひっぱることになります。
― 六日間楽器をいじりもしないで、練習に出るなどということは、ほとんどその神経を疑いたくなるほど団員としての責任を放棄した態度です。
(1963年)
― 私たちは余暇の利用の一方法として、音楽を オーケストラを学んでいるわけでありますから、それが楽しいはずですし、楽しくなくてはなりません。しかしその楽しみは何処にもころがっては居りません。私たち自身が創り出すのだということを存分理解していただきたいのです。そして努力や犠牲なしには得られないということも。
― アマチュア・オーケストラは、その音楽はこうなくてはならない、という規定も有りません。私たち自身の手で、アマ・オケの新しい「かたち」を創り出そうではありませんか。
― 目の前にある素晴らしい「ごちそう」は手を伸ばせばもっと沢山とれるのです。団員の皆さん積極的に手を延ばし足を運んで、その素晴らしいものを手に入れようではありませんか。
(1964年)
私にとってのアマチュア
― 音楽は一体誰のために存在するのか、を考えたときに、それはプロたちのために、などとは到底考えることは出来ない。大体、人間は音楽なしには生きてゆけぬ。大きな悲しみに立ち向かうには、それに耐える歌がどうしても必要になるし、戦いに臨んでは勇気をかきたてる歌が、人間の一部を構成しているということでもある。プロとはある特別の才能をもった、ある特別の訓練を経た、ある特別の人間のことだろうから、音楽がそんな特別なもののために存在するなどということは、到底考えることはできない。
あえて言えば、音楽はみんなのものであり、“みんな”を代表するものこそ、アマチュアと言ってよいであろう。この意味から言えばアマチュアこそ、音楽の本道である。 ― 私はいつも、アマチュアを「素晴らしきもの」の代名詞にしたい位に思っている。ただひたすらに愛することの出来る人たち、それが素晴しくないはずがない。私がいつも、新交響楽団の肩書に、小さくアマチュア・オーケストラといれるように頼んでいるのは、それを忘れないようにするために、そして、大勢の方々にそれを分かって頂きたいためにである。
― 私が新交響楽団とともに、30年を過ごすことが出来たのは、私の人生においてかけがえもなく、素晴しいことの一つであった。これからも新交響楽団は、今と同じように美しく、愛に満ちあふれた素晴らしい存在であってほしい。
(1986年11月)
― 下手でいいのではなく、やはり、断じてうまくなくてはいけない
あるいは、うまくならなくてはいけない
あるいは、うまくなろうとしなくてはいけない
(1961年4月)
団員としての心得 — 芥川先生の指針
― 私が団員諸氏に望みたいのは、一言でいえばもっと新響のことを日常的に考えて頂きたいということです。― 努力を怠ったら、このオーケストラはよくなりっこないのです。十人の中の一人でもそういう団員がいたら、あとの九人の人たちの足をひっぱることになります。
― 六日間楽器をいじりもしないで、練習に出るなどということは、ほとんどその神経を疑いたくなるほど団員としての責任を放棄した態度です。
(1963年)
新響の精神 — 音楽への愛と努力
― そもそも私たちが新響の団員となっておりますのは、音楽が好きだということ。― 私たちは余暇の利用の一方法として、音楽を オーケストラを学んでいるわけでありますから、それが楽しいはずですし、楽しくなくてはなりません。しかしその楽しみは何処にもころがっては居りません。私たち自身が創り出すのだということを存分理解していただきたいのです。そして努力や犠牲なしには得られないということも。
― アマチュア・オーケストラは、その音楽はこうなくてはならない、という規定も有りません。私たち自身の手で、アマ・オケの新しい「かたち」を創り出そうではありませんか。
― 目の前にある素晴らしい「ごちそう」は手を伸ばせばもっと沢山とれるのです。団員の皆さん積極的に手を延ばし足を運んで、その素晴らしいものを手に入れようではありませんか。
(1964年)
