第170回演奏会のご案内
7月の新響は、今回で12回目の共演となる飯守泰次郎が指揮台に立ちます。バイロイト音楽祭をはじめとするヨーロッパの歌劇場での豊富な経験を持つ飯守と、新響との共演が始まった数年前は、当然ながらワグナーやブルックナーの作品が中心となり、飯守を通じて新響はドイツ・オーストリアの後期ロマン派音楽の神髄へと目を開かれました。その体験のなかで同時に私たちは、古今東西の西洋音楽全般に対する飯守の深い理解と共感に圧倒され、飯守=新響の世界の果てしない広がりを予感したのです。
その後じっさいに飯守=新響は、ブラームス、シューマン、ドビュッシー、サン=サーンス、やがて深井史郎、芥月也寸志、諸井三郎といった新響の本領たる邦人作品.さらにはブラジルのヴィラ=ロボスという未知の世界ヘ、と次々に胸踊る旅をしてまいりました。そして、時代や民族を超え、作曲家の創造の核心を深く掘り下げ、その精神までもオーケストラに伝える飯守の素晴らしさに、いまや聴衆ともどもますます魅了されつつあります。
●新響のサウンドに色彩感を求めて
昨夏、飯守の捧のもと.新響の「遺伝子」そのものともいえる芥川也寸志没後10年の演奏会に取り組みながら、私どもは飯守=新響の次のステップについて語り合いました。その中で飯守が、「新響に色彩感が備わればもっと魅力あるオーケストラになれる」として提案したひとつが、ストラヴィンスキーのバレエ曲3部作でした。以前から度々「火の鳥」との声があった新響の団員の中でも、飯守とのストラヴィンスキーヘの新鮮な期待が高まり.双方の思いは致しました。
歌劇場で培った、ひとつの物語を壮大に描ききる飯守の力量をすでにワーグナーで体験していた新響にとっては、「火の鳥」といってもポピュラーな組曲版ではなく、あまり演奏の機会のない全曲版で、というのが当然の選択となりました。組曲版ではカットされてしまった素晴らしい部分の数々を含む全曲版は、4管編成にさらにいくつかの管楽器が加わった大編成です。新響のサウンドに、飯守のタクトによってどんな色彩と物語が描かれるでしょうか。
●2つの舞曲
このコンサートでは、ストラヴィンスキーのバレエ音楽の前にさらに2つの舞曲をお聴かせします。ラヴェルの「高貴で感傷的なワルツ」は、しっとりと瀟洒な香りが立ち上るような、それでいてラテン的な生命力溢れる官能のひらめきを感じさせさる作品。オーケストラの音色の色彩感に大変なこだわりを持つ飯守の魅力をお楽しみいただける、コンサートの幕開けにぴったりの曲といえるでしょう。
そして、小倉朗の没後10年を記念し「オーケストラのための舞踊組曲」を演奏します。新響は、1970年代後半の音楽界に大きな波紋を与えだ「日木の交響作品展」のシリーズの中で、1978年に二夜にわたり「小倉朗交響作品展」を開催しました。存命の日本人作曲家の作品世界を、二夜かけて聴衆と共に体験するという、創立指揮者芥川の小倉朗への強い思いが実を結んだ、新響史に輝く金字塔でした。
その第二夜の冒頭に演奏したこの「舞踊組曲」は、長い古典への傾倒を経ながらその時期の作品を後にことごとく破棄し、日本人の西洋音楽創造のあり方に文宇通り骨身を削った小倉朗が、バルトークヘの共感を通じて日本語の持つ音楽性に目を開かれ、初めて自らの創造を見出した頃の、小倉ならではの躍動感と調性の力ヘの信頼がみなぎる作品です。邦人作品を演奏し続ける新響の営みの中で、真撃な愛情と敬意をもって邦人作品の本質へと追る飯守泰次郎の存在は、もはや余人をもってかえがたいもの。
78年の作品展で演奏したときのメンバーはすでに団員の4分の1弱とはなりましたが、稀有な邦人作品演奏家という知られざる一面を持つ飯守との出会いに恵まれた新響は、芥川時代を超え新たな小倉作品世界を創造できる期侍と喜びをこめて、この曲を演奏いたします。
●新交響楽団のプロフィル
1956年創立。音楽監督・故芥川也寸志の指導のもとに旧ソ連演奏旅行、ストラヴィンスキー・バレエ三部作一挙上演、10年におよんだ日本の交響作品展(1976年にサントリー音楽賞を受賞)などの意欲的な活動を行ってきた。最近ではマーラーの交響曲全曲シリーズ(故山田一雄指揮)、ショスタコーヴィチ交響曲第4番日本初演、日本の交響作品展91、92(石井眞木指揮)などの演奏会、また93年9月にはベルリン芸術週間に参加して3邦人作品をフィルハーモニーで演奏するなど、積極的な活動を行っている。96年には創立40周年記念シリーズでワーグナー「ワルキューレ」の演奏会形式公演(飯守泰次郎指揮)、「日本の交響作品展'96」では1930〜40年代の知られざる作品を発掘するなど、各方面から注目を集めている。
第170回演奏会(2000年7月15日)ちらしより