第174回演奏会のご案内


ヴィクトル・ティーツ氏と新響
1997年の夏に、私たち新交響楽団は、ある素晴らしい指揮者に出会いました。ロシア・ハバロフスク極東交響楽団の芸術監督であり、ロシア功労芸術家の称号を持つ、ヴィクトル・ティーツ氏です。氏は国際交流基金の招きで、日本の主要オーケストラの視察に訪れていましたが、この際に、新響が視察先にあげられました。残念ながら日程の都合で練習を見学してもらうことはできず、新響のメンバー数人との会食を持ちました。ティーツ氏は、ロシア音楽、ロシアの作曲家について、また氏の音楽観について熱く語り、氏と出会ったメンバーは、氏の人柄、見識、音楽に対する深い造詣と、熱い情熱に打たれ、ぜひ一度、共演してみたいという念を強く持ちました。
そして、氏の指揮と演奏を、団員の誰も実際には見聞きすることがないまま、1999年10月の第167回演奏会の指揮を依頼し、快諾を得ました。
そして1998年9月にティーツ氏と極東交響楽団は、青森のみちのく銀行の招きで青森公演を行いました。我々のメンバー数人は青森まで駆け付け、ティーツ氏の指揮する極東交響楽団の演奏会を聞きました。青森に行ったメンバーは、その演奏会でのティーツ氏の指揮ぶりと演奏によって、今までの不安が、一気に大きな期待と確信に変わるのを感じました。
そして1999年10月、ティーツ氏の指揮のもと、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」などを取り上げて行われた新交響楽団の第167回演奏会。慣れないロシア語での練習、厳しいリハーサルには戸惑う部分もありましたが、氏の音楽に対する愛着と情熱、何よりもその本場のロシア音楽に触れた感激は、私たちに深い感銘を残し、ぜひまた、ティーツ氏との共演を願うようになりました。
「新潟から飛行機で1時間50分、東京から直線距離で沖縄と変わらない場所に、こんなに素晴らしい指揮者がいるのだ。」

新響とラフマニノフ、ティーツ氏とラフマニノフ
この文章を書くにあたって、新響の過去の演奏記録を調べましたが、比較的ロシア音楽の演奏経験が豊富なような気がしていた新響は、意外にもラフマニノフについては、創立後間も無い1964年にピアノ協奏曲第2番を1回取り上げただけで、以後37年間まったく演奏していません。
一方で、ティーツ氏と前回1999年の演奏会の曲目を打ち合わせる過程で、氏は演奏会のメインの曲となり得る候補曲として、チャイコフスキーの交響曲4番、5番、6番、ラフマニノフの交響曲2番、3番の5曲をあげました。
この5曲の中に、ラフマニノフの交響曲第3番が入っていることに、私たちは少し意外な感を持ちました。ラフマニノフの交響曲3番は、それほどポピュラーな演目ではないからですが、ティーツ氏はこの曲にチャイコフスキーの3大交響曲に劣らないほどの評価を持っていました。
その後のティーツ氏とのインタビューなどを通じて、氏がロシアの作曲家として、高く評価し、個人的にも愛する作曲家は、第一にラフマニノフ、次いでチャイコフスキー、そしてスクリャービン、という話も聞きました。このような経緯を通じて、私たちはぜひとも一度、ティーツ氏とラフマニノフを演ってみたい。もし次回、機会があるなら、その際はラフマニノフしかない、と思うようになったわけです。
そして今回、そのラフマニノフでの再会が実現しました。
ラフマニノフのもっとも有名な作品と言って良いピアノ協奏曲第2番にも取り組みます。ソリストには、ティーツ氏の推薦で、サンクトペテルブルグ音楽院助教授のタチヤナ・ザゴロフスカヤ氏を迎えることになりました。
氏は、1998年の極東交響楽団の青森公演にも帯同してティーツ氏と共演しており、氏がソロを弾くチャイコフスキーのピアノ協奏曲を、青森で聞いたメンバーは、ロシアの演奏家の層の深さに驚かされました。
指揮者に加え、独奏者にも、ロシア音楽の真髄を知り尽くした音楽家をお迎えし、ロシア音楽をご一緒に演奏できるという、まさに期待感に胸の膨らむ企画となりました。
新響が本当に久々に取りあげるラフマニノフ。
モスクワ音楽院卒業作品でラフマニノフが楽壇に認められる契機となった、歌劇「アレコ」からの管弦楽曲抜粋。
ロシア音楽の本場からソリストを迎えての超名曲のピアノ協奏曲第2番。
ラフマニノフ渡米後の老成の作で、指揮者ティーツ氏がその作品を高く評価する交響曲第3番。
オール・ラフマニノフ・プログラムですが、ラフマニノフの生涯の作風を辿る、バラエティに富む構成です。
ティーツ氏の作品に対する深い想いに、どこまで応えられるか、ラフマニノフの魅力をどこまで皆様にお伝えできるか、精一杯チャレンジしたいと思います。

(K.S.)

第174回演奏会(2001年7月28日)ちらしより


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