第152回演奏会(1996年4月)維持会ニュースより


ソビエト演奏旅行

新響ヴァイオリン奏者 秋山初瀬

いよいよ出発!
 横浜埠頭を出港したハバロフスク号は津軽海峡以外は大揺れです。豪華なディナーとお酒に酔っていた人、船酔いでダウンしていた人etc...。秋晴れの紺碧の空と海に新響団員の燃えた心を乗せた船は3日目の夕方にナホトカ港に着きました。

ナホトカにて
 芥川団長と役員はコムソモールのナホトカ地区委員会のレセプションに歓迎の挨拶に直行し、団員はシベリア鉄道の駅に向かいました。砂利道の続きのようなプラットホームから列車に乗り込み四人用のコンパートメントに入りました。若さ?に溢れていた私達四人はすぐに各々上下左右のベットに登ってヴァイオリン合奏をしたり、何をしても笑いころげていました。美人の班長さんから「あなた達けたたましいわよ」と、となりの部屋から注意されました。ところで、ハプニングがおこりました。団長一行が乗っていないのに列車が発車してしまったのです。そのわけは夏時間の発車時刻をかんちがいしていたからだそうです。彼らがホームに着いた時には、すでに列車は動きだしていたそうです。それからです。委員会の人は車に代表団を乗せて猛烈なスピードで列車を追い抜いて次の特急停車駅で待ち、無事乗車できたのです。車の大好きな芥川先生はきっとワクワクしていらしたことでしょう。赤いお顔は乾杯のお酒の所為だけでしょうか。

ハバロフスク空港にて
 イルクーツクまではプロペラの飛行機です。貸し切りでしたが楽器・荷物で重量オーバーといわれました。でも心配はいりません。すぐに臨時便を楽器専用機としてチャーターすることができました。そして着陸時にはタラップの下にバスが待機していたのです。因みに殆どの団員が飛行機初体験だったのでしょう、離陸着陸時には拍手と歓声が上がっていました。飛べども飛べどもアムール川の上空というシベリアの大地の広大さはすごい!

モスクワのホテルにて
 モスクワ滞在最後の日に私達はお礼のレセプションを開催しました。日本から用意した日本食の材料とサントリー提供のお酒「オールド」を50本用意し、調理場を借り切って団員総出で調理をし、女性陣30人は着物姿に変身し、ソ連側・報道人・在住日本人・留学生の方々をお迎えしました。私の任務は芥川団長のお酒の係りです。ソ連では「乾杯!」というと飲み干さなければなりません。団長は当時あまりお酒に強くなかったのです。因って私はトレイの酒類の中にジュースを用意し、側に控えていました。その時プロコポフアジア部長の部下のリーダー女史がそのグラスをムンズと掴んでしまったのです。一番知られてはならない人でした。私は必死の云い訳をして本物のお酒のグラスと取り替えてもらいました。ちょっと怪訝な顔をしていましたが...。団長は大勢の方々と楽しそうに何度も乾杯を重ねておられました!!

レニングラードにて
 レニングラードフィルハーモニーのシーズン最初のコンサートに招待されました。ムラビンスキー指揮ショスタコーヴィチ5番6番です。満席のため、特別にステージの横にイスを並べて席を作って下さり、私達は全員そこで聴けたのです。熱狂的な演奏に酔って楽屋に押しかけ、ムラビンスキーにサインを頂いたり、楽員と交流したり、これも又、演奏旅行最後の夢のような一晩でした。

 1967年はソビエト連邦革命50周年の年でした。ブレジネフ書記長、ソ連共産党共に最高の国力の時代に、演奏旅行という本当にすばらしい夢の実現を体験させて頂きました。


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